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過去は消さない。

「タイトル」をしばらく考えていた。
いや、それは「タイトル」ではなく「表題」のことだった。

タイトルそのものは決まっていたが、
一行目に言う言葉が決まらなかった。
結局何も浮かばずに、そのまま綴る。

ただそれだけのこと。

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『過去を消せない』というのは、この世の事実。
それは「真理」ということなのか、
私はまだ無知なため、その辺の言葉の定義まではわからない。

過去「を」消さない
過去「は」消さない

どっちの言葉でタイトルをつけようかと思ったが、
どちらが正しいのだろうか。

そもそもこの文章はどちらも正しいものだけれど、
今使うのはどちらなのか、ということ。

1分25秒くらい真剣に悩んだあげく、
「過去『は』消さない」とした。
ほぼどちらでもいいが、『は』のほうがしっくりきた。

理由は書こうと思えばかけるが、
またダラダラと長くなるので割愛。

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私がこの「過去」と呼んでいるのは、
0.000000000001秒前より以前の「すべての事象」のことだ。

全員が全員、そんなの当たり前だろと思っているかもしれない。
しかし当たり前だと思っていても、
どこか頭の片隅には「過去『は』消せる」と思っている節がある。

なぜ私はそのように思うのか。
それはSNSをやっていると実感が伴ってくる。

Xでは当たり前のように「ツイ消し」という行為がある。

今はTwitterではなくXであり、ツイートではなくポストなので、
「ポス消し」という言葉なのだろうかわからないが、
とりあえず「ツイ消し」と呼ぶことにする。

意味はお分かりの通りかもしれないが、
過去につぶやいたツイート(ポスト)を消すという行為だ。

ここでは、この行為を賛否するわけではない。

実際に「ツイ消し」という行為があり、
それは「過去に自分が発したことを削除」しているという事実だ。

過去に感じたことをつぶやき、
現在に感じたことと相違があればツイ消しを実行。

「LINE」も同じく、トーク削除機能がある。
送る相手を間違えた、誤字脱字があるから等々
Xの「ツイ消し」行為と同様に、理由は様々ある。

どんな理由であれ、
過去に自分が発した何かを削除が可能なのである。

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SNSは、正解を書き殴る「学校のお勉強」「仕組みを理解するテスト」等とは性質が異なる。
アナログで削除する行為は、
「消しゴム」「ペンで二重線」「破って捨てる」等がある。

SNSは、基本的に今の心情をつぶやいたり撮ったり、
正解のないことを「第三者に見せるという行為」となる。

過去に、自分の中に感じた思いを削除する。
それは「過去を消すことができる」という気持ちが、
0.0001%でも発生しているのだと思う。

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『削除』が続いたらどうなるのか。

特になにもないかもしれない。
当たり前だ、なにもないのだろう。
全然心配いらない。

ただ、もしかすると。
最期の瞬間に「過去『は』削除できない」
という気持ちが本当の意味で理解をし、
それまでの自分を顧みるのかもしれない。

そこには、どのような思いを感情を思考を
振り返ることができるのだろう。

最期に「削除」ぽちっ、と。

つづく。

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