なぜ悲劇は繰り返されるのか? 第9章:矛盾した価値観 ②

 これは“いじめ”の原理とよく似ていると私は感じている。

 なぜなら、いじめも立場の弱い相手に立場の強い相手が暴力や言葉などで相手のことを痛めつける行動であり、集団からの排除行動心理が働きやすくなる。そして、いじめていることが先生などに分かると、こんどは内部告発をした人を探して、その人を次のターゲットにしていじめが始まるなどいじめをしている人は自分の行動に対してあまり罪悪感を覚えていない。

 つまり、自分のやっていることを正当化し、相手がどのような状態になったとしても「自分は悪くない。相手が悪い」という他責思考が現れやすいだけでなく、いじめたことについても「自分はここまではやったけどそれ以上は知らない」など自分の判断でやったとしても嘘をつくことでその問題や責任から逃れようとする。

 特に日本社会においては“新入社員だからこれくらいやって当たり前”・“何かトラブルが起きたときはあなたが会社を守って当たり前”など“後処理をするのは新人や立場の低い人がやって当たり前”という風潮が未だに抜け切れていないような印象がある。そして、そういう事が実際に起きたときには“個人を盾にして組織を守らなくてはいけない”という優越主義的思考を部下などに植え付けて自分の立場や役職を守ろうとする人が増えているにも関わらず全く問題視されないのは幼少期から発生しやすい状況にあるいじめの構図をそのまま社会でも通用してしまっているからだろう。そして、そのような行動をしたとしても相手が“役職者だから”・“社長だから”・“会社の役員だから”と「自分よりも上の立場だから何かアクションを起こすとここにいられなくなるのではないか?」という不安心理に駆られてしまい、泣き寝入りをするということに繋がる。

 今の日本はどちらかというと“上が守られて、下にいる人が守られない”という逆転構造が顕著になっているように感じる。そのため、上にいる企業が不当解雇をしたとしても下にいる元社員などは解雇ではなく、自己都合にして就職活動をしないと自身の印象が悪くなるだけでなく、後から「うちの会社のイメージを毀損された」と言って訴訟を起こされる可能性もある。そして、解雇されたという言葉は社会においてかなり重い言葉になるだけではなく、解雇=問題児というイメージを持たれて採用を見込むことが難しくなるだけでなく、次の会社に行っても“解雇”という言葉が相手にとってはマイナスイメージになってしまい採用を躊躇してしまうのだ。仮に採用をつかみ取れたとしてもその傷が深くなっていることで誤解を生み、再び排除される可能性があるのだ。

一方で、有能な社員や実績がたくさんある社員、取引先から信用されている社員などが会社を辞めようとすると会社側が引き留めに掛かることも少なくない。なぜなら、そういう人材がいないと会社が傾いてしまうだけでなく、その人が担当している取引先などとの取引に影響が出る可能性があること、その企業との信頼関係やその企業から紹介していただいた企業などとの関係にも影響が出るのではないか?と不安に思うからだろう。

 しかし、このようになるということは採用時から会社として想定しなくてはいけない事なのだが、多くの会社は想定していないのではなく、そうなることを“想定したくない”、“想像したくない”という回避的思考に繋がってしまうからだ。

その結果、ヘッドハンティングされた人を引き留めようとするのは“会社の利益のために残そうとしている”か“その後で何かを計画していて、その人が辞めてしまうことで不利益になる”など会社の事しか考えられない。

 これまでこれらが許されてきた社会的認識が若年層の離職や社会的孤立、引きこもり、自殺など負の行動に繋がっているように感じるのだ。

 これはどの年代にも該当する可能性はあるが、若い年代ほど社会経験の少なさから打開策などを打ち出すことも出来ず、1度つまずくと深刻化していってしまうケースも少なくない。特に、シングルマザーやシングルファザーなど1人で生活を成り立たせなくてはいけないという場合には若い人ほど社会的理解が進んでいない部分も多く、このような理解が進まないことが法令で保証されている就労の問題や雇用する側の認識格差が顕著になり、理解がある会社が減っていることもシングルマザーなどの就労の幅を狭めているケースに発展しているのだろう。この課題が無意識のうちにそのような人たちの社会的孤立が進んでいくきっかけになっているように感じる。その他にも地方などでは“子供がいて親が若い”というだけで差別や偏見をされることもしばしばあり、これが日本における多様性の価値観の尊重が難しくさせてしまい、年功序列型価値観の押しつけに繋がっていることで多様性理解が遅れる理由の1つだと私は思っている。

 もちろん、40代・50代など中年層でも“何度も離婚している”や“籍を入れないで子供だけを産んでいる”など子供がたくさんいるというだけでいろいろな批判等を受けることがある。

 つまり、日本というのは上の年齢に行くほど個別価値観における判断基準が一定の情報で止まってしまっていることで、見た人が生きてきた時代の解釈で物事を判断してしまうこともしばしばだろう。

これからはこういう細かい部分をきちんと修正し、1人1人が適材適所で活躍出来るように労働環境の整備を進めていかないといけないと思う。

 未来ある人が自分の意思を尊重できる社会が作れたとき社会は豊かになると思う。


現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。