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アルゼンチンのフットサル 親子関係とフットサルの存在

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アルゼンチンの育成年代のリアルタイムな情報、日本との違いなどについてここからお送りしています。


1.アルゼンチンとフットサル

アルゼンチンのサッカー文化の底辺の広さの秘密はフットサルにある。5歳くらいから、室内コートでフットサルに参加してサッカーの楽しさを身につける。これは男女関係なく、楽しく始めることがスタート地点になっていく。日本で言うなら初めてグローブを買ってもらってパパとキャッチボールする、そんな感覚で、フットサルと通じて友達を増やしていったりすることも学びの一つとなっていく。自然とサッカーが生活の一部になる環境が整っているのがアルゼンチンなのである。


2.親主導で始めるのがフットサル

動画のダイジェストを見ていただくと、大人たちの熱狂ぶりが伝わると思う。その興奮に煽られる形で子供たちも呼応するようにプレーする。観客席との近い距離感や雰囲気もそれを増長していく。

動画でもわかるが、大人たちの興奮もすごいのがアルゼンチン。観客の親がレッドカードで退場させられたり、本部席で時間を計測する関係者が警告を受けることも日常茶飯事だったりする。
我が子がケガしてコートに座り込んだら、ベンチよりも先に親がコートに走り込んでくる。良し悪しはあるが、見守られている安心感で子供もプレーできる環境であることは間違いない。


3.週末は興奮の試合観戦

子供にフットサルをさせて、親はそれを観戦して熱狂する。そんな時期を幼少期から過ごしてサッカーの地盤を作っていく環境。

ちょっと感心するのが、日本と違って大人が飲酒しながら観戦するを見たことがないということ。これだけ余興の要素があると、日本人なら必ず酔って参加する人がいるものだけど、アルゼンチンにはそれがない。そう、大人が素面のままで熱狂しているのである。


4.審判は必ずプロを雇うのがルール

チームによっては副業として指導者(コーチ)を兼ねる人もいるようだけど、審判は必ずその試合用に雇われた人を起用して中立を維持する。ここのこだわりが日本とは大きく異なるポイント。

試合前の独特の空気感

5~6歳の試合でさえも、審判はプロに委ねられる。この中立性で子供たちは試合中は自分で解決するという現実を学ぶ。ダメなものはダメ、どうしてダメなのかをジャッジできるのが審判であり、そこに親子(顔見知り)の甘えを持ち込むことができない。日本にいた頃は、正式な審判に委ねる試合に参加するまでに、高学年の公式戦まで会う事がなかったような気がする。


5.試合が終われば

審判であろうと、敵チームの関係者であろうと良いプレーをした選手に、試合後は遠慮なく声をかけていく。熱狂的な自チームへの応援の裏では、きちんとスポーツマンシップの精神も兼ね備えている。

子供の日にいただいた水筒

相手チームの「Bueno!」が心地いいほどに励みになる。日本人だから目立っているとも言えるが、相手の目に止まるプレーができる選手でなければいけないと思ってプレーしている。
そうなると、相手のマークも当然厳しくなるしケガもする。そういう対応との距離感も経験に変わっていくもの。自分が良ければ、というプレーは必ず淘汰されていくのがアルゼンチン。「相手も仲間も称える」気持ちが小さなフットサルコートの中に詰まっている様な気がするし、そこがアルゼンチンのサッカー人口の底辺の広さを支えている一因だと思う。


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