スバル座の輝き。
また、映画館がなくなる。
2019年10月20日。
有楽町スバル座が閉館する。
小さい頃から、ここでいろんな映画を観た。
そして、息子くんが生まれるまで奥様が働いていた場所でもある。
私と家族にとって思い出のある映画館だ。
有楽町の駅を降りて、ビックカメラがある交差点の先、いつもちょこんと立っている赤屋根の案内板が目印。
席数272席。大きなスクリーンがひとつだけ。
今は殆ど見ない入れ替えなしの全席自由席。だからいようと思えば一作品一日中ずっといられた。
もちろん、インターネット予約もムビチケも使えない。クレカも不可のニコニコ現金払いのみという、時が止まったような映画館だったけど、そのスクリーンがほんとに止まる。
スバル座は、老舗中の老舗映画館だ。
その前身「丸の内スバル座」から数えて73年、有楽町スバル座になってからも53年、ここで映画を上映している。
私の中では、映画といえば有楽町だったから「有楽町といえばあの赤屋根」がなくなるのは、さみしい。
遡ること1946年、丸の内スバル座は戦後GHQの民主化を進める動きのなかで東京都知事の認可で建設されたそうだ。
戦時中は空爆を避けるために大規模建築は禁止されていたそうだから、大きな劇場はさぞかし壮観だった思う。
しかし、建築資材も乏しく突貫で作られたこと、完全に木造建築だったこともあり、1953年にスバル座火災により完全に焼失。
その跡地に建てられた有楽町ビルに、名前を引き継ぐ形で現在の有楽町スバル座がある。
小さい頃は、東京に出てくる時に映画に連れて行ってもらうのを楽しみにしていた。
映画を観ることは年に何回もない、
一大イベントのひとつ。
生まれ育った八丈島から上京すると、船でも飛行機でも浜松町に出ることになる。
近くの映画館というと上野か有楽町になり、
ここにもよく連れて行ってもらった。
見たこともないくらいでっかいスクリーン。
学校よりもたくさんの人がいて、
みんなが同じシーンでドキドキしたりハラハラしたり。
観終わった後、ぞろぞろと映画館を出ながら「あそこはこう。ここはああいうこと」とか話してたり。
映画を観たー!!という満足感。
シネコンも便利でいいんだけど、みんなで映画を観るって体験は、断然、映画館だと思う。
東京に出てきてからもちょくちょく観に行ってたけど、上映がだんだん邦画が多くなって、足が遠のいていた。
それでも時々めちゃくちゃ面白い映画をやっていて(オーガストウォーズとか)、年に数回は観に来ていた。
もっと、もっと観にくればよかったな。
閉館のメモリアル上映のラインナップもなかなかのセンス。笑
閉館記念グッズが、水だ!!すごい!!笑
「すばるざの輝き」
左右に今と昔のスバル座がデザインされてる。
黒部の湧水。
よく寄ってたコンビニとか、
いっぱい通ってたお店。
学校。飲み屋さん。ライヴハウス。
映画館。
そういう、いつまでもあると思っていた場所がなくなるのは、とてもさみしい。
スバル座で最後に観たのは、
『地上より永遠に』
1953年の映画。スバル座火災があった年の映画。もし上映されていたら、66年前、丸の内スバル座の木造の劇場で、同じ映画を誰かが観ていたかもしれない。
どんな気持ちでスクリーンを見ていたのだろう。
慌ただしい毎日のなかで、たしかにスバル座のスクリーンはかがやきに溢れていたと思う。
そうあってほしい。
いつだって、いつの時代だって、私たちは映画を観ている間、幸せなれるから。
時代を代表するような映画を、
みんなで同じ時間と空間で観られる。
それが映画館の素敵なところだけど、
そんな場所は、どんどんなくなっていく。
やっぱり、さみしいなと思う。
すごく、さみしい。
ありがとう、スバル座。バイバイ。
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