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【手記】知覧への想い

知覧は、知る人ぞ知る土地だ。
鹿児島県川辺郡知覧町。ここは、かつて特攻隊員達が飛び立った航空基地の場所。
太平洋戦争末期、昭和20年。米軍の猛攻で戦局が最悪の状況を迎えた。大日本帝国軍部は、敗色濃厚な局面を挽回しようと編み出した戦法が、「特攻」だ  。___
若き兵士を訓練させ、戦闘機「零戦」に乗せる。海上から敵艦に必中必殺で突撃し、これを沈没させる。特別攻撃、即ち特攻である。
この地に今「知覧特攻平和会館」がある。特攻に出撃し、国礎に成った千三十六隊員の英霊が祀られている。彼らの遺した手紙や日記、遺書、遺品写真などが展示されている。そこに並んでいる遺書や辞世の句の類はどれも文字の痕跡が「きれい」で、私自身字が「へた」であるが故に、それが「きれい」と感じた。
皆二十歳になるかならないか、そういう男子と呼んでいい年齢であった為か、親族宛の絶筆が多かった。

自分は辛いわけではありません
悲しいわけでもありません

お国のため、親兄弟のため、母上のため、
いま出発とうとしています

役に立つなら自分は喜んでまいります

だから、母上悲しまないでください
弟や妹を頼みます

父上に、先立つ不孝をお許しください
そうお伝えください

これらの文言に、一言も「ぐち」や「うらみ」は無い。
感極まり、私は身動きが取れなかった。なぜか「なみだ」が出てしまった。どの一編を読むにも、涙なしではいられなかった。
純粋無垢な言葉で書かれてあった。淡々と魂が呟いているようであった。人間、これ程までに澄んだ魂を持てるものかと、驚きとも思わず、ただ私のこの肉体が、魂が「ふるえた」___

この地にいると涙が止まらない。
今日、我々が何かと「ツライ」だとか「キツイ」だとか泣き言を言うのがそれこそ恥ずかしい。日頃ぬるま湯に浸かっている私達。そんな今日に至るまでに、このような崇高な精神が間違いなくあった事を、その時代を忘れてはならぬ。

次のような句が私の目に飛び込んで「なみだ」「なみだ」でこの句を何度も何度も読んだ。

散るために 咲いてくれたか 桜花
散るこそものの 見事なりけり


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