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HAPPY FUCKIN' NEW YEAR

2024年が始まった(∵)
今年は本厄なので月一で厄払いにでも行きたいと思う。

何気ない当たり前の日々が幸せだと思えるように、日々感謝をして生きたい。
毎日の連続、毎秒の連続が未来を作るのが人生だ。
幸せの形は小さな幸せの欠片を拾い集めて行かなければ、大きな幸せを実感できないと思っている。
この世は過去も未来も無く、宇宙もあるようでないような世界である。

『空』

空(から)でもあり、空間でもあり、空(そら)でもあり、空(むな)しくもあり、それでいて、そこには無限が詰まっているのだ。
確かに物質として形があると思えば、存在するだろうし、透明で何も無いと言えばないのだ。
あるようでないのがこの世の在り方だと感じる。
物の捉え方一つで全然違うのが『空』であり、これは幸せの形でも同じな気がするのだ。

夜、空を見上げれば星が輝き雲が流れている。
でも、どれだけ空に向かって祈っても願いが叶うとは思えない。
そして、空のサイズや宇宙のサイズなんて、地球から見て考えた既成概念では計り知れないものなのだろう。

これと同じようにどれだけ外に向けて自分のエネルギーを発しても、そこで手に入れる答えは存在しない。
答えはいつでも自分の中にある。

『未来は僕らの手の中』

まさにこれである。

自分の内側に向けてエネルギーを向けて行くのであれば、宇宙や空は実は内面に存在するのかもしれないと思うのだ。

精神とはまさに宇宙なのかもしれない。

色があるようで無いし、形があるようで無い。
それでいて、外にあるようで中にある。
つまりは虚無の世であり、命はその瞬間しか存在していないのだ。

『シュレーディンガーの猫』の如く、意識が向いた瞬間に存在へと変わるのだ。


『二重スリット実験』
でも同じである。

何が言いたいと、日々の暮らしの中で変化が無い日は実はひとつとして存在しないのだ。
小さな変化を見落としているに過ぎないのだ。
その上で絶望と取るか、希望を見出すかは本人次第なのだ。
生きている価値や生きがいを感じるのは、他者が決める事では無く、自分が決める事である。
他者に認めて欲しいと、承認欲求を出して、とにかく発信する事だけは良くも悪くもSNSのおかげで皆が簡単にやるようになった。

しかし、本質の「認めてもらいたい部分」において、多くの賛同を得る事が主軸になってしまえば本末転倒な気がするのだ。
混沌とはまさに、本質が薄まってしまったタイミングから生まれる気がするのだ。
外に答えが無い事に早々に気付く事が重要だと思う。

しかし、欲とは良くも悪くも存在が無ければ、発展も成長も無いし、あり過ぎても悪循環が生まれる。

在るようで無いものだと考えて、うまく付き合わなければならないと感じるのだ。
誰にでも認められる訳では無いし、認めて欲しいからこそ、自分自身を磨き続ける事が大切だと思う。

作り続けて、発信をし続けて行かなければ成長・発展は見込めない。
現状維持は衰退だと思うし、変化とは恐怖では無く希望なのだ。

いつでも表裏一体の世の中であり、陰陽の法則の如き矛盾を愛する世界に生きているのだ。

人間には喜怒哀楽がある。
そして、日本には春夏秋冬がある。
その中でも晴れの日があって、雨の日があって、風が強い日があれば穏やかな日もある。
寒い日や暑い日、そして暖かい日も涼しい日も全て瞬間に流れてしまう連続によって認識できているのだ。
そして、あらゆる季節の中で笑ったり、嬉しかったり悲しかったり泣いたり怒ったり、様々な感情が生まれるのだ。

その中でも『ふわふわ』『そよそよ』のように、日本独自の『中間の言葉』が存在している。
矛盾を愛せるのがもしかしたら日本の良い所なのかもしれないね。

時間もそうだ。
過去→現在→未来と、時間が流れていると思う事が常識であり当たり前の話。
しかし、よく考えてみてほしい。
仮にもしも誰かが組み込んだシステムの中でゲームのプレイヤーのように生かされていたらどうだろう?
他の誰かが自分をコントロールをしていたら、つまりは未来から過去に時間が流れている事になるのだ。

でも、その存在の証明は誰にもできないのだ。
だからこそ、コントロールをしているであろう自分の直感を大切にして、やりたい事をやる事が一番大事な事だと、年を取り、年齢を重ねる程に思う。
だからこそ、より一層他者の声は良い意味で聞くつもりは一切無い。
失敗も挫折も全ては自分が作り出したものだし、一ミリも後悔はない。
※勿論、アドバイスはしっかり活かせるように心がける(∵)

良い事があれば、自分の手柄で、悪い事があれば他人のせいにはしなくなった。
いつしか自分の中で受け入れる事ができるようになったのだ。
全ての事象は他者が起こすものでは無く、自分が起こすものである。
良い事も悪い事も全て、自分が起こし、体験を通して成長や気づきが生まれるのだ。

点が線となり、面となって来た今、自分がやるべき事はなんだろうと常に考えるようになった。
自分の中の苦手な部分や嫌いな部分を承認できるようになった。

ネガティブ・マイナス人間なメンヘラクソ野郎だったが、これだけでも全然成長ができた部分だと自画自賛している。

これも『アファーメーション』の賜物だと思っている。

つまりは自分の機嫌は自分で取れるようにはなって来たのだ。
そして、自分を愛せるからこそ他人を愛せるように、リスペクトができる人間にもなって来た。
尖って生きて居た頃は、自分さえ良ければ良いと思って居た。
つまりは中二病であった。

中二病については不治の病なので完治はしていないが、拗らせていた頃よりは幾分かは症状は緩和されていると自覚症状として思う。

だからこそ、2024年は更にリスペクトと感謝の気持ちを持って生きたいと思う。
むしろその方がずっと心が軽くて生きやすいのだ。

何もしない日々や、ずっと寝て引きこもる日々も憧れたりはするのだ。
寝てればお金が入って来るような日々なんて、誰もが憧れるだろう。
ニートになりたい。
ああ、働いたら負けなんだよ。

しかし、気楽とは退屈なのかもしれない。
まさに難が無く無難なのだ。

ただ、行動を起こして刺激を求める限り、そこで必ず難が出るのだろう。
難が有ると書いて「有難し(ありがたし)」で、ある。
ありがとうとは、難を乗り越えるからこそ、本質の価値が生まれるのかもしれない。

もしも、死後の世界があったとする。
天国でもシャンバラでもアカシックレコードでも構わない。
この中は一切の難が無い状態の世界。
もし、この場所に居たらどう感じるだろう?

時間の概念が無いからそうした気持ちにもならないかもしれない。
地球の概念で考えて、何も無い状態は退屈をしてしまうと思うのだ。
仮にその世界から刺激を求めて、苦しい事や辛い事を自から作り出して居るのかもしれないと感じる。
天地創造とは、もしかして苦難を作り出す作業だったのかもしれない。

このように、死んだように生きてしまえば器があるだけで、魂が抜けた状態になってしまい、絶望へと変わるのかもしれない。

だからこそ、退屈しないように刺激を適度に作り出したいのだ。
人生は等価交換制だと思って居るので、何かを失えば必ず何かを手に入れる事ができると信じている。
それを意識して、輪をもっと広げたいのだ。

楽しいと思えるような瞬間を作り出せる人間になると決めている。
自分が楽しみたいのは勿論なのだが、別にパーソナルな部分をどうこうでは無いのだ。
もっと全体的な部分であり、広義で考えて居る。
文面では自分が言うべき本質部分は伝わらないとは思う。

『全てを巻き込む』

ザックリ言えば、これである。

だからこそ、何があっても沢山楽しんで、笑う事も心がけたい。
笑う事を心がけると言うよりも、笑うシチュエーションを意識的に多くしたいのだ。
楽しい場所に自分の足で動き、楽しい方角に進み続ける。

前途多難だろうとも、苦難の道だろうとも構わない。
その先で笑えるなら暗闇の中でも光を探し続けたい。

まるで泥水の中で咲く蓮の花のように。
人生は水と同じだ。
常に変化し続けて一つとして同じものは無い。
寄せては返す波もあれば、津波のような時もある。
波に乗る事もできるし、流されてしまう事もある。
その波に漂う事もできる、浮かんだり、沈む事もできる。
熱かったり冷たかったり凍ってたりもする。
そして、波を作り出す事も自分でできるのだ。
泡となる事もあるだろう。

いつでも変化をし続けて今この瞬間の連続に感謝して生きたいと思う。

そして、何よりも自分が人生を賭けて来た音楽に還元をしていきたい。
49BALL(フォークボール)を、より多くの人に聞いてもらい、それぞれに何か感じ取ってもらえたら嬉しいのだ。
シェアしてもらえたら嬉しいし、もっともっと知って欲しい。
承認欲求の話をした矢先のバチバチの矛盾発言であるが、人間とは中途半端な位が丁度良いのだ。

自分の生きた証を更に残して行きたい。
それが音源でもあり、ステージでもあり、そこに自分のライフスタイルは存在しているのだ。

意味があるのか、無意味なのかは分からない。
他人にとっては無意味・無駄だと感じる事は、俺にとってはかけがえのない宝物なのだ。

意味を求めても居ないし、それでも続けてしまう。
シンプルに自分の魂が音楽を通して成長を求めているからだと思う。
カッコつけたい訳でも、売れたい訳でも無く、音を楽しみたいのだ。
音楽がとても好きなのだ。

『いや、ウソ売れたい!』

2024年の抱負は売れる。
と、自信を持って言えないのが自分の胸の中でモヤモヤする所なのだが、マイペースに音楽を楽しみたい。
そして、楽しむ上で色々な人達と会って話をしたい。

最幸の一年となるように全力でこの瞬間を生きたいと思う所存である◎


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