見出し画像

産院のほうとう

初めてのお産は個人病院でした。
古くからある産院で、昔はたくさんお産があったようだ。

私が出産する頃には評判が悪くなっていて、婦人科で受診する人は、少なくなっていた。産婦人科の看板を掲げているが、皮膚科小児科で、受診する患者が多かった。

21才という何もわからない私が、飛び込んだ病院だった。
周囲がお産を経験していれば、どんどん耳年増なるだろうが、本当に何も知らなかった。先輩から、もらった本一つだけの知識だった。

陣痛が来て入院すると、
誰も入院してなかった。
大部屋一つと、個室が6つくらいとナースステーションには誰もいなかった。

昼下がりに入院し、食事を作くってくれる栄養士さんが、帰ってしまったからと、院長夫人が手作りして下さったのが、
ほうとうだった。
初めて知って、初めて食べた。
美味しくて暖かくて、お産で不安だった私はホッとした。
山梨出身である事など話して下さった。
この味が、忘れられない。その後も、ほうとうは食べた事がない。

この話自体何年の話かというと、30年前、平成5年の話です。数年後、レディースクリニックという名前をよく聞くようになり、個室で豪華な食事、おやつが出る時代がくる。

しばらくすると、お産婆さんが、来てくださった。
助産師ではなくお産婆さんだ。大正生まれのおばあちゃんだ。

お産は、何も知らず、呼吸法などなく、本当に自然分娩だったと言えるでしょう。

3925g。「大きい赤ちゃん、産まれた。」と、看護師さん、事務員さんと、かわるがわるに見にくる。

お乳は通常3日目くらいから出るらしい。
そんな事も、知らなかった。2日目には、胸が張って「教えくれなきゃ。」と院長夫人に怒られて、絞られて痛かった。
「次、赤ちゃん起きたら、飲ませ方教えるから、ナースコール押して。」と言った。
が、次、娘が起きて、ナースコールを鳴らせど、来ない。ぎっくり腰だったらしい。
ナースコールが鳴りっぱなしの中、私は一人で飲ませようとしたが、初めてなので、できなくて情けなかった。

退院する時、臍のが、まだ取れてない所から、院長が何か話し始める。
長い感動の物語だ。
院長が、救った親子の物語だ。出生の秘密のナイーブな話だ。ざっと50年前の話で、もう語ってもいい所だが、今回の「元気をもらったあの食事」の話を越えてしまう。ドラマ化映画化されそうなので、またいつかという事にさせていただきます。

ただ、その話は、ほうとうのように、一人ひとり合わせて臨機応変、温かみ持って接して、この院長夫婦でなければ、できなかった物語です。

そしてだからこそ、悪い評判もついてきてしまうのでしょう。

今は、娘さんが、皮膚科として引き継ぎたくさん来院されています。

お世話になりありがとうございました。


#元気をもらったあの食事

いいなと思ったら応援しよう!

なゆた
ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?

この記事が参加している募集