見出し画像

《身軽になるには》捨てるは覚悟の証

どうもこんにちは。入谷翔(漣)です。
突然ですが皆さんは断捨離したことはありますか?。
入谷はミニマリストの方ほど徹底はしていませんが、物は出来るだけ少ない方が良いと考えていて、買い物もほとんどしないし、これいらないな、と思ったらすぐ処分してしまうんです。
物大事にしろや!、何で捨ててしまうん?、と思うかも知れませんが、タイトルにあるように、覚悟して軽やかに生きるためには〝捨てる〟が必要と知ってしまったからなんですね。
今日は断捨離とその理由について纏めてみたいと思います。

・今自分の部屋にあるモノ・
今ざっと部屋を見渡してみると、まず机と椅子、目の前のパソコンにスマフォ、そして鉛筆や消しゴムなど絵を描く道具、クロッキー帳、横に積み上げられた数冊の書籍、ベッド、少しの衣類と仕事関係のもの、あとは最低限の家具家電や日用品くらいしかありません。
食材は数日で使い切る量しか買わないし、クロークには空のキャリーケースと貴重品の入った防災用リュックが入っているのみ。
部屋へ来た人からはシンプルさに驚かれますが、まだ足りなくて、もっとコンパクトにできないかと考えています。モットーは身軽でいること。理想としては、キャリーケースとリュックだけ持ってすぐに部屋を引き払い出て行くことです。勿論地震を想定してという意味もあります。
・断捨離をするに至った理由・
闘病体験記(読んで下さった方ありがとうございます!)の最初の方で書いた通り、僕は子供の頃から病弱で、大規模な緑内障の発作を起こした2007年以降、大小様々な病気や体調不良に見舞われ、あらゆる面で不安定な生活を送っています。
不用品の整理は2016年頃に母親が病気で入院して実家に帰った時から少しずつ始めていました。しかし決定的となったのは翌17年、僕がパニック発作で急性高血圧状態になって救急搬送された時です。
車を運転してて、急に息が来なくなると共に胸や背中の痛みに襲われ、周囲に心筋梗塞を疑われて救急車で運ばれるといったことがありました。
パニック発作は前年から患っていましたがそれまでこれほど酷い発作はなく、その時は本当に自分は今日死ぬんだ・・と思いました。朦朧とする意識の中若干気になっていた走馬灯も見えず、やばい!、酸素が薄い!!というだけでした。
パニック発作で死ぬことはないと言われます。ですが、パニック発作に連動して血圧が上がり、血管が切れたり詰まったりすることはなきにしもあらずということで、その後もパニック発作の度に血圧が上昇して失神寸前を繰り返し、
元々高血圧で薬を飲んでいることもあり、これはいつ自分が死ぬか分からない、と思ったのがきっかけでした。今年8月にもあかんこれじゃ死ぬぅ!!ということがありました。
・身軽でいること・
うちは母一人子一人なので両方病気になると生活が立ち行かなくなってしまいます。
もしもの時親戚や遺品整理業者に迷惑を掛けたくないと思い、それから部屋や実家の断捨離に目覚め、いらないと思うものを仕分けして処分するようになりました。
元々僕は片付けられないダラしない性格。30過ぎても小中高のものが実家自室には山積みになっていました。
一番多かったのは漫画本。古いものありましたからブックオフで売れないものはイオンの古紙回収ボックスにぶち込んできました。
断捨離は心の整理に大変役立ちました。自分の中の処理し切れない感情、死への焦り、病気の恐怖なども少しずつ緩和してくれたように思います。
加えて昔は病弱な身体に見合わず欲と虚栄に溢れ、ステータスに拘る部分があって、俗物的な価値観に憧れと理想を持っていました。だからそれを叶える能力と健康がないことにずっと葛藤してもいました。
断捨離はそうした精神に纏わり付いた脂身を削ぎ落し、執着のようなものはゴミと一緒に廃品回収のトラックに運ばれて行きました。
言い訳がましく思われるでしょうが、不健康であってはどんなに人から羨ましがれる状態になろうと自身が幸せと思うことはないでしょう。(なってから言えよと自分で突っ込みたくもなりますが)。
健康が資本なのです。それを身を以って思い知らされたことで不釣り合いの欲から解放されたと思っています。
いや、今この瞬間に宝くじが当たったら分かりませんけど・・。いや、株が上がれば・・。何でもありません。
こうして身軽になれた僕は、少なくとも自分を満たすものが物質でないことを知りました。
・それでも捨てられないモノ・
それで僕の部屋に残ったのは絵関連のもの。それとこれだけは捨てられなかったというものは大学3年の時に取った資格試験の参考書でした。
何というか、自分が気持ちを注いで手を加えて、育ててきたものは捨てられなかったんですよね。
だけど悲しいことに僕には才能やセンスがなかった。下手の横付きで何十年も続けて来たけど芽は出なかった。芽は出なくても、光を奪われる定めにあって趣味として描く楽しみさえ奪われることはやっぱり悲しかった。
・最後に捨てるのはそれと決めていた・
実は今年の春に幾度目かの緑内障発作で大学病院に通っていました。隅角光凝固術(レーザー治療)が奏功し、運よく今は落ち着いていますが、
昨年秋頃から視野の欠損が顕著になり、発作によっていよいよ覚悟しなければならないと思った4月頃は、
残りの視力を守るためには、これを機にもう潮時と、描くのをやめようと決めていました。ところが症状が改善すると描くのを続けてしまうんですね。今でも細々毎日何かを描いています。
これはもう依存と言って過言はありません。
断捨離は段階的な準備に過ぎなかった。僕が本当に捨てなければならないものは絵を描くことだったんですね。
手術の効果が切れて今度また発作を起こせば視力は落ちていくでしょう。だからそれまで大事に抱いていようと思うのです。
いずれ捨てる時が来る。
そして絵を捨てることができた時、初めて身軽なって飛べるのだ思うのと同時に、新しい人生の始めるための覚悟が出来るのだと思います。


ここまで読んで下さりありがとうございました。最近めっきり寒くなって来たのでみなさお風邪など召されぬようお気を付けください。ではでは!。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?