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【歌詞の考察】のびしろ CreepyNuts

日本にいたらこういう歌詞に気づかなかったんじゃないか。
表現力というか、切り口一つで変わるという発想に驚いた。


1.ラップを聞く機会もない

アルゼンチンの家では、日本で馴染みのある曲をAppleMusicで聞いていることが多い。CreepyNutsという存在は知っていたけれど、印象があるかというとそうでもない、そんな位置づけの記憶だった。


2.まず曲名の「のびしろ」

平仮名表記のせいかもしれないが、日本にいたら何とも思わなかったと思う。漢字じゃなくて平仮名、そんな意味があるのかなとも考えさせられる。

あえてこの言い方をする、同じ意味を持つ言葉がこの平仮名で全く色が変わる言葉になるんだっていう発見。

カッコのつけ方 調子のこき方 腹の据え方 良い年のこき方
脂乗りに乗った 濁った目した だらしない身体
嫌われ方や 慕われ方や 叱り方とか 綺麗なぶつかり方
もっと覚えたいことが山のようにある・・ のびしろしか無いわ

Uta-Netより

3.若者から大人への主張だと思っていた

ラップという思い込みでそんな切り口だと思っていた。良く聞いていると、いい大人に対しての伸びしろを訴えているように聞こえた。
大人になると、課題がストレスになり上手く立ち回ろうとする。できない事を課題と思うのではなく、自分が初心者であることを認めた上で「のびしろ」がそこにあると考えるということのように思えた。

自分にとってできないことがのびしろであるということの認識。大人に囲まれていると、見栄を張ることを覚えてしまう。19歳で20歳になる自分を「とうとう」と思うか、「いよいよ」と思うのか。若者の清々しさはむしろ捨てちゃいけないと言っている気がする。

4.そしてこんなことも

身の程を知るほどに
胸を張りいつも通り
でも時にしたっていい背伸び
やっと「大人げない」が出来る年
小さな枠組み ただの数字
縛られずにでも腹くくり

「大人げない」に憧れることもあれば、ただの数字なのに一喜一憂するだけのために上手く立ち回る大人の姿の違和感。日本の社会の仕組みがそうさせているという事でもある。

5.そこでは誰でも初心者

今までのことが通用しない場所では、みんな初心者である。そこで表現することを「のびしろ」と思えるかどうか。忙しい自分を「充実している」と鼓舞できるかどうか、それは言葉一つで支配できるということ。
普段自分の口から出る言葉に変化をつけてみると、自分の立ち位置に気づくことができるかもしれないと感じた歌詞だった。


6.最近聞かれること

「アルゼンチンはどう?」と聞かれることが多くなった。返事に困っていたこともあったが、最近は「不便なことも含めて慣れてきた」と言うようにしている。自分を中心にアルゼンチンを見ていたら「のびしろ」はない。アルゼンチンというカテゴリーに自分から飛び込んだからこそ、自分の「のびしろ」に気づけるんだろうなって感じている。
「日本がちゃんとし過ぎている」という表現、自虐的ではあるけれどそういう世界もあるという経験を重ねている。不便な中で生きること、そんな初心者になっていけると楽しいのかなって思えてきた曲との出会いだった。

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