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韓国の小学生に日本を紹介 #14

このエッセイは、2017年、約4か月にわたり韓国の有機農家さん3軒で農業体験取材を行い、現地から発信していたものです。これから少しずつnoteに転載していきます(一部加筆、修正あり)。

2017/07/07

 全羅北道長水チャンス郡の農園「백화골 푸른밥상ー100flowers farm」に来て1週間ほどたった頃、ホストであるジョーさんからこんな提案を受けた。「近くの小学校で、日本について話してくれませんか?」と。「例えばこんな風に」と言って見せてくれたPowerPointのスライドには、ロシア・マレーシア・ドイツの風景や食べ物、人口や気温などが写真や英語で紹介されていた。それらは、過去にこの農園を訪れた農業ボランティアたちが作成したものだった。

 韓国から見た日本は、地理的にも歴史的にも近い存在で、子どもたちが日本について知る機会は山ほどある。テレビをつければアニメ『クレヨンしんちゃん』が韓国語をしゃべっているし、書店には韓国語に翻訳された日本の小説や漫画がずらりと並んでいる。パソコンやスマートフォンを使えば、日本の動画や音楽に触れることも簡単だ。

 そんな状況の中で、私が今子どもたちに紹介できる日本って何だろう?あれこれ考えながらPowerPointで簡単な資料を作り、6月28日(水)、ついに当日を迎えた。

地元の小学生と一緒に

 向かったのは、農園から車で約20分ほどの街中にあるチャンゲ小学校(장계초등학교)。全校生徒は210人。ジョーさんの妻、ジョンソンさんの話によると、全羅北道長水郡にある小学校9校のうち2番目に大きな学校だそうだ。ちなみに、長水郡の人口は2万3220人(2017年5月現在、통계청調べ)。

 私たちのこの日の任務は、多文化クラブに所属する子どもたちの前で、自分の国について紹介することだった。農園「백화골 푸른밥상ー100flowers farm」を訪れた外国人を小学校に招き、その国の話を聞くという試みは、ジョーさんと多文化クラブの先生との発案で今年からスタートしたという。

 午前中に野菜の発送準備を終え、12時前に農園を出発。迎えに来てくれた多文化クラブの先生は英語が堪能な上に、数年前から中国語とベトナム語も勉強しているようだった。江原道寧越ヨンウォル郡のトマト農園で一度だけ会った、ベトナムアジュンマの子どもの顔がふと浮かび、「親が外国人、という子どもが増えているんですか?」と尋ねてみると、「数年前から増えましたね。10年前はそう多くなかったけれど…。うちの学校は今、7~8%が多文化家族です」と教えてくれた。母親がベトナム、フィリピン出身というケースが多いそうだ。

 寧越郡と同じく、ここ長水郡でも、農家の独身男性が40~50代で国際結婚をしているという話を何度も耳にした。結婚相手の女性は大半が10~20歳年下で、国際結婚情報会社を通して紹介を受けている。このような婚活ビジネスがスタートした当初は、朝鮮族や中国人女性との縁談が多かったようだが、ここ数年はベトナム・フィリピン人女性が人気なのだという。ジョーさんの話によると、農村の独身男性が国際婚活をする際に政府から支援金がもらえるそうなのだが、詳しいことはまだ調べきれていない。

【追記】
 韓国では1990年代以降から外国人女性との国際結婚が急増。2006年に政府が「女性結婚移民者 家族社会 統合支援対策(여성결혼이민자 가족사회 통합 지원 대책)」を打ち出したことで、人口減少に悩む地方団体を中心に、未婚男性国際結婚支援条例の施行が全国的に広がった。
 具体的な支援内容は、農村地域に1〜3年以上居住している満35歳以上の未婚男性が外国人女性と国際結婚を希望する場合、結婚にかかる費用(結婚式費用、飛行機代、見合いのためにかかる費用、仲人手数料など)を1人当たり300〜1000万W(約30〜100万円)現金で支給するというもの。
 ジョーさんが話していた「農村の独身男性が国際結婚をする際に政府からもらえる支援金」とはこのことで、農村青年国際結婚支援金(농촌청년국제결혼지원금)、農村独身男性国際結婚支援金(농촌총각국제결혼지원금)などと呼ばれている。
 これまで国内30余りの自治体で実施されてきたものの、韓国人男性と結婚した外国人女性が家庭内暴力をうける事例が社会問題となっており、国家が助長する人身売買ではないのかという批判の声も高まっていた。さらに2020年以降、コロナ流行に伴い国際結婚をする人の数が激減したため、2021年の1年間で支援制度を廃止する自治体が相次いでいる。

【参照記事】
時事月刊誌「新東亜」/2019年9月5日
時事今日(時事ON)/2020年10月12日
朝鮮日報/2017年9月15日修正版2022年10月3日

小学校の正門

 こうして農村に多文化家族が増えていったことで、小学校の雰囲気も少しずつ変わり始めたのだろうか。校内に一歩足を踏み入れると、髪の毛の一部を明るく染めている子や、髪をゆるく巻き、肩まで肌を見せる洋服を着こなしている子が目についた。後で先生に聞いてみると「多文化家族の生徒も多いですし、髪の色や洋服について特に注意することはありません」とのことだった。

 到着した時間はちょうどお昼時で、生徒たちが食堂前に列を作って並んでいた。ローランドとペイジーを見るなり、近寄ってきて英語であいさつする子どもたちが何人もいた。私に日本語であいさつする子どもは一人もいなかった。

食堂内の様子。給食担当の職員が、おかず、キムチ、スープなどを順番に皿に盛りつけてくれる

 この日のメニューは、韓国の中華料理店でおなじみのチャジャンミョン(짜장면/韓国風ジャージャー麺)とタンスユク(탕수육/酢豚)。使われている食材はほとんどが国内産で、給食担当の職員による作りたての料理だった。

 席について先生たちと一緒に食事をとっていると、若手の先生がタンスユクが山盛りになったボールを持ってやってきた。「たくさん余ってますから、食べたい方はどうぞ」と言う。遠くの席から、おかわり希望の男子生徒たちが何人もやってきて、タンスユクはあっという間になくなっていった。

給食。写真に写っていないが、食堂内には白ご飯も用意されていた

 昼食後、職員室に立ち寄ると、ブルーベリーとミニトマトを囲んで先生たちが談笑中だった。その輪に加わり、しばし歓談。その後、校長室へあいさつに伺うと、校長先生が冷たく甘い人参茶を入れてくださった。

 学校に到着してからずっと、こうして飲み食いばかりしていたのだが、1時10分にクラブ活動が始まると、今度は生徒たちと一緒にアイスクリームを食べることになった。カナダ人と日本人を前に少し緊張気味だった子どもたちも、アイスクリームを食べているうちにリラックスした表情に変わっていった。

 「多文化クラブ」の生徒は小学4年生、全8人。生徒たちは事前に、韓国・日本・カナダをイメージして絵を描き、旗を作ってくれていた。

子どもたちが作ってくれた旗
この少女が作った旗には、ソフトクリームのコーンの上に3か国の国旗が乗っているという、
ユーモラスな絵が描かれていた

 まずは私が日本の紹介をすることになり、PowerPointで作ったスライドを見せながら韓国語で説明を始めると、「日本語で話してください」という声があがった。そこですぐさま日本語に切り替えると、子どもたちがきょとんとした顔をして見せたので、結局韓国語で説明し、日本語を時々織り交ぜるという形で進めることにした。

 韓国と日本の地図を見せながら、日本が縦に長い島国であること、大阪とソウルは飛行機で約2時間、福岡と釜山は船で約3時間で行き来できること、人口や首都などを簡単に説明。「日本へ行ったことがある」という生徒は、8人中2人だった。

 日本から持ってきたノートパソコンの中に、振袖、袴、浴衣を着た時の写真があったので、それを見せながら伝統衣装について話してみると、ある少女がこう言った。「袖の長い着物は結婚していない人、袖の短い着物は結婚した人が着るんですよね」と。「どうしてそんなに詳しく知っているの?」と尋ねてみると「本で読みました」と言う。しかし、袴については全く知らないようだった。

 「袴はどんな時に着るんですか?」と尋ねられ「最近では、大学の卒業式で女子学生が着たり、学校の卒業式の時に女の先生たちが着たりします」と答えてみたけれど、男性が羽織袴を着ることもあるし、剣道を習っていた時も袴を履いていたのだった。今考えてみると、私の説明は全く言葉足らずであった。

着物、袴、浴衣について説明中

 これまで撮りためた食事の写真を並べ、日本食についても簡単に説明してみた。ご飯、味噌汁、おにぎり、お寿司、どんぶり、お好み焼き、串揚げ、お節料理など。お節料理を見るのはみんな初めてだったようで、韓国では旧正月(陰暦の1月1日)にトックッ(떡국)という餅スープを作って食べるのだと教えてくれた。

 最後に少し、日本語のあいさつを学ぶ時間を設けた。スライドには「おはようございます」「こんにちは」などのあいさつと共に、となりのトトロ、アンパンマン、ドラえもん、ピカチュウ、クレヨンしんちゃんなどのイラストを載せていたのだが、子どもたちは全員、これらのアニメを見たことがあると言った。

 ちなみに韓国で、となりのトトロは「이웃집 토토로イウッチプトトロ」、アンパンマンは「호빵맨ホッパンメン」、ドラえもんとピカチュウは日本語と同じ発音で、クレヨンしんちゃんは「짱구チャング」と呼ばれている。

 日本の紹介が終わり休憩時間に入ると、子どもたちが円になって床に座り、小さなサイコロのようなものを転がしたり、上に投げてはキャッチしたりし始めた。一見お手玉のようなこの遊びはコンギ(공기)と言うそうだ。後で40代のジョーさん・ジョンソンさん夫妻に聞いてみると「子どもの頃によくやりました。昔からある遊びですよ」と教えてくれた。

休憩時間に遊ぶ子どもたち。コンギのやり方は次の通り。①床に玉を4つ並べる②玉を1つとり上に高く投げる③玉が空中にある間に、床に転がる別の玉を1つ拾い、その手で落ちてきた玉をキャッチする④握りしめた2つの玉のうち、1つを上に高く投げ③を行う。私も挑戦してみたけれど、なかなか難しい

 休憩後はカナダ人カップル、ローランドとペイジーによるカナダについての紹介が始まった。ところが、途中から子どもたちの集中力が少しずつ切れ始めた。午前中に水泳をして、疲れてしまったのだという。

 実はこの日、学校に到着した時、正門前に大きなバスが止まっていた。午前中に遠足でもあったのかと思いきや、「今週は毎日午前中にプールへ行って、水泳の授業をしているんです」と先生。30代前半の韓国人の友達から「韓国の学校にはプールがないので、学生の頃は水泳の授業を受けたことがなかった」と聞いたことがあったのだが、最近では授業が行われるようになったということだろうか?

【追記】
韓国では2014年4月のセウォル号惨事の後、水難事故時の生存能力を育成するため、小学校での「生存水泳」実技教育を試験的に行い始めた。翌年からは全国各地で実施されるようになったものの、2020年以降はコロナ流行のためプールが閉鎖され、実技教育は行えない状態が続いた。この間、代替授業としてVR(Virtual Reality)を利用した生存水泳教育を行っていた学校もあったようだ。

【参照記事】
京郷新聞/2017年4月17日
朝鮮日報/2021年11月9日

カナダ人のローランド、ペイジーが英語でカナダについて説明中。先生が韓国語に訳して子どもたちに伝えていた

 韓国に来て思いがけず聞くことになったカナダの話は、韓国・中国・イタリアしか行ったことのない私にとってとても新鮮だった。興味深かったのは、子どもたちから上がったこの質問だ。「カナダの人口は約3600万人。韓国の人口は約5000万人。カナダは韓国よりも広い国なのに、どうして人口が少ないんですか?」。2人の説明によると、国土の20%が湖で北部は寒さが厳しいため、人が住める土地が南部に偏っているとのことだった。

韓国とカナダの面積を対比した図。青い色の部分が、韓国の広さを表している

 カナダの公用語は英語とフランス語。ローランドの父親が韓国人、母親がドイツ系カナダ人であるように、カナダには様々な国の人が集っているため、食事もバラエティ豊か。中東料理、中華、イタリアン、メキシコ料理など何でもそろっている。

 二人が住むALBERTAという都市はカナダの西部に位置し、夏は40度、冬はマイナス40度になる。冬は雪の上にメープルシロップと棒を置いてしばらく放置し、シロップアイスを作って食べるそうだ。

 最後に、振袖の長さの違いについて話してくれた少女から「カナダのお化けについて知りたい」という質問が上がった。ローランドとペイジーはよく知らなかったようで首をかしげた。子どもたちに「日本にはお化けの話が多いですよね」と話を振られ、パッと思いついた「雪女」の名前を挙げてみると、読書好きの少女は「本で読んだことあります。雪女」と笑った。子どもたちはその後も、日本のお化け話がいかに怖いか、のけぞりながら楽し気に話していた。

 約2時間のクラブ活動はあっという間に終わりの時を迎え、子どもたち一人ひとりのノートに漢字とアルファベットでサインをしてお別れをした。この日の記念にと、何人かの子どもが手作りの旗をプレゼントしてくれた。

小学生たちとサッカーを楽しむローランドとペイジー

 農園に送り届けてもらうまでの約2時間、自由時間ができた私たちは、芝生で覆われた運動場へ向かった。サッカーが縁で知り合ったというローランドとペイジーがボールを転がし始めると、いつの間にか子どもたちが集まり、サッカーの試合が始まった。ローランドは子どもたちに「선생님(先生)!」と呼ばれ、にっこりと微笑み返していた。

 言葉でコミュニケーションができなくても、一緒に食べたり、遊んだりする内に心は通じていくものである。小学生時代にこうして異文化に触れる機会が、子どもたちにとって有意義な時間になればと願いつつ、学校を後にした。

 農園に戻り「私は日本人だけど、日本のことをよく知らないと思いました。韓国の子どもたちの方が、日本についてよく知っているかも」と言うと、ジョンソンさんがふふっと目を細めて笑った。「今まで子どもたちの前で話した外国人はみんな、『自分の国についてよく知らない。どうしよう』と言って、たくさん調べてスライドを作っていましたよ」。

 何かを知れば知るほど、自分がいかに物事を知らない人間であるかを痛感することがある。韓国のことを知れば知るほど、今まで知らなかった日本の一面が見えてくる。見える視点が変わってくる、と言えばよいだろうか。

 結局のところ、今回私が日本について紹介できたことはほんの少しだけだった。いつか子どもたちが日本を旅したり、どこかで日本人と出会ったりした時に、「そういえば小学生の頃、袴について教えてくれた日本人がいましたよ」なんて、話のネタにしてくれたら嬉しく思う。

▲エッセイ『韓国で農業体験 〜有機農家さんと暮らして〜』 順次公開中


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