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旅をすることⅠ -Life could be a dream-

“Life could be a dream”
「人生は夢かもしれない」
そんな言葉に出会った。

職業柄、他のダンスカンパニーが踊る舞台を見ることが多々ある。その中の一つの舞台で出会ったこの言葉。ご存知の方もいるかもしれないけれど、The Cordsという50年代の4人グループによる“Sh-boom”という曲の冒頭の一節。
映画”Cars”で流れる曲、と言ったほうが馴染みがあるかもしれない。
今生きている人生そのものが、もしかしたら夢であり、当たり前ではない事実なのかもしれない、と言うメッセージに思えた。

当たり前が当たり前ではないという日常。 仕事柄、日本を出てどこか他一国に旅をしても、関わる人々は世界各国からの人々で、複数の他国民を通して、それぞれの国に触れていると感じる。 自分にとってありふれた日常が日常でなく、自分にとって当たり前の価値観やルールが当たり前ではなく、共通するものが存在することすら珍しい。

ただ一つ同じなのは、人間であるということ。

考える力を持ち、感じる心を持ち、察するセンスを持っていること。考え方や感じ方、価値観はそれぞれ異なったとしても、愛情に溢れ、気遣い合い、知識を交わし、 涙を流す事も知り、笑い合う喜びも知っていると言う事。

愛情の形が様々であることの一つとして、LGBTの例がある。LGBTが話題になることが増え、“好き”の対象もまちまちである認識も増えたことを嬉しく思う。
認識が増えれば、それと相まって嫌悪を抱く人も増えているだろう。それはまた別の話だけれども・・・。私個人としては、職場でも、そんな自由な“好き”があふれていて、そんな人たちと触れ合える機会があることを、嬉しく、そしてありがたく思う。

そんな時、“coming out”という言葉を耳にするようになり、違和感を覚えた。要するに、”好き”の対象が異性でないと自分で気づき、それを周りの友人だったり家族 だったりに、”お知らせ”することを言うのだけど。
当たり前はいつから存在しているのだろう。”こうあるべき”は誰かが作ったものに過ぎないんじゃないだろうか。

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