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マスクつけない宣言

今月に入ってからだろうか。(自分の中では)かなり勇気を出して、飲食店やスーパーに入る際にマスクの着用を止めるようにした。現在はマスクに関して着用しているメリットよりも、デメリットの方が上回っていると思ったからだ。そうしたいなら黙ってそうすればいいという話なのだが、今回は自分のためにあえて宣言することにした。

誰もがそれぞれの意見、考え、正しさを持つ中で、私はこうする。と意識的に決めて行うのは、今回が初めてかも知れない(大多数の人が真逆の主張をしている中で)今までであれば、誰かがマスクを外し始めてからから自分もそれに倣ってマスクを外していたと思う。ただ今回は自分から主体的にこうしようと思うこと、自分にとっては真実だと感じることを率先して行動に起こそうと思ったのだ。

カミさんはそこらへんのことが海外生活の中でかなり鍛えられていて、「マスクは着用してもしなくても、(個人の)好きにすれば良いんじゃない?私も外したいと思えば、いつでも外せるし、個人の自由だよね」とよく言っている。

話は変わるが、海外では意見を主張しないことは存在しないことと同義、という考え方がある。常にあなたの考えは?あなたはそれについてどう思うの?とそういう質問されるらしい。最初はカミさんも自分自身のことについて質問されても、日本ではそもそもされたことが無いような質問が多く、しかも外国語が話せないもんだから自分のことを伝えることにかなり苦労したようだ。その点、私はずっと日本に住んでいて、そのあたりについて相当サボっていた自覚があるので今になって訓練しているというわけだ。

実際に自分がマスクを外して、スーパーやショッピングモール、カフェ、役所など様々な場所へ行ってみたが、どこに行ってもマスクを着用して下さいとは言われなかった。唯一、指摘されたのは伏見稲荷大社に行った際、警備員の方に「マスク着用にご協力ください。マスクは持っていないんですか?」と確認されたくらいだ。その時は反射的に反発して、逃げるように「持っていないんですよー」(実際は持っている)と返事をして、その場から離れた。今思えば逃げるように離れる必要もなく、堂々としていれば良かったと思うが、マスクをしていないことに勝手に罪悪感を感じていたのだと思う。今もその罪悪感は時折うっすらと顔を覗かせるが、本来はその罪悪感は感じる必要のないものだと思う。この罪悪感の正体は、私が未だに他人軸で生きていることから生じているのだと思う。

とは言え、完全に他人軸から自分軸へと切り替わってから行動に移すのではなく、まるで現在もうすでに自分軸で生きているかのように実際に行動に移すことが大事なんだと思う。だから私は今回こう宣言することにしたのだ。

『私はこれからマスクつけません』

実際に記事を書きながら、自分の行動を振り返って思ったのは宣言して、それを実際に行動に移すことが大事(自分のために)と言うことだ。これは心理カウンセラーの心屋仁之助さんも書かれていたが「嫌なことを嫌と言えるようになると、逆説的だが嫌なこともやっていいかな?」と思えるようになるというのだ。

私の今回の話で言えば、もうマスクをつけたくない!つけない!とカミさんに宣言し、実際に行動に移したことで、自分に対する信頼感のようなものを少し取り戻せた気がする。やりたくないことをやらない自由を私は私に許すことが出来た。そのことによって場合によっては、マスクをつけても良いと思えるようになった。今のところ殆どの場所でマスクを付けていないが、人から指摘された場合は着用を検討しようと考えている(長時間でなければ)

自分で考えて、自分で行動するのであれば、誰もが納得することが出来る正解なんて存在しないと思う。だからこそ悩みながらも自分の思うようにを行動に移していくことが必要なんだと感じる。私の場合はこのタイミングになって、ようやく自分の人生の操縦席に座っているのは自分ということを思い出し始めたのだと思う。

何回も悩むし、迷いもするけど、それで良いのさ笑

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