【エッセイ】私のエッセイとは。
初めて「エッセイ」という、
スミカッコ付きのタイトルで始める。
これまでの記事も「エッセイ」だと思うが、
タイトルに入れることで、表立って『これはエッセイです!』ということになる。
noteを始めて7日目にして、
「エッセイ処女」卒業の日だ。
ちょうど1週間ということで、
区切りがいいのかもしれない。
私は見習い「エッセイスト」として、
新たな出航をしたわけだ。
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これまで「エッセイ」というものを、
あまり読んだことがなかった。
特定作家の「エッセイ」はあるが、
「エッセイだから読もう」とはならなかった。
その作家が好きだから、
ついでに読んでみようかな、という感覚。
「エッセイなんて日記と変わらない」
これまでそう思っていた。
そして、私の興味関心を引くことはなかった。
私は、このnoteで何かを書こうと思った。
書いていくうちに意図せず、
ほとんどの場合で私自身の体験モノとなった。
フィクションである「小説」を書いてもよかった。
しかしこの後記事にするが、現在小説に対し、
私の心は離れてしまっている。
そうなると書くべきものは、自然と「体験」モノとなる。他ならぬ私自身の「体験」ということだ。
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noteを書き始めると、誰もがそうであるように「ネタ」探しを始める。
この世に生を受けて短い歳月ながら、
いろんなことを考えて体験してきた。
書きたいことは山ほどある。
いざnoteを書き始めると、
どんどん筆が進む。
こんなに文字を書けるのか、
という気にさえなる。
これほどスラスラと「ネタ」が出てくるなんて、
これは暗い森の中を模索していた私の人生に、
手を合わせて感謝するべきものだと思う。
私を産んでくれてありがとう。
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ほどなくnoteを書き進めると、
「体験談」というのが「エッセイ」と言うことが分かってくる。
私は自分の書いているものが、ただの「体験談」であり、「エッセイ」と意識したことはなかった。
「エッセイ」とは以下のことらしい。
ということで、私のここまでの記事は「エッセイ」ということになる。
ここまで長々と「私の文章はエッセイ」と主張してきたが、正直「エッセイ」だろうが「日記」だろうが「随筆」だろうがどうでもいい、と言うのが本音。
このバラバラとした、
とりとめのない文章でも許されるのが、
「エッセイ」の魅力。
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私は、暗く出口のない森の中の木々を
必死にかき分けていた。
しかし、私はいま、その暗中模索の自分を
明るい空の上から眺めることができるのだ。
それだけでいい。
つづく。
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