超短編小説 030
『髪結いの女(ひと)』
朝、メールで娘から「母が今朝、亡くなりました。」と送られてきた。
娘と言っても、一緒に暮らしたのは生まれてからの2年間だけで、戸籍上は認知をしただけの子供だ。
娘の母親と出会ったのは僕が25歳の時だった。僕が働いていた建設会社の工事現場の近くで、彼女は美容院を営んでいたのである。僕はその時すでに結婚をしていて、私生活も仕事も順調だった。しかし、日々を何かに追われながら過ごしていたので、心が休まることがほとんど無かった。
自分の休まる時間というものを感じられない毎日だったが、その美容院で散髪をしてもらう時間だけは、くつろいで、ゆったりと過ごせたので、美容室に行くのが好きだった。
僕よりも3つ年上の彼女は、始め緊張していたけれど打ち解けると、明るくて、会話も楽しくて、直ぐに意気投合することができた。
月一回の散髪の時に彼女に会うだけでは、物足りなくなった僕は彼女を食事に誘ったのである。彼女は美容院の外でも明るくて僕にパワーをくれた。そして、華奢でかわいらしい姿であるのに美容院を経営しているという自立している強さに引かれてしまった。僕は彼女を好きになった。
彼女は、僕が結婚していることを知っていた。しかし、それを承知で何も言わずに僕を受け入れてくれたのでした。
彼女は母親と2人で暮らしていた。僕はその家に転がり込んだ。後先は何も考えていなかったのだが、その時は、いつかきちんといろいろな事に整理をつけて彼女と一緒になろうと思っていたのである。
僕は人生の転機を彼女とむかえる。仕事を独立してゼロからのスタートを切り。勉強をして重要な資格も取り。そして彼女との間に子供も授かったのだ。全てにおいて彼女は僕の支えになってくれたのでした。
起業は、当時勤めていた建設会社が様々な不運に見舞われ、最後には倒産してしまったので、仕方なしに仲間としたことだった。決して順風満帆なスタートでは無かったのである。しかし、彼女は僕を金銭的に支えてくれて、さらに経営者としての考え方、責任感を僕に教えてくれた。何よりも「何かあっても私が何とかしてあげるわよ」という彼女の言葉に勇気と安心感をもらえたのだ。そのおかげで僕は起業当初の大変な時期を乗り越えられたのである。僕が遠慮無く使えるようにと銀行口座を作ってくれて毎月彼女は支援してくれたのでした。
資格取得の勉強に対しても、僕の仕事と勉強の両立を何も言わずに支えてくれたのでした。彼女も仕事と母親と子供と僕の世話をすることで大変だった筈である、しかし一度も僕に家事をしろとか子供の面倒をみろなど、言わなかったのだ。
しかし、会社が軌道に乗りかけた頃、僕は彼女と子供を顧みなくなった。仕事が忙しいといえばそれだけのことなのであるが、資格も取れて仕事の先も見えて、調子に乗っていたのだと思う。あと、献身的な彼女に対する後ろめたさが、どうにも膨らんできて、彼女の目を見ることもままならない時期でもあったのだ。「恩を返せ」などと彼女が口にすることは絶対に無いのに、僕は勝手に卑屈になっていたのである。
もともと白黒をはっきりしたがる性格の彼女は、ある日、僕の態度に業を煮やして、僕にどうしたいのかと聞いてきたのでした。先に述べた通り卑屈になっていた僕は、攻められていると勘違いをして勝手に怒り出してしまったのだった。それからは怒号の飛び交う口喧嘩になるばかりである。喧嘩は初めてでは無かったが、この時ほど激しい喧嘩は無く、彼女のお母さんも子供も驚いてしまい別の部屋で小さくなって避難するほどでした。
彼女の最後の捨て台詞は、「私達を嫌になったのなら、向こうの家に帰ればよろしいでしょう。好きにして下さい。」だった。
僕は、そんな事は微塵にも思っていなかった。だから、湧いて出てきた悲しみと驚きが、やがて怒りに変わってそのまま家を出たのである。もしかしたら彼女は僕の心を見透かしていたのかもしれない。結局、僕は妻のところへ戻ったのである。
数ヶ月後、自分の荷物を取りに行くためと、子供への挨拶のために彼女の家に行くと、何も変わらず迎えてくれた。
「お帰りなさい」と彼女も子供もお母さんも出迎えてくれたのである。荷物をまとめて家を出る時、何かを察した子供は泣きながら僕の足にしがみついて来た。何も言えずにいた僕に代わって、「お父さんは遠くへ仕事に出かけるのだよ」と彼女が言いきかせてくれたのでした。
彼女は、僕が借りたお金も養育費も何も求めませんでした。たまに子供のために会いに来てくれればいいと、子供の父親でいる事も許してくれたのである。彼女が僕に教えてくれた男の責任を彼女は僕に求めなかったのでした。
あれから月日は経ち、僕も70歳を過ぎた。彼女の元を離れて戻った家では、家族もできて、子供たちも巣立ち、また妻と二人の生活に戻った。僕は頭の中で、ふと余生について考える時、「もし妻が先立ったなら、あの世話になった彼女と暮らしたい」などと自分勝手に考えていたのだ。
そんな矢先の訃報だった。
わたしは妻に報告するかしまいか、葬式に行くべきか否かと一瞬考えた。結局、妻に話をして彼女との最後の別れをするために出かけたのである。
久しぶりに会う娘は喜んでくれた。娘も母親を亡くした大きな悲しみで気が滅入っていたのだが、病気の為に母親の死期が近いことがわかっていたので、多少、心の準備が出来ていたと言ってた。
そんな娘が、別れ際に、「母から」と言って僕に封筒をくれたのである。封筒の中には、昔、彼女が作ってくれた銀行口座の通帳が入っていた。表紙には、「大切に使って下さい」と当時のまま書かれている。そして、中をペラペラとめくると、最後のページに大金の残高が印字されてたのである。全てのページを見ると僕が家を出た後も彼女は僕への支援を毎月振り込んでいてくれたのだ。ついこの前の先月末まで。
自然と涙が溢れてきた。
彼女はどのような気持ちで振り込み続けたのだろうか。僕がいつか戻ってくると思いながら過ごしていたのだろうか。僕を恨んでいたに違いないのに、どうして。彼女に聞きたい、話がしたい、謝りたい。今の自分があるのは君のおかげだと言いたい。感謝を伝えたい。もう一度彼女の笑顔が見たい。
涙と思い出が溢れ出て止まらない。無性に彼女に会いたくて会いたくて堪らなくなったのである。彼女のもとを去ってからの長い月日、僕はあれから何も成長していなかったのである。ここに来ることさえ自分で決めることが出来ない意気地なしなのだ。昔のようにまた彼女に男として大切なことを教えて欲しかった。
目を閉じていても開けていても、あの頃の彼女の明るい笑顔が目の前に浮かんでくるのだ。
震える手で通帳を握りしめると裏表紙に、新たに文字が書かれているのに気が付いた。裏返して見てみると、彼女からの言葉があった。
「幸せをありがとう、体をお大事に。髪結いの女より」
《最後まで読んで下さり有難うございます。》
僕の行動原理はネガティブなものが多く、だからアウトプットする物も暗いものが多いいです。それでも「いいね」やコメントを頂けるだけで幸せです。力になります。本当に有難うございます。