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気質によって天気の感じ方は変わる

日々の気候、天気によってその時々のコンディション、気分が違うのが自然と共に生きていく人間の運命というか、それは仕方のないことなのだと自認しつつある。

人にはそれぞれ好きな天気というのがある。晴れだけが好きな人ばかりではない。例えば、雨の日は静かだから、多少服が濡れても、行動しにくくても雨だと何だか調子がいいという人もいるだろう。私自身も、昔、雨の日は外からの音があまりしなくて、心地良い、雨音を聞きながら本を読むのが居心地良いなと思う時が多かった。
雨音を聞いて心が落ち着く人は大多数存在すると思う。滝の流れる音、焚き火の音に心が癒される人、様々な自然音、環境音に心が救われる人も多い。

晴れと雨。または、曇り。

それぞれに体調が良いと思う天気はあるだろうが、それはその人が元々持っている気質が関係しているかもしれない。外交的でアウトドアスポーツなどが好きな人、人と関わるのが得意な人は私の考えでは晴れを好む人が多いと思う。外に出て人と交わって、街に出たり、仕事をしたり、学校に行く、そのような時は晴れが一番好ましいのではないか。

曇りぐらいが一番動きやすい、どんよりしていても何だか調子が良いなという人もいるかもしれない。

生まれた時から備わっている気質によって、受け止め方というのは変わってくる。それは努力をしても中々変化するものでもない。つまり、私たち人間はある程度は妥協しないといけないのかもしれない。
晴れが苦手な人がいるとしよう。日差しが苦手で、家の中にいてもカーテンを閉めてしまう昼間でも。どうも日光にあたっていると気持ちがせかされてしまう。リラックスできないんだと。
そのように感じるのは今、その状態を(日差しが嫌なこと、薄暗いのが心地良いこと)求めているからで、無理をせずに昼間もカーテンを閉めて、自分の望む状態を作るべきだ。
私自身もこの夏は猛暑で家にいる時、日差しが辛く落ち着かないので、昼間カーテンを閉めていた。

自分の備わった気質とはうまく付き合っていかないといけない。辛いことも多いし、なぜ自分だけと思う時もある。雨の日に気分が沈み、布団から起き上がれない人、仕事を当日欠勤してしまう人さまざまだと思う。
つい自分を責めてしまうことになる。でも、人は人で、今自分がSOSを出しているんだ、身体が心が休みたいと言っているんだと感じることも必要な気がする。

その日その日で体調も心の状態も変わっていく。天気が日々移り変わるように。その人自身が一番心地良い天気の時に、好きなことをして自分を労わってあげること、それが日々生きている私たちに必要なことだ。無理をしてしまい身体と心が悲鳴をあげて心から血が流れる前に。結局、自分を救えるのは何より当人だけなのだから。