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「ムカつく」って言葉の向こう側


1.そんなきっかけだった

サッカーの帰り道に「ムカつく」って口にしたHaru。
そこには何か原因があるんだろうけど、いざ言葉にすると「ムカつく」以外の表現がないまま、ただ単に「ムカつく」と言ってしまう。

日本語と言うべきか、造語と言い表すべきなのか。「気持ち悪い」「それな」とかも何かにつけて表現する。正しい使い方を教えるべきなのだろうが、それがどういう意図なのかを探ってみようって思ってみた。


2.便利な表現なだけ

結局は「ムカつく」と発信することで半分は気持ちが和らいでいる。アルゼンチンでサッカーをしていて、こっちは言葉を聞き取れていない状況でそこまで「ムカつく」はずも無いと思っている。スポーツは失敗を重ねて経験に変えていくものだから、瞬間的に「ムカつく」ことだってあるんだってことは本人も理解はしている。
でも、そこに意味を持たない「ムカつく」には何の進歩もないことだけは伝えてあげたいって思う。「誰に」「何を」を省くことの多い日本語の悪いところかもしれないが、なぜ?に答えられない安直なの表現はするべきではないということ。



3.思春期でもあるだけに

言葉よりも態度に出てしまうのも仕方ないと思っている。アルゼンチンでの父子生活なので、時間を置いてから「なぜ?あの時?」を振り返る時間を大切にしている。
すると「自分でもわからない」って最近言うようになった。ここに気づくことがすごく大切で、理由もわからないままにただ「ムカつく」っていう状況があるという心理を学ぶことが重要。
その時はすごく大きな出来事だったのが、時間が経つとその原因すらも記憶から無くなってしまう。人間は忘れる生き物であるということを知ることも自分をコントロールする上で大事なことだなって思う。


4.自分の機嫌は自分で取る

誰の言葉かわからない。でも、結局そういう事だと思う。サッカーをしていると、プレーと関係のない時間から気持ちがざわざわしてしまうこともある。そういう時にメンタルが引っ張られるのか、自分を客観視できるかで結果が変わってしまうこともあることの学びの機会。
ケガをしてしまう状況、そんな時も自分の肉体的なパフォーマンスと気持ちのバランスが取れていない時に起こることが多い。不可抗力もあり、全てではないが肉体的な要素が気持ちを超えてしまうことだってある。
調子の良し悪しと、バランスが良くない時の違いを自分で感じることのできる年齢がどこなのかはわからないけど、そこに気づくのは自分でしかない。


5.ケガや失敗で学ぶこと

小学生の低学年から高学年に差し掛かると、「疲れ」が認識できるようになってくる。低学年では疲れがどんな状況なのかを意識で理解できていないとも聞いたことがある。
Haruのケガを振り返ると、ケガ自体に何か原因があるワケではない。でも、その前後のメンタル的な要素でバランスを悪くするような状況を作ってしまっていることは必ず共通している。
それは無駄にテンションが高いとか、荒々しい言葉使いになっていたりとかという事にも言える。そこをいつもニュートラルに導く方法を考えてあげたい。
逆に言うと、Haruの人生で一度切りの骨折(鎖骨)の時もそうだったが、サッカーの調子は今までにないくらい良かった。ちょっと怖いくらい調子の良い時期があった。調子の良い時のメンタルが肉体のパフォーマンスを超えてしまうということを目の当たりにしたのがその時だった。


6.言葉には力がある

「ムカつく」と言ってしまえば終わること。言った側はそれだけかもしれない。でも、言う側も聞く側にも何も得るものがない言葉。そういう言葉が、世の中にはたくさん溢れている。そういう無駄な言葉を口にしないことから日常生活を心がけて行こうと思う。
アルゼンチンでは日本語を使う機会が減っている。親子でしか使わない日本語だけど、粗末に発する言葉が自分を下げてしまうことがないような生活習慣って必要なことだと思うから。
言葉を変えるだけで、前向きになれることもたくさんある。「疲れた」じゃなくて、「疲れたけど、もう少しがんばろう」って、あえて言葉を変えてあげるだけで景色が変わることもあるってことを伝えていきたい。

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