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文章は校正して初めて世に出せると実感した話#402

毎日noteを書いていると、時間の兼ね合いがあったり惰性で書くこともあって、初稿で投稿することが多々ある。

しかし、基本的に文章は読み手のことを考えて、誰かに読んでもらうことを前提に書くことがほとんどなので、世に出す文章は校正を繰り返してから投稿するのが普通だ。


このnoteは実は、読み手に読ませる以外の目的があって書いているという言い訳から、校正はあまりしていないが、これには注意が必要と感じた。

読んでもらわないことを前提にするnoteが多い一方で、実際に広告として読んで欲しい時に困るからだ。

読んで欲しい文章を書く時は、通常20〜30分で仕上げるブログと異なり、当然1〜2時間と多く時間がかかる。

時間がかかるのは、文量が増えるからではなく校正と表現に気を使うからだ。

(ちなみにここでいう校正とは、誤字脱字チェックに始まり、文末表現や文章の意味が通るか、また不要な文章がないかを確認する作業のことです。)

昨日のペン入れ作業を通して、ものすごく勉強になったのは“何度校正しても、完璧まで仕上げることはできない”ということ。

▼ペン入れ作業についてのnoteはこちら

校正とはすなわち、文章のクオリティを上げること。クオリティを完璧にするというのは不可能で、校正を重ねて少しずつ良くしていくことは可能であり正しい表現と感じる。


前にアフィリエイトで稼いだことがある上司に言われたことがある。「他人に読ませる文章を校正なしで投稿するということは、裸で街を歩くくらい恥ずかしいことだ」と。

実はその時かなりゾッとした記憶がある。

なぜなら、心当たりしかなかったからだ。


それ以来、自分で自分の文章投稿のハードルを下げて「他人に読ませる文章ではない」と、逃げ道を作ってきた。

そうでなければ毎日noteを投稿し続けるなんてとてもできないと思ったから。

そもそも、noteを書いているのは自己満足であって、他人に影響を与えたい、稼ぎたいという目的はとっくに諦めている。

逆にいえば、文章で稼ごうという人のメンタルが異常と思えてならない。

世の中には文章表現が上手い人がゴロゴロいるというのに、その方々と肩を並べ神経をすり減らすのはかなりキツイことだろう。

noteを丸1年間続けてきた自分が言うのだから、きっと少しくらいは説得力があるはず。

しかし、文章力というものはちゃんとあって、書けば書くほど上がると言うのもまた事実。

私のように低クオリティで妥協しているなら、成長度合いは少ないかもしれないが、それでも毎日書いたり読んだりしていれば、それなりに力はついてくる。

しかし、一定の所で「あ、成長止まったな」と実感することもある。


そんな時、りゅうくんのペン入れをやらせてもらうことになって、改めて成長の機会をもらうことができた。

自分の書いた部分の文章の読みにくいところ、統一性の問題、読点(、)が多かったり、読んでみるとくどく感じたりと反省点が多く見えた。


実は近日中にWordPressでブログ投稿をしていこうと考えていたので、この発見ができてものすごく良かった。

noteを継続して400日。書いた文量は少なく見積もっても80万文字以上。世の中に駄文を量産し続けてきたものの、いよいよクオリティに向き合うべきと感じてきた。


もちろんnoteは今後も継続するし、本番の練習用として活用はしていきたい。

仕事選びとして、営業をしていた今はあるが、もちろんクリエイターという道も捨てたわけではない。

副業にはもってこいだし、パーソナリティ診断では圧倒的にクリエイター気質らしく、たしかに物作りをしている時は楽しい。

ノルマに追われることなく、好きなことを好きなだけできる文章に今後もどっぷり浸かっていきたい。

今後も文章を通じて沢山発信をしきますので、今後とも宜しくお願い致します。

いつもnoteを読んで頂きありがとうございます✨ サポートをして頂けましたら、創作活動の勉強費用に当てて、ゆくゆく必ず社会に還元させて頂きます‪🍀