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女優だった私が過食嘔吐していた頃のおはなし。【平成サブカル女子の自伝②】

43才の私は今、夫と一緒にひまわり荘の前にいる。

下北沢南口から歩いて15分の所にある、古い木造アパート。私は20才から3年間、ここに住んでいた。昭和フォークソングの世界から出てきたみたいなこのおんぼろアパートが、私は大好きだった。築50年になるひまわり荘は老朽化が激しく、今はもう誰も住んでいないようだ。

「自分が住んでいた部屋を見たい」という衝動を抑えきれず、夫を置いて2階に上る。靴音がかんかんと響く、錆びた鉄の階段。手すりを掴んだ手を嗅ぐと、懐かしい鉄くさい匂いがした。

匂いと音はタイムカプセルみたいに記憶を保存していて、ひとたび触れると、ぎゅうん、と時空を歪めて20年という歳月をぶっ飛ばし、懐かしいよりも生々しく、2001年の私と2022年の私を一瞬で繋げた。

住んでいた部屋の前に来ると、廊下に面した台所にある木枠の窓がほんの少し開いていた。ぐっと指を差し込むと、人差し指1本分くらいのすきまが開いた。左目をぎゅっとつぶって、右目で部屋の中を覗き込む。

色褪せた畳も、台所のフローリング風クッションフロアの床も、全てが記憶のままだった。部屋の奥にある窓が見え、目を凝らしてみるとそこには、20年前に私が取り付けた無印良品のブラインドが埃まみれになってそのまま付いていた。 

……私は今もここに住んでるんだっけ??

私が残したものが放つ22才の自分の匂い、ぐんぐん迫ってくるリアルな感覚に、あたまがくらくらしてきた。

『やりたいことをやってるはずなのに。なんでこんな辛いんだろな。』

私はふと、22才の私が日記に書いていた言葉を思い出した。ここに住み、初めて女優というお仕事をした日々のことを。

2001年の冬。吉祥寺のピンサロを辞めたばかりの私は、初めての主演映画である「グシャノビンヅメ」の撮影に入っていた。

映画「グシャノビンヅメ」は異世界でエレベーターに閉じ込められる密室劇で、その撮影のほとんどを六本木の地下に作られたセットの中で行っていた。毎朝7時から終電まで、来る日も来る日も地下のハコの中で撮影を続け、1ヶ月以上が経っていた。全く演技経験がない私は何が正解かわからないまま、カメラの前に立ち続けるしかなかった。ハコの中の閉塞感。一日中つづく緊張感。映画の主演というプレッシャー。撮影を楽しむ余裕はなく、がむしゃらでぎりぎりな毎日だった。

22才の私はその日も長い長い撮影を終えて、下北沢に着いたところだった。

体はへとへとだけど、なんとなくまだ家に帰りたくない。ポケットから出したPHSをぱかっと開くと23時前。南口の階段を降りて左に曲がり、緑色のフェンスをぽこぽこ叩いて音を鳴らしながら、線路沿いの道を歩く。

辿り着いたのは、ヴィレッジヴァンガードだった。帰りたくない時はいつもここに来る。何を見るともなしに、ゆっくりと店内を巡回する。狭くてごちゃごちゃして最高にカオスな店内に、私の好きなものが詰まってる。本とマンガと、生活必需品じゃなさそうなカラフルな雑貨。それらが混ざった独特の、ヴィレッジヴァンガードの匂い。この匂いを嗅いで本たちの間を泳ぐうちに少しづつ、私は大丈夫になる。

大判サイズのマンガコーナーで足を止める。岡崎京子、やまだないと、魚喃キリコ、山本直樹。こういう漫画に出てくる女の子に私はなりたい。はちゃめちゃに駆け抜けて生きて、美しいうちに死にたい。濃く。はやく。切なくエロく退廃的に、刹那的に生きていたい。きゅうっと痛いくらいに切なさを感じる瞬間の、いのちが燃えてるような恍惚感が好きだ。

夏木マリのCDの特設コーナーでヘッドホンを手に取って「13シャンソンズ」を試聴する。聴きながら、いつか夏木マリさんみたいな女優になりたいな、と思う。あんな風に独自の色でかっこよくて存在感がある、唯一無二の存在に。今の自分と比べて、少し気分が沈む。

下北沢のヴィレッジヴァンガードは、私のサンクチュアリだった。いつでも寂しくて、居場所が欲しくて、みんなにすごいと思ってもらえる人になったらそれが手に入る気がして、早くそこにいきたくて気持ちは焦るのに、何をしたらいいのか分からずに空回りしていた私の。ここにいる間は少しだけ、世界に自分の存在を許されているような気がした。

岡崎京子の「エンド・オブ・ザ・ワールド」を買って、ヴィレッジヴァンガードを出た。ほぅっと吐いた息は水蒸気のつぶになり、街灯に照らされてキラキラ光る。んん、寒いなあ。古着の真っ赤なジャンパーの袖を指先でぐっとひっぱって、手をひっこめる。

下北沢南口商店街を歩いて家に帰る。駅前にいつもいる、マンガを臨場感たっぷりに読んでくれるロン毛のヒッピー風お兄さんを横目に通り過ぎ、アンゼリカを過ぎ、キッチン南海を過ぎる。夜の南口商店街は、ギターやベースを背負ったミュージシャン、まだ売れてなさそうな女優や俳優、何をしてるのかよくわからない若者たちで溢れている。この街には、ちゃんとしてないことが許されているような、独特の楽さがある。

子供の頃から女優になりたかった。その夢を叶えるために東京に出てきた。夢が叶って、やりたいことやってるはずなのに。なんでこんな苦しい気持ちになるんだろな。ああ、彼氏に会いたいな。一緒に居酒屋行って、真夜中までお酒飲んでべろべろに酔っ払って帰ってそのままセックスして、昼まで寝たりしたい。歩きながら、どこにも辿りつかない考えが浮かんでは消える。ミスドを過ぎ、レコファンを過ぎ、餃子の王将を過ぎ、花屋のY字路を左に折れてすぐのファミマに入る。

菓子パン、プッチンプリン、雪印コーヒーの1Lパック、カップヌードルのシーフード味、プリングルスのサワークリーム味。カゴにどんどん入れていく。袋いっぱいの食べ物を買ってファミマを出た。早く食べたくて、小走りになる。コンバースの重たい足音を住宅街に響かせて、坂道をぐんぐん上がっていく。

家に着くとそのまま台所の床に座り込み、ファミマの袋を逆さまにしてパンやお菓子をばらまいた。

だいすきなチーズ蒸しぱん。チョコデニッシュ。食べる、食べる。どんどん食べる。雪印コーヒー1Lパックを口を付けて勢いよく飲み、パンを流し込む。口の端から甘いコーヒーがこぼれて服を濡らす。カップヌードルシーフード味にお湯を入れる。3分待つあいだにプリングルスのサワークリーム。プッチンプリンのBigサイズ。甘いものと、しょっぱいもの。ぽっかりと空いた穴を、食べ物が満たしていく。

ステンレスの冷たい床のトイレで体をくの字に曲げて、のどに指をつっこんで、全部吐く。体がからっぽになっていく解放感。食べたものがきれいに全部出るように、水道水を何度も飲んで、吐いて、を繰り返す。出てくるものが、ただの水になるまで。

この儀式を終えた私は、いいセックスをした後のような、さっぱりとした、世界に安心したような気持ちになる。

「過食嘔吐」というものだとのちに知ったこの儀式は、20才の頃地元福岡で所属していたモデル事務所の同僚モデルR子に教えてもらった。

その頃の私は、事務所に痩せろと言われていた。ある日撮影でR子と一緒になったので「どうやって体重保ってるん?」と聞いてみた。めちゃめちゃスタイルが良い彼女は、こともなげに言った。「食べたら吐けばいいんだよ〜!みんなやってるよ?お菓子とか好きに食べて、全部吐くの」「え、吐くの?大変じゃない?」「ぜんぜん簡単だよ〜!私なんてもうマジでテクってるからさ、指入れたらすぐ吐けちゃう!」

驚いた。事務所のモデルさんたちは、吐いて、あの体型を保っていたのか。ファミリーマートでバイトしていた私は早速、店長がいつも袋いっぱいにくれる菓子パンの廃棄でトライしてみた。なんだ、簡単じゃん。固形だけだと吐けないので、食べながら水分を一緒に摂ること、というコツもゲットした。お菓子を食べ放題食べても太らない!最高!この日から「太りたくなかったら、吐けばいい」という概念が私の辞書に追加された。

痩せなきゃ、がきっかけで始めたこの行為は、いつしかそれ自体が心の拠り所になっていた。

過食嘔吐、摂食障害、と聞くと大変そうな感じがするかもしれないけれど、当時の私は罪悪感もなく、やめなきゃとも思わず、食べて吐きたい時には気のおもむくままにそうしていた。そのことで特に自分を責めたりもしていなかった(基本的に自分責めしがちなのに、不思議)。古代ローマの貴族も美食のかぎりを尽くすために食べて吐いてはまた食べてたらしいし、昔からみんなやってることなんだからまあいっかーと、わりと軽く考えていた。やめなくてもいいや、というゆるいスタンスが逆に良かったのか、ほぼ毎日だった儀式はそのうち月に数回になり、年に数回になり、いつの間にか自然と忘れていた。

この時の私は、映画の初主演という張り詰めた日々の中で、食べて吐くことでバランスを保ち、自分を守っていた。

ちょっと変わった形だけどそこには、自分への愛があったのだ、と私は思う。

深夜1時。儀式を終えてすっきりした私は、水色のせまい浴槽でシャワーを浴びる。お風呂から上がるとインドのお香を炊き、バスタオル姿のままじゃーんと大きな音を立ててPowerBookを開きソリティアをやり出したが、2ターン終わったとこで寒さに耐えきれなくなってパジャマに着替え、もそもそと布団に入った。明日は撮影がお休みだから、目覚ましをかけないで寝よう。福岡に住む遠恋の彼氏にPHSでおやすみメールを送る。

すきま風でうっすらと揺れているブラインドをぼうっと見ながら、しんどいけど、わたし、映画のお仕事好きみたいだな、と思う。隣のカップルはまた大声でケンカをしている。彼女たちの声をBGMに、さっき買ったエンド・オブ・ザ・ワールドを読もう。でも寝落ちしちゃうかもな。お布団から出るのが嫌で、うーんと手を伸ばして、ヴィレヴァンの袋をたぐり寄せた。

階段の上から夫を呼ぶ。「ねーねー、私が住んでた部屋、見てー」かんかん、と階段を鳴らして2階に上がってきた夫は、私が住んでいた部屋のドアの前で目をつぶって手を合わせた。

「ゆみちゃんを守ってくれて、本当にありがとう」

私も手を合わせて祈る。3年間、私のホームになってくれてありがとう、と。そして、キッチンの床に菓子パンをぶちまけて一心不乱に食べていた20年前の自分に、後ろからそっとハグをする。

そのまま生きてればぜんぶ大丈夫だから、今を駆け抜けて、存分に味わって、安心して未来においで。

私たちは階段を降りて最後にもう一度ひまわり荘に手を合わせ、下北沢駅に向かう下り坂を、手をつないで歩いた。

〜第二話・完〜

【追伸】

撮影から4年後、グシャノビンヅメはモントリオール・ファンタジア国際映画祭で賞を授賞した。映画祭の広い会場は、グシャノビンヅメを見るために集まった観客で満員だった。

大きなスクリーンに映し出される自分の姿。エンドロールが終わった瞬間、色んな国から集まった観客たちがみんな立ち上がって、私たちに向かって口笛を吹き、拍手をしていた。会場が割れそうなくらいの大拍手にしびれながら、この音が4年前の自分に届きますように、と願った。

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