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休職30日目

完全に遊び燃え尽きた…
別に大きな何かをしたわけではないが、
なんかこう…完全に頭が休憩モードに入ってしまっている。

例えるなら土日の感覚。
何もしないでいいし、ゆっくり休んでも誰にも咎められないあの感じ。
それが今日、金曜日に訪れている。

こんな状態で私は週5日の労働を再開できるのだろうか、
と一抹の不安を抱える。

とか言いながら、きっと復職したら耐えられるんだろうなと思っている。
そんな部分は自分に絶対の信頼が置ける。

ふと先週受診した際に主治医に言われた言葉を思い出した。
「“怒られる”ってワード、使わないようにしましょう。あまり社会人は言わないですよ。」
え、まじで?

自分のトラウマや休職するキッカケ、自分の根っこにある根源
「人に怒られるのが何よりも苦手」
ということを何度か主治医に説明しているのだが
その度に言われていた気がする。

その言葉の真意はわからないが
確かに“怒られる”ということを避けるあまりに
“怒られる”という言葉を頻発していた。
嫌いなものを意識しすぎて、逆に頭から離れない現象と同じなのだろう。
意識しないように意識しすぎると、結果として意識してしまう的な。

私の場合、
“怒られる”ことを意識しすぎて、“怒られない”ように“怒られる”ことを意識した行動で、結果として“怒られる”ことを一般人よりも意識してしまっている。
ということか。

なるほど、そういう意味では
私は逆に過剰に意識していたあまりに、自分の意識に囚われているんだろう。

確かに、社会人が“怒られる”というケースはそんなにないだろう。
よほどのブラック企業、気難しい上司、だいぶ無能というシチュエーション以外では、“怒られる”ということはあまりないんだろう。

かくいう私も、“怒られる”ということはほとんどない。
「万が一」が、偶然たまたま出てしまったのが、N激昂事件だったのだろう。

つまりそういうこと。
万が一の“怒られた”という事象を拡大解釈して、二分の一くらいの可能性に
勝手に高めて、勝手にビビっていたということなんだろう。

はたから見れば、これがどんだけ滑稽なことか。
この点のメタ認知はより精度を高めていきたいな。
一方で、自分をカッコよく見せるためのメタ認知は外したい、
メタ認知をめぐっての相反する対応をしないといけないのは
これからの鍛錬だろう。

やる気が起きないと言いながら
しっかり自己分析出来ている、
やるなー俺。
今日もほどほどに頑張ろう。

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