見出し画像

私が農家になった理由part2~大学時代~

こんにちは、27歳、農家の千恵です。
前回の続きで、私が農家になった理由大学編です。
大学編と言いつつ私の価値観を大きく変えたあるプログラムのお話です。

地元の香川大学農学部に進学した私は、新入生ガイダンスで“SUIJI”というプログラムに出会います。

SUIJIとはSix University Initiative Japan Indonesiaの略で、日本の香川大学・愛媛大学・高知大学、インドネシアのガジャマダ大学・ボゴール大学・ハサヌディン大学の6大学が協働で行うサービスラーニングプログラム。地域に立脚して未来社会の持続的発展に貢献できる国際的なサーバント・リーダー(地域社会で献身的に活動できるリーダー)の養成を目的とする。日本・インドネシア両国の学生が、2~3週間にわたって共に農山漁村に滞在し、現実の課題解決に取り組む。8月に日本でのサービスラーニング、2月にインドネシアでのサービスラーニングが実施される。
(コロナ禍の今は外国との行き来が難しく、後輩たちはあまり活動できていないようです)

このプログラムは私が入学した年がちょうど最初の年で、第一期生の募集をしていました。担当の先生たちも探り探りだったと思います。
概要を聞いた私は「難しいことはよー分からんけど、安く海外に3週間も滞在できる最高のプログラム」と解釈、参加を即決しました。
青年海外協力隊に憧れていたこともあり、初めての海外が発展途上国の田舎でホームステイということにも不安は微塵もなく、ワクワクの完全勝利でした。


2014年、2月。初めての海外・初めてのインドネシアへの渡航の日を迎えました。
初めこそ「安く海外に3週間も滞在できる最高のプログラム」と思っていたものの、どうせ参加するならちゃんとやりたくて、自分なりに色々と考えて臨みました。

私が滞在させていただいたのは西ジャワのバントゥル県のスリマルタニ村、の村の中ではちょっと裕福なお家。とはいえ発展途上国です。
その辺を歩いている誰が飼っているのか(はたまた野生なのか)も分からない鶏が捕まえられて夜ご飯になって出てきたり、お風呂の体を流す水を溜めているところに金魚が泳いでいたり、挙げるとキリがないほどのカルチャーショック。

彼らは夜ご飯になった。


ただ、カルチャーショックを受ける事自体は想定内です。
私に変化をもたらしたのは、村の人の言葉でした。
地域の課題を解決し持続的な発展を目指すプログラムですから、まずは困りごとをヒアリングしなければなりません。
ところが、誰に聞いても「食べるものはあるし家族もいるし何も困っていない」というようなことを言うのです。

てっきり私は、お金が欲しいとか、服が欲しいとか、もっと綺麗な水が欲しいとか、道を整備してほしいとか、いくらでも困りごとが出てくると思っていたので拍子抜けしました。
日本から来た学生にそんなこと言っても仕方ないと思われているのかなと考えたりもしましたが、そうでも無さそうです。
だってみんな本当に明るい顔をしていて、仲良しで、陽気で楽しそうで、日本人よりよっぽど幸せそうだったから。
 

朝市の様子。多種多様な野菜と果物が並びます。
地域で必要な食べ物はちゃんと地域で生産出来て食べ物に困らないって豊かの極みじゃないかな。


これ以来、私の中には“豊かさ”って何なんだろうという問いがずっとあります。
先進国の人たちが発展途上国を発展させようとするのはこちらのエゴなんじゃないか。
私たちの方こそ本当に大切なものを見落としていないか。
日常の当たり前や小さな幸せを見つめ直すきっかけをもらいました。



余談ですが、私は出国前友達に「食べ物も口に合わんかもしれんし、お腹も壊したりするやろうから5キロ痩せて帰ってくる!楽しみにしといて!」と高らかに宣言していきました。

そして、帰国して体重計に乗った時、それはそれは驚きました。
痩せるどころか8キロ増えていたからです。

しかも、ちゃんとお腹壊して毎日のようにトイレと友達になってたのに。

帰りの空港での写真。顔パンパンです

原因はただ一つ、食べすぎ。一日3食の食事と朝昼の2回のおやつ、計5回の食事の残り物を私がほぼ全部平らげていました。 

だってホームステイ先のホストマザーが日本人が来るからと張り切って作ってくれてるのにみんな口に合わないもの食べられなくて残すから、勿体ないし可哀想だし。
もちろん私以外の他のみんなも残すことに対して申し訳ない気持ちはあったけど、どうしてもこれは食べられない…無理だ…っていうのが多々あって。
(インドネシアの料理?基本的に塩味があまりなくて、辛さと甘さが容赦なくて、その上調理段階の油の量がスゴイから胃がもたれる)
あと単純にお腹下してて食べられないとか。

でも私にはそれが無かった…(笑)
お腹壊してても関係なく、どんな料理出されても割となんでも美味しい美味しいと食べられた。
日本で同じ料理出されたら絶対ギブするようなごはんでも全然イケた。
どうやら私は外国に行ったら舌が順応するタイプみたいです。
我ながらどこでも生きていけるなって思いました。

これはアタリごはん(アタリはずれの表現はよくないけどね、ごめんなさいね)。みんなが残してたような奇抜なご飯の写真探したけどなかったです。
これはたぶん昼ご飯で、3時間後に甘~い餅みたいなハイカロリー炭水化物のお菓子が山盛り出てきたりします。



さて、それから2年後。大学3年生も後半になり、周りは就職活動のスタートを切りました。
何だかんだ私は青年海外協力隊で活動したいという想いはまだありましたので、就活解禁からもしばらくは協力隊について調べていました。

しかし、調べるほどに感じる違和感。
というのもインドネシアでの無力さを味わって以降、私の中での青年海外協力隊への興味はベクトルが変わっていました。
かつてはどちらかというと「相手のために」協力したいという気持ちが大きかったのですが、インドネシア以降の私は寧ろ自給自足について、生き方について、大量生産・大量消費ではない価値観について現地の方から学びたい、言わば「自分のために」という気持ちの方が大きくなっていました。
「教えるつもりで行ったのに結果として教わることの方が多かった」は良いとして、端から教わるつもりで行くのはさすがに違うだろうという気持ちが違和感の正体です。

そもそも肝心の「教えるもの」が自分にはありません。
いくら赴任前に研修があるとはいえ、二十歳そこそこの社会人経験もない奴が行って何になるんだと思う部分もありました。
結局、青年海外協力隊という道に新卒で進むのは止めようと決めました。
 

つづきは次回、就活・日本農産との出会い編!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?