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2月14日、母とデートする。

「わるいねぇ。ありがとうね」

繰り返し言いながら目を細める母に「いいよ〜」と答える。そういえば、いつぶりだろう。父が仕事の間の半日、母とふたりでゆっくりと過ごす。デートである。しかも、何も予定を決めていない。最高の空白だ。さて、どうしようか。

「なにしよっか」
「そうねぇ」

ホテルの待合室でふたり、どちらともなくとりあえずあくびをした。テレビだけがしゃべっている。

窓の外は、冬とは思えない陽気だ。天気予報は初夏くらいの気温になると言っていた。カタンカタン。新幹線とモノレールがせわしなく行ったり来たりしている。その横で、大きすぎて距離感がバグるクレーンが、上がったり下がったりを繰り返す。駅前の開発がどんどん進んでいるらしい。

そういえば、東京タワーから海に抜ける通りは朝早くから溢れるくらいの人が歩いていた。何回か来たことがある場所なのに、うっかり出口を間違えたら全然違う街ですぐに迷ってしまった。ちょっとした敗北感を味わいながらグーグルマップを開く。何回か角を曲がると東京タワーが今日も偉そうに建っていた。やあやあ、まったくである。

先ほどはどうも……と、窓から先っぽだけ顔を出してる東京タワーに嫌味を送る。下を見ると、庭師さんだろうか。何人かが木を囲んで作業をしていた。猫車を押す人、池に入っていく人、ゆっくりと走る軽トラ。こんなふうに何度も見てるのに、母とは行ったことがないかもしれない。

「天気もいいし、あそこにお散歩行こうか」

100年。

旧芝離宮恩賜公園は東京都が管理する都立庭園で、大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園にはじまり、宮内庁管理の離宮を経て、公開からなんと100年らしい。パンフレットからそのまま書き写したから詳しい歴史はわからないけれど、100年はすごい。ぽっかり門をくぐると港区とは思えないくらい一気に時間が鈍化した。

「ごゆっくりどうぞ」と受付のお姉さんに見送られて中に入る。すごく広いわけじゃないけれど、世界が変わって空気が澄んだ感じが心地よかった。
これで150円、シニアは70円は安いなぁ。開園すぐに入ったから、わたしたち以外はほとんど誰もいなかった。庭師さんのほうが多いくらい。のんびりしたカモの浮かんだ池をぐるり周りながら、たくさん話をした。

「お父さんは仕事?」
「うん。お昼すぎには戻るって」
「ふーん、そっかそっか」

石畳みの道をゆっくりと歩いて、咲き始めた梅の花を見たり、ときどきベンチに腰掛けたり。ところどころ掛かってる橋を渡るときはちょっとした冒険でドキドキした。

「大丈夫?」
「うん、平気よ」

大きめの段差に「よいしょ」と意気込むのに、思わず手が出た。もう思い出せないくらい、何年ぶりかに母の手を掴む。少し強張った年月を感じる手と新しめの結婚指輪。

「これ、いつ見つけたんだっけ?」
「さぁ、いつだったっけ」

なくしたら大変とつけずにしまっていたらいつの間にかなくしてしまって、それから十数年が過ぎ、金婚式だかなんだかで父があらためて買い直した指輪だ。

「ほら、大丈夫でしょ?」

笑いながらピース。昔からのおっちょこちょいでチャーミングな母なのだ。

「なんか久しぶりにこんなに太陽浴びたかも」
「ふふふ、働いてると案外そうかもねぇ」

家族の話、最近のこと、思い出話。とりとめなく話しながら歩いてたら、気がつくと一時間も散歩していた。

「いやぁ、ほんと子どもらは日に日にやんちゃでして……」
「そうねぇ。でもまあ、あんたたちもそうだったからねぇ」

ベンチに座ってぼーっと遠く眺めていると、変わらず新幹線はガタンガタンと通り過ぎ、クレーンが上がったり下がったりしていた。上着は暑いくらいだけど、日陰は肌寒く感じる。

「ちょっと疲れたね」
「そろそろ戻ろっか」

お手洗いに寄ってから、もう一度門をくぐる。受付のお姉さんが手を降ってくれた。

「お父さんは仕事?」
「うん。お昼すぎには戻るって」
「ふーん、そっかそっか」
「大丈夫だよ、もう少しで帰ってくるよ」

今日、何度目かわからない質問に意識して答える。

母は認知症になった。

「お生まれの年を答えていただければ大丈夫ですよ」
「えっと……」

庭園の受付でシニア料金でと伝えたけれど、母からお財布を借りてみたら証明書的なものが入ってなかった。そういえば父がすぐ置き忘れちゃうから最低限のものだけ入れてると言っていたな。困った。まあ別に一般料金でも全然言いのだけど、言ってしまった手前なんとなく気まずい。

「お答えむずかしい感じでしょうか……?」
「そうですね。あの……」

あー、どうだっけ?「母は認知症で……」でいいんだっけ?本人を目の前に話していいんだっけ?伝えていいんだっけ?ってかそれを伝えて何になるんだっけ?いろいろ考えた結果よくわからなくなり、瞬間まごまごしてしまう。
誕生日はわかるけど、親の生まれ年を聞かれてすぐに答えられなかった。ああ、こんなに知らないんだ。母のことを。

なんとなく察してくれた受付のお姉さんが「何歳ですか?」と聞いてくれる。◯歳なら昭和何年で〜まで言ってくれたのに、焦ってしまって答えられない。65歳以上なんですけど……えっと……。悪いことをしてるわけじゃないのに、気が急いてどんどんドツボだった。だんだんクイズみたいになって、◯歳?昭和何年!みたいな問答ののち、「あ、正解!」みたいなテンションでシニア料金にしてくれた。

「お世話さまです〜」

母がニコニコ言うと「はーい、ごゆっくりどうぞ」と、また笑顔で答えてくれた。ありがたくて、申し訳ない気持ち。ほんとすみません……と伝えると「いいですよ〜。あ、パンフレットはそちらです」と優しく教えてくれる。

「お父さんは仕事?」
「うん。お昼すぎには戻るって」
「ふーん、ほんとかな?」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと帰ってくるよ」

ふーん、としかめっ面をする母は認知症だ。数ヶ月前に認知症の診断になり、要介護の認定もされた。60分に一度はトイレにいかないといけなくなった。不安からかこれまで母から聞いたことのない嫌味を効くようになった。今目の前に見えているもの以外は想像しにくくなった。

たとえばトイレ。30代も後半になった今日、はじめて母と一緒にトイレに入った。そうしたら、トイレの蓋が閉まっている。閉まっていると、それがなにかわからない。今目の前に見えている情報以外が思い浮かべられない。トイレの蓋をかけて、目で見て、はじめて「ああ、トイレか」とわかる。そんな感じ。
しばらく一緒にいるとだんだん会話がほつれていったり、噛み合わなくなってくる。母は、遠い思い出を昨日のように、さっきのことをなかったように話す。

「うーん、まいっか」
「そうね!」

会話が行き止まりになると、まいっかで二人して笑った。そろそろ帰ろっかと伝えるたら、「わたしたちはいいけど……」と返ってきた。

「おっかさんは大丈夫だろうか?帰ってこれる?」
「おっかさん?」
「うん。ほら、さっき横にいたでしょ?」
「うーん……」

疲れが出てくると、なかなかに会話の難易度が上がってくる。あーでもないこーでもないいいながら話していくと、わたしが高校生のときに亡くなった父方の祖母のことだった。おっかさんとか呼んでたっけ!?まじか。全然わからんかったわ。

「うーん、たぶん大丈夫よ!大人だし!」
「そうね。まいっか!」

こんなときに他人を心配してる母も、それはそれと力技で乗り切ろうとしているわたしも、二人してなんとなく可笑しくて笑いながら歩く。みんなそれぞれおっかさんがいるよね?そうねー。わたしのおっかさんはあなたやで。そうねー、たぶん。たぶん!?ふふふ。なんて話ながらホテルに帰った。

「今日は◯◯商店街を街ブラします〜!」

テンション高くリアクションする芸人さんと芸能人の昼番組を観ながら、これ誰だっけ?アグネス・チャン。あー、チャンね。アグネス・チャンをチャンっていつ人はじめてだわー。ふふふ……と、10回くらい話してるうちに、いつの間にか母はうとうとしていた。

「お母さんの好きなものってなに?」
「えー、なんだろう」

食レポする芸能人を観ながら、あらためて聞いてみる。母の好きなものってなんだっけ。

「甘いものとか?」
「うーん、甘いものは、そんなに……」
「えっ、そうなの?!」
「あれば食べるけど、特別ってわけじゃないかも」
「そうなんだ、好きだと思ってた」

お肉と茄子が嫌いで、それ以外のごはんはなんでも食べる。嫌いなものは知ってるのに特別な好きって知らないのかもしれない。

「あ、そうだ」
「なになに?」
「好きなものはね……」
「うん?」

「お父さん」

ふふふ、と笑いながらまたうとうとしはじめたははの横顔に、「なーにいってんだ」と照れながら言う父の姿が瞬時に重なった。数時間後、帰ってきた父がまったく同じリアクションをしたのは言うまでもない。

「ふふ、なんだか場違いだね」
「そうだね、場違いかも」

少し早めのお昼を食べに来たら、気がついたら周りがビジネスパーソンばかりになった。首からIDカードを下げたスーツとビジネスカジュアルに囲まれながらラーメンをすする。

「お父さんは仕事?」
「うん。お昼すぎには戻るって」
「そっかそっか」

何度も何度も同じ話をしているわたしたちは、どう写ったのだろう。

それからホテルに戻ってゆっくりしているうちに父も帰ってきて、なんとなくテレビに流れてきた2時間サスペンスを3人で観た。伊東四朗と羽田美智子の刑事もの。過去の事件で誘拐された女の子とそれを巡る殺人事件の話で、建設中のスカイツリーと偉そうな東京タワーが今と変わらずに出てきた。

「スカイツリーが東京タワーと同じ高さの頃になったときに、お母さんと八丈に戻ったんだよな」

ちょうどそのときに、わたしは東京で一人暮らしを始めた。もう何年前だっけ?時間は距離をなくして、取り出せる思い出のひとつになっていく。

そう、そのときも上京してきた母とよく遊んだっけ。映画好きだったわたしに付き合って、一日何本も映画館を一緒にはしごしてくれた。マトリックスリローデッドを一緒に観たときは気恥ずかしいやら申し訳ないやらでごめんだった。

「島にはないからねぇ。たのしい!」

幕間で買ったホットドッグを頬張りながら母は言っていた。でもだいたい映画の途中で寝てしまい、クライマックスだけ起きては感動していた母。映画館を出てごはんを食べながら、あらすじを伝えると「なるほど、そういう話だったんだね〜」と追い感動していた母。60分に一度はトイレに行かないと行けないから、もう映画館は難しいかもしれない。あのときは母に会うのはまったくのノーガードの安心だけだった。今は、やっぱりほんの少し、いやだいぶ緊張する。緊張してしまう。

でも、横でしっかりうとうとしていたあと、2時間サスペンスのクライマックスの伊東四朗の演説に涙を浮かべていた。変わってるようで、変わらないところも、きっとある。あるんだよね。たぶん。

もし、わたしがだんだんなんにもわからなくなって、認知をなくしていって、最後に残るのはなんだろう。なにが残ってほしいだろう。

「ありがとうね」

ありがとう、が残るだろうか。よくわからなくても誰かにお世話さまと言えるだろうか。誰かにやさしくあろうと思えるだろうか。大好きなよは父かなってはにかみながら言えるだろうか。こころの芯に残るのは、いったいなんだろうか。

「それじゃあね。また遊びに行こうね」
「そうね、楽しかったね!」
「それじゃ、またね」
「うん、気をつけてね」

じゃあね〜、ありがとうな。
手を振る父と母に答えて、部屋を後にした。

また。
うん、またね。

またね、の重量は年々変わっていく。
母は今日のことも、きっと明日には覚えていないだろう。
でも、それでも。
これからも楽しかったね、を積み重ねていく。


いきたい。


おわり。

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