小説 『普痛』(十)
※前回
十
夢を見た。
いつかの続きだった。見過ごした人に向けたドラマのあらすじのように、私が私の部屋に入るシーンからだった。観客は私しかいないのに律儀なものだと思い、眺めた。私は洗面台にかけ込んで顔を見たんだった。何週にも引っ張られたシーンの続きは私を驚かせるには十分すぎる山場であった。
洗面台に映った顔は私の泣き顔ではなかった。
彼女の、『燿子』の顔が鏡に映っていた。
髪の毛の長さも、体つきも、全てが私のモノであるのに顔のパーツだけが彼女のモノであり、しかしそれだけで彼女だと判断しうるには十分だった。
彼女の目から落ちた涙が私の首筋に伝った。何故、彼女が泣いているのかがわからなかった。いや、それ以上に私の顔が彼女の顔であったことが私の心に気持ちの悪い焦燥感を生じさせていた。彼女の涙が私の胸をキリキリと締め上げるのだ。
私はこの感じに似た何かを思い出そうと、何も無いユニットバスの空間を両手で抱きしめる仕草をしていた。両手の空間を縮めることで記憶をゆっくり手繰り寄せる気になった。少しでも早さを間違えれば私のソレは粉々に散ってしまうように思えてならなかった。
そして、手と手の間に直径十センチほどの空間が生まれた。
ソレは初めは丸い球体の様にも見えたが、両手が私の意識とは別の誰かが動かすように円柱を持つ姿を作った。
指同士の隙間が開く。
瞬間、両手が私の首に飛びかかった。
逆手になった親指が声帯を潰すように喉に食い込んだ。今まで観客席に居たはずの私はスクリーンの中の私と重なった。
私は思わず飛びのき、壁に背中を打ち付けた。漏れた息を最後の呼吸に、私は身体が動く限り、両手を洗面台の鏡に殴りつけた。裏地のタイルが露出するくらい、何度も、何度も、殴った。が、両手は赤く染まるだけでその力を緩めることはなかった。
視界が霞む。
膝が折れ、天地を分けた。下から段々と黒に染め上がっていく。床に散乱したガラス片が僅かに光った。
私が泣いていた。彼女が、燿子が泣いていた。
私は思い出した。
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