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【仕事と趣味の差別】3-2 誇示的消費―財産の浪費を見せびらかす―

 3-1では、財産を見せびらかすために時間が浪費されることを述べた。ここでは、財産を見せびらかすもっとも直接的な方法、すなわちその財産そのものの浪費を見せびらかすことについて述べる。これを誇示的消費、または顕示的消費と言う。

 前述のように、戦利品の消費が、男性や優越した地位にある人間に限られたことの名残として、消費するのにふさわしい物は、その消費者が属する階層によって決まる。消費する物と、消費者の所属階層との間に一定の対応関係を定める思考パターンは、繰り返し行われる会話や行動によって、世代を超えて継承されてゆく。価値観が再生産されると言っても良い。

 産業が発達し、社会全体の物が豊かになると、「紳士」は消費する物の「質」についても条件を付けられるようになる。太古の段階では、単純に消費すること、あるいは大量に消費することが、その他大勢との差を見せつけるのに十分であったが、だんだんそうはいかなくなってくる。紳士が消費する食べ物、飲み物、酒、住居、装飾品、武器防具、娯楽、宗教的サービスは、いずれも高級で、庶民には手の届かないものでなくてはならない。

 これらの品物が改良され、洗練されていく理由は、もちろん第一には、その実用的な機能を高めたり、消費者の利便性や使い勝手を高めることである。しかし、もともと改良によって生じた品物の序列は容易に、人間の序列を表現する手段として利用される。

 時代が下るにつれて、物の質的な優劣が発達し、細分化すると、紳士はこれらの物の「目利き」であることが求められるようになる。自らの身分にふさわしい、高貴な物、高尚な物と、そうでない物とを識別する能力が必要になる。もはやこの段階では、紳士は財産があり、武勇に秀でているだけでは体面を保つことができない。紳士としての品位を保つには、審美眼を養うことが求められる。

 物の優劣と、身分の上下の対応関係は固定してゆく。するともともとは機能の優劣や、装飾の精巧さの差でしかなかったのに、物には高尚なイメージや、逆に卑俗なイメージが付着することになる。こうして、趣味嗜好にも序列があると見なされるようになる。クラシック音楽がなんとなく高尚な感じがするのも、演歌がなんとなく俗っぽい感じがするのも、このためであると思われる。

 また、1本10億円のストラディバリウスというのは、このような序列が極端に発達した例だと考えられる。ストラディバリウスの異常な値段は、その楽器のアプリオリな価値のためではなくて、物に序列を設ける文化的、歴史的な価値観の産物である。そう考えると、次の事実は意外どころか、むしろ納得できるものである。プロのバイオリニストにそこそこ高い現代楽器のバイオリンと、ストラディバリウスの音を、どんな楽器であるかを隠した上で聴き比べさせたところ、ほとんどのバイオリニストは現代楽器のほうが良い音だと答えたという。ストラディバリウスは古楽器に分類されるが、一般的に古楽器は現代楽器とはかなり音色が異なる。一度でも古楽器のバイオリンの音を聴いたことがある人なら容易に理解されると思うが、現代楽器のバイオリンに比べて音がざらざらしている(それが味でもあるのだが)。ストラディバリの時代以降、楽器は改良が重ねられて音色も変化しており、かつ現代人は現代楽器の音に慣れ親しんでいるわけだから、現代楽器のほうが良い音だと感じるのはむしろ当然である。

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