一種のドラッグ、多国籍遠距離恋愛。 ②
「気付いた時には、もう手遅れ。」
カンペでも読んでいるのかと思うような常套句を、ドラッグ使用経験者や交番のポスターはしきりに謳っている。
正直、ピンとこない。
***
見晴らしの良い、うっすらと丘になっている芝生の上で私たちは横たわっていた。そこはビーチとつながっており、海水の香りがツンと鼻に残り、なぜかそれは私を眠たくさせる。遠くに映るバンクーバーのダウンタウンが夕焼けに飲み込まれていくのがわかった。
もう8月か、とふと思い、同時に今の状況に何か不思議な違和感を覚える。
大学1年目の夏、私はカナダに来ていた。あの時のフィリピン以来の語学留学、多少慣れてはいたが、初めての土地。やはりナーバスになる部分もあった。フィリピン含めアジアの選択肢は私には毛頭なかったが、カナダ以外にも選択肢はあった。しかしこの国を選んだ。
快感を忘れることができなかったのである。
3月に日本に帰国し、4月、人に酔うと感じるほど大勢の人たちに囲まれ入学式を終えた。新しい環境、土地に若干動揺させられたが、なんとか夏まで漕ぎ着けた、そういう印象だ。
私たちは2月以降もちょくちょく会った。そして私はまた、”あの分からない何か”が欲しくなり、夏をあの人と過ごすと決めたのだ。
何か違った。寂しい、という一言で表すのは幼稚な、不思議な感覚だった。
久しぶりに対話できる喜びと、もうこれっきり一生会わないのではないかという恐怖、不安。その繰り返し。「ガールフレンドに依存」とはまた違う何かだった。
夏が終わり、だんだんわかってきた気がする。
国籍が異なり、生きている国も違う。こんな環境の中、ほつれかけた糸を、またたぐい寄せて会う。その瞬間の感覚に依存しているんじゃないかと。
気づいた時には、もう手遅れだった。
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