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母親になるとは気が散るということ けれど不幸ではない

今週はイースター休暇の2週目。長男長女はキャンプに行かせている。キャンプとはホリデー期間に行われる日帰り学童保育で、公立の小学校で行われる比較的安価なもの(週35ユーロte程度)のものからスポーツ施設がやっている水泳やお料理教室(週100ユーロ)まで様々ある。公立は収入が少ない家庭はサポートがありかなり安く通える。うちは基本公立、どうしてもというときはスポーツ施設が行っているものに入れている。オムツが外れてない末っ子は家でお留守番。

子ども達を送り届けた後に末っ子と散歩がてら帰り、家事をしながら1日500wordsずつ書くと決めた。月曜は達成できず、火曜、水曜はなんとか500近く書けた。質はめちゃめちゃだけど、諦めることを今学んでいる。これは筋トレと同じ。書く練習をしているのだ。質より量。60パーセント、いや50パーセントで満足するように。

末っ子は比較的おとなしいが部屋はめちゃくちゃになるしまとわりついてきたら対応しなくてはいけない。洗濯を干してお昼を用意して食べた後は散らかるから軽く掃除。コーヒーを入れたと思ったら「トイレ!」とトイレに連れてく。。

私はそういうことから急に眼を開かれた気持ちで、それは苦痛であるとともに或る滑稽味を私に覚えさせるものであるのだが、なぜ、女で聖者だった人たちが稀にしか結婚しなかったかを理解する。それは私が初め考えていたように、禁欲とか、子供とかいうことには本質的には関係がなくて、何よりもこの気が散るということを避けるためだった。子供を産んで育て、食べさせ教育し、一軒の家を持つということが意味する無数のことに頭を使い、いろいろな人間と付き合って旨く舵を取るという、大概の女ならばすることが芸術家、思索家、或いは聖者の生活には適していない。

『海からの贈物』アン・モロウ・リンドバーグ著 p.27

アンは1906年生まれ。チャールズ・リンドバーグは単独の大西洋無着陸横断飛行で有名なチャールズ・リンドバーグの妻で6人の子どもをもうけ自身も飛行機を操ったり文筆家として活躍したそうだ。この本は18歳でイギリスに渡る時に高校時代の友人がプレゼントしてくれた。20年近く引っ越しても手元に置いているまさに贈り物というタイトルがぴったりの一冊だ。この本を読むと女性の生活が100年以上前から全然変わっていないことに驚く。そう母親になるというのは気が散るということなのだ。

いつも午前中に集中できないわたしは焦りつつお昼を食べた後のふわふわした心持ちでパソコンの前に座りながらうとうと。ふと気づくと末っ子がとんとんと起こしてくれた。ここで集中できた。

ぎりぎりに何とか書き終えてお迎えに行く。長男長女とおしゃべりしながら帰り昨日は長女とチョコレートスコーンをつくった。夕ご飯は夫が帰って来てから一緒に食べる。夜は絵本を読み聞かせ、長男の補習校の宿題をさせ寝かしつけた後は洗濯ものにアイロンをかけながらもうこれ以上はできないとベッドに入ることにする。

幸せとは走り続けること。吉本ばななの『うたかた・サンクチュアリ』で鳥海人魚の父親が告げる言葉。だった気がする。なぜかずっと頭の片隅にありわたしを形作っている。毎日やるべきこととやりたいことに追われている。決して落ち着いてはいない。でも不幸ではないのだ。


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