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コイントスで決める 選択できることは果たして幸せなのか 

最近常々考えている。それは女性が結婚、特に出産を自分の意志で選べるように見える世の中になって果たして幸せになったのかということ。もちろん全員が異性愛者でも産める時期にパートナーに出会えるわけでも授かることができるわけでもない。これは古今東西ずっとあり続ける課題でありこれからもそうであろう。

わたしが1人目を授かったのが29歳。そろそろほしいなと漠然と思っていた頃。産休育休が満足にとれるオフィスワークだったことも後押しした。2人目の妊娠は生理再開と同時だった。なのでここ2-3年くらいは生理の煩わしさからは解放されたわけだ。知識として知らなかったわけではないが、まさか自分がそう簡単に2人目を妊娠するとは思わなかった。3人目も同様、計画はしていなかった。復職して1年ほど。嬉しさよりもこれから3人を抱えてどう生活しようかとほうに暮れた。

もしわたしがきちんと家族計画をたてピルを飲んでいたら、たぶん今の年齢で3人は産んでいなかっただろう。ベルギーに移住することも大学院に入学してひーひーすることもなかった。日々小さな不満を溜めながら、ここではないどこかへいつか行ける日を信じ毎日通勤電車に乗っていただろう。リモートは多少できたかもしれないけど。

先日尾石晴さんの有料note記事「決められない女の正体」をポイントがあったので買ってみた。そして感銘をうけたのが著名(私はこの記事で知りました)なスティーヴン・レヴィットのコイントス研究の話。人生の決断をランダムなコイン・トスで決める。表が出たら方向転換。裏が出たら現状維持。結果、コイン・トスで表が出て方向転換をした人々の方が、現状維持を選択した人々より幸せになっていたそう。経済額を学んだ夫によると色々批判もある研究らしいがシンプルに発想が面白い。尾石晴さんの記事もとても読み応えがあるのでおすすめ。

人間は現状維持を選んでしまいがちで、勇気はいるが変化を選ぶ方が幸せを感じるという矛盾した生き物らしい。結婚、出産ほど変化に富み勇気がいる決断は人生にそんなにはないだろう。冷静に考えればリスクばかりちらつき、ポジティブにとらえられる強さを持つ人も多くはない。昔はよかったのおとぎ話を信じるわけではないが、女性の人生に結婚や出産が当たり前にあり、できるかはともかくしたいかどうかを問わなくて良い時代はある意味幸福度が高かったのではないか。もちろん貧困や女性の社会的地位の低さなどを考慮すれば最良の環境では全くないのは承知の上だが。

そういえば結婚数が減っている現実に「出会いがないから」とはよく聞くが、マッチングアプリの台頭も後押しし多すぎて選べないが現状らしい。

最近、まわりに妊娠をした友人が数人いる。自分の意志で3人目や4人目を欲しいと決める友人が眩しい。別の友人から聞いた話だが、2人目を産むか悩むのをやめたいがため2人目妊娠を決めた人もいるらしい。

わたしはというと3人目を授からなかったら、ベルギーにも移住してないし大学院にも進学していなかった。こんな大きなリスクを伴う決断を後押ししてくれた子ども達という存在を幸せや不幸せという画一的な価値観でははかれない。末っ子も3歳を過ぎ、子どもを3人持ったことで失ったもの、たとえばキャリアや身軽さなども冷静に考えられるようになった。

それでもあのときコイントスで選んだように、2/1の確率でわたしたちのもとに来てくれた子どもたちには感謝しかない。人間の感情とは多分結構単純で子どもが生まれればポジティブなことしか考えないし、そこから広がった世界は途方もなく広く楽しいものなのだ。

結婚や出産を礼賛しているわけではないと改めて言っておく。わたしは常々、この選択できる時代になぜみな結婚や出産がしたいのか、自分自身も含め疑問に思っておりこの考察もわたし自身への問いへの一つの答えなのである。

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