集会「差別は無くなるのか」についての私見

こんにちは。脳海です。


私が中学生の時に「どうすれば差別をなくせるか」を話し合う集まりに参加しました


地元の集会所で中学校の先生、町内の役員主催で開催され、小学生、中学生、高校生30人ほどが集まり5~6グループに分かれて約1時間話し合い、結論を発表しました


結果は、私のグループ以外は差別はなくならないという結論でした


ほとんどの方が「多くの多様な人がいる限り差別はなくならない」と言いました


当時の私は非常に衝撃を受けました

「どうすれば差別をなくせるか」を話し合っているこの場がまさに差別を肯定しているかのようにも思えてしまいました



以降目次別に差別についてお話いたします。





「多くの人」ではなくまず「自分」


なぜ「どうすれば差別をなくせるか」の集まりで結論が「差別はなくならない」となるのか?


私は今も考え続けています

この記事を読んでくださっている方にもぜひどうしたら差別はなくせるか、考えていただきたいです



私の意見は、多くの多様な人がいても「差別はなくせる」です



多様な人の意識を変える前にまず自分の意識を変える事です

どうやったら差別をなくせるかの集会で差別はなくならないと結論してしまう自分の意識を変える事です


差別は不可抗力ではないです

多様な人は1人1人から成っているからです


おそらく心の中に、差別の原因には明確な差別主義者がいて、それは日常で見ることはない

実態の見えない、触れる事のできない存在

自分の生活とは縁のない出来事

悪と善の世界は交わっていない

という風な認識があるのではないでしょうか


実際に社会心理学者の方々に広く研究されている、※「公正世界仮説」というものがあります

※「何の罪もない人々が苦しむ」という不合理な現実に出会った場合、「現実は非情である」とは考えず、公正世界信念に即して現実を合理的に解釈して「実は犠牲者本人に何らかの苦しむだけの理由があるのだ」という結論に達する非形式的誤謬をおこし、「暴漢に襲われたのは夜中に出歩いていた自分が悪い」「我欲に天罰が下った」「ハンセン病に罹患するのは宿業を負ったものが輪廻転生したからだ」「自業自得」「因果応報」「人を呪わば穴二つ」「自分で蒔いた種」


確かに現実で差別的なものはほとんど見ません

でもネットには人を平気で傷つけることを言っている人をたくさん見ます

バズっているツイートのリプライ欄には必ずと言っていいほど誰かが攻撃的に言い争っています


日本の治安の良さから考えて、おそらくネットで攻撃的な人も現実では攻撃的ではないんだと思います

ほぼ全ての人はある時善人で、ある時平気で人を傷つけるのです



多くの多様な人を構成している1人1人が、自分にも優しい面と傷つける面があることを自覚して、どうしたら傷つけないかを考えてコミュニケーションすれば、差別はなくなります


誰かも自分と同じくこの世に生まれて、心臓が動いていて、血が赤くて、感情を持っていると思えたら


DNAを例に考えると、人間同士はもちろん人間とバナナも50%同じDNAで構成されているようです ※出典



差別をなくすよう取り組んでいないのに、話し合っただけでなくならないと言うのは決めつけです

研究していない科学のレポートと同じです

まだ仮説しか立てていません


差別は人の意識であり、なくならないという決定も人の意識です

なくならないと言っている人の意識に差別はなくなりません


私は差別はなくならないと言う事は、傍観者ではなく差別を肯定している人のように思います



「差別の元」


冒頭で多様な人の意識を変える前にまず自分の意識を変える事です

と言いましたが、差別に至る気持ちの元を考えます


それは相手への無理解、無関心だと思います

その無理解、無関心を変える方法は私には分かります


差別の反対は思いやり、人を気にかけることです


コンビニやファーストフード店、その他の店員さんに面と向かってお礼を言っているか

同じクラス、職場の人、隣の家の人に挨拶しているか

公共交通機関では体の不自由な方や小さいお子さん、お母さんに座席を譲っているか

自分の意見を誰かに、人前に言う時、聞いている人はどう感じるだろうか


ギブアンドテイクのギブばかりじゃないかと思うかもしれません

でも実際にした方は分かると思います

自分にも何にも代えがたい多幸感が満たしてくれます

ギブしているようで自分がギブされたように満たされる感覚

それは人に思いやりが伝わった、コミュニケーションができたから嬉しいんです

私は接客業をしていた頃に挨拶やお礼を言われた時は嬉しかったです


テイクは人から与えられるだけではないんです

自分が思いやりを伝えて、自分が満たされる

与えているようで自分が幸せになっている


自分の発言、行動を自分が一番よく聞いて見て理解しているから

知らない利害関係のない人に優しいことをできる自分


これは1人ではできないことです


知らない人、顔見知り、友人、親友の壁がなくなるように感じませんか

生きている世界が広くなって深呼吸したくなるような感覚


1人の幸せに多様な人の幸せは不可欠です





脳海

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