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シリーズ:生きながら死んでいる存在~私と周りの障害者たち~  第2話いちばんに苦しんだ君よ「彼らは宇宙人です。でなければ宇宙人は私です」

Oくんとの出逢いは大学1年生、共通の友人の紹介からでした。ただ、そのときは紹介されただけで終わり、特に連絡先を交換したりしなかったため、次に彼と会うのはその共通の友人が大学に急に来なくなってしまったときまで待つことになります。そしてそのときも、共通の友人が大変みたいですねえ、といった差し支えない程度の情報交換を数回にかけて行っただけで、友人と呼べるような関係になるのは、なんと大学3年生も残り少ない冬、就活戦線が開戦せんとするそのときでした。

最初は午後8時後半の電話でした。さすがに連絡先を交換し終えていた私たちは、しかし通話もメールもほとんど往来させることがありませんでしたが、私の携帯電話をいきなり振るわしたのはその彼の電話番号だったわけです。

弱い「モシモォシ」から始まる夜の電話は、Oによる就職活動についての心配事の愚痴でした。O以上にアッピールできるものを持たない、なんなら4年キッカリで卒業できるかも微妙だった自分にそんな話をしてもしかたないのですが、Oはそれでも誰かに話しをしたかったのでしょう。事実、その電話は何人かの電話に順番にかけており、誰でもよかったとのちに語っている。この電話は、数日おきに何度も何度もかかってきて、1回のコールのうちに出られれば通話するが、1回のコールに間に合わない(お手洗いにいたなど)の場合はまた別の人にかけるためそれ以上かかってこないというシステムでした。

Oは自動車工場が多い街に生まれ、両親の早々の離婚という一大イベントをこなし、母親の選択で生まれ故郷を離れ母親のふるさとの北国に移り住むことになります。まだ小学生を卒業したばかりだったOには大きな環境の変化でした。あまりに小さいときに父親が離婚して家を出たので、彼は父親の顔を覚えていなかったようです。また逆に、父親も子供の顔を覚えていなかったことがわかります。

小中高と変わり者扱いで先生を悩ませるトラブルメーカーとして破竹の勢いを見せるO氏は、学校というものに居心地の悪さを十二分に感じ、学校制度に強い不信感を持つようになります。男子たちは変わり者で典型的なOくんをいじめの対象にします。逆に女子と共通の話題があったことから仲良くでき、余計に男子たちからのやっかみがいじめとして返ってきました。

しかし勉強はできるため、高校は偏差値の高い高校に進学することになります。人口の少ない地域のために、ある程度の学力を持つ生徒はみんなこの高校にくる、という特殊なムラ社会性を持った高校でした。

学校行事は苦痛の連続でした。クラス一致団結しようとのたまう女子児童、昼休みや放課後に勝手に練習しようといいだすやつの存在。学校行事に何故そこまで熱くなれるのか、文字通り異文化でした。彼らは宇宙人です。いや、Oくんが宇宙人だったのかもしれない。それは大した問題ではなかった。自分は変わり者なのではないか……そういう自意識が少しずつ芽生え始めます。

両親が離婚してこのかた、ずっと貧乏ではあったのですが、家庭がすさみ始めるのは中3あたりからでした。シングルマザーとして子供を育てないといけないという責任感からかあるいは純粋に肌に合ったのか、夜の仕事に出かけていく母親、夕食は当時100円を下回っていた大手チェーンのハンバーガーでした。

母親は、息子1人を産んでもまだ女性でした。性的魅力があったからか夜の仕事で出会った男を咥えてみたり出会い系サイトを通じて出会ってみたりで日照りの日はあまりなかったようです。しかしそのような性に貪欲な母親に軽蔑のまなざしを向ける存在がいましが。Oです。夜の仕事で明るいうちは寝ている母親の代わりに炊事洗濯を行うOは母親が「オンナ」を見せるようなきわどい下着の洗濯に嫌気がさしていました。洗濯物を母親にやらせれば済む話ではありません。母親がオンナを出して男を咥え込んでくる……腹に据えかねたOは母親と大立ち回りを演じ、結果、母親は踏み外して階段から転げ落ちてしまいます。警察官も何人もくる大騒ぎになってしまうほど、家庭環境も悪い方向に煮詰まって行きました。

いろんなことに嫌気がさしたまま高校を卒業するタイミングになり、そのまま進学も就職もせず引きこもりになります。1年ちょっと過ぎたところでこのままではいけないとい一念発起してこの閉鎖的な土地から東京にいくのだと大学受験を目指し、東京の大学に進学してくることになるわけです。

そんな風にそれまでの人生を変えるために東京まできて大学に進学したOくんでしたが、就活で常に違和感を感じていました。自己理解……企業分析……就活で強い違和感を抱えたまま違和感が大きくなっていき、彼は大学の相談室のドアを叩くことになります。

そこには同じようなことに悩む数名の学生、そしてカウンセラーがいました。ここから自分は発達障害者なのではないかという疑いを強くしたOはしばらくして自分から病院で診断を受け、動作性IQなどの数値として自らの「特質」と向き合うことになります。そう、ここでやっと、今までの人生の「苦しさ」「違和感」が発達障害というものによるのではないかと気づくことができたのでした。

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