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挫折をしてから言葉について考えるようになった

若い時に挫折をすること。社会から疎遠の生活を長期間するとしよう。バイトも習い事もせず、暗い部屋に留まる。私自身も挫折続きで、社会に溶け込めないでいる。諸悪の根源は17歳の時にメンタル不調から、高校を中退して通信制高校に入学したのだが、あまりにも心が思わしくなく泣いてばかりと、寝てばかりいたので、社会の一般的なレールに乗れなかった。

もう一度やり直したい、社会で活躍したいと何度思ったことだろう。お前の努力が足りない、死ぬ気で頑張らないからだと言われることは分かっている。必死な身体で毎日社会生活を営んでいる人もたくさんいる。隣の芝生は青く見えるので、実際はその人になってみないと分からない。人にはそれぞれの事情がある。嫉妬したり、憎々しく思う気持ちも生きている人間だからこその感情だ。人の汚い心や暗い気持ちを抱えているのを無いものとして、100パーセント心の清い人などいるのだろうか。

私は言葉について考えることが好きで、日本語の奥深さについて勉強する時間が増えた。言葉の重み。一言の重要性。例えば、朝に何となく聴いているラジオ番組。リラックスをして珈琲でも飲みながら聴いていることにしよう。一つの言葉。一つの文章。ラジオのメッセージの一つで気分がブルーになってしまうこと、私には多々ある。女性も男性も実際は苦しいこともあるのかもしれないが、ラジオでのメッセージには私生活に満たされ幸せな日々を過ごしているのだろうなということが現れている。気分が鬱の時は正直しんどい。つまり、人はそのときの状態、心や生活状況、社会生活などが恵まれていたり、余裕がある時は別にこんなメッセージは受け流し、そうなんだぐらいで何とも思わない。むしろ、ほっこりする人もいるだろう。ここが難しいところだと思う。

言葉一つで気分がどんよりしたり、暗くなったり、または攻撃や誹謗中傷で自殺する人もいるのだから、本当に言葉というのは時に残酷すぎると思う。想像してほしい。朝起きて何となくツイッターを開いたら、攻撃的な言葉、自分を追い詰める言葉の羅列だったら。私だったらとことん気持ちが暗くなって、数日間は鬱だろう。アカウントは削除すると思うが、このようなことは決して他人ごとではないのではないだろうか。

言葉のマイナス面や怖い面を書いたが、一つの言葉で気持ちが軽くなったり、自信が持てたり、幸せな気持ちになることだってある。そのような言葉にたくさん出会いたいものだ。日本語の語彙や表現は美しいと思うし、敬語など正しく使うことは難しいが、相手のことを想っての気配りのような柔らかい表現は美しい。日本語っていうのは本当に難易度が高い。四字熟語、三字熟語、ことわざ、慣用句、覚えるのが大変で、日常会話で使うことがほとんど私などはないが、覚えておき、何かの機会に使用出来たら良いなと思う。明治時代、大正時代、昭和時代の作家さんの語彙能力、文語体の使い方、今の時代には難しすぎる文章たちが確かに存在したのだということ。

人のことを傷つける刃のような言葉、人のことを明るく優しい気持ちにさせる言葉。両極端の存在。どうしても汚く暗い言葉を人に浴びせたい時も確かにある。言葉を発することのない植物たち。それでも水と日光で美しく健気に生きている。人の気持ちを優しくさせる温かい言葉を少しずつ使う機会を増やしたい。絶望がやってきたときに救ってくれるような言葉と出会いたい。希望を感じる瞬間に。