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休職20日目

めでたく(?)休職期間が営業日にして20日となりました。
つまり1ヶ月を超えたということ。
1回目の休職は約3週間だったから、
ついに前人未到の休職期間に途中したということになる。

見た目的にはあまり変わり映えのしない1ヶ月だったが
内面的には相当進歩があったように自分でも思える。

ということで、
今回はこの1ヶ月で変わった、発見した内面について振り返る。


休職するようになった原因

原因はただ一つで
・業務期間内外問わず、緊張や不安が常時止まらない
という症状に、私も家族もみんな疲弊していた。
妻曰く、顔つきが険しいものになって、体型もやつれていたらしい。
別に急ぎの業務があるわけでも、叱責されているわけでもないのに
ひたすら焦っていた。
何かに追われていた、根拠もないのに止めどもなく不安が押し寄せていた。
いくら業務を捌いてもその不安はなくならず、
業務の終了時間が訪れてると徐々にその不安は解消されていく。
そんな日々を送っていた。
偏頭痛と、睡眠中の途中覚醒が毎日続いていた。

休職するようになった原因の原因

とってもわかりづらい日本語だが、
すべての事象には原因があるように、
休職するようになった原因の原因が休職をはじめて徐々に見えてきた。
(韻を踏みきれていないのが歯がゆい…)
・信頼していた同僚を怒らせて、(個人的には)ひどい仕打ちを受けた
ということが根本の原因であったと悟った。
そもそも元来、私はひとから詰められる、叱責されるというものが大の苦手である。
そもそも怒られることが得意な人などいないと思うが、
私の場合は少々度がすぎるくらい苦手である。
人の目を気にしてしまう、自責思考が強いという側面があるので
なおのこと怒られると萎縮し、申し訳ない気持ちで心がいっぱいになってしまう。

それはさておき、
怒られたという出来事そのものは約1年前の出来事で
それ自体はもう風化しつつあることなので、あまり気になっていない。
しかしながら、
結果としてその出来事から転じて

 どんなに関係を構築していた人でも、些細な言動ひとつで怒らせてしまい
 ひどい仕打ちを受けてしまう。
 関係を構築していた人ですらそのような仕打ちを受けてしまうのだから
 ビジネス関係の浅い関係値の人を怒らせるどうなるかわからない。
 ↓
どんな仕事もミスできない。ミスすると叱責されるのではないか。

という負のマジカルバナナが成立してしまった。

解決方法

当初は「適応障害」と診断されたので
リワークを通じて復帰活動をしていこうと思っていた。
しかしながら上記にある通り、私が休職してしまった主たる原因は
「適応障害」というよりも「“過度に叱責された”トラウマ」であると思っている。

よってリワークに行くというよりも、
リワークで得られる認知行動療法、もしくは
トラウマ克服の病院に通院するのが良いのではないだろうか。

つまり、私がこの症状を脱却するには
・リワークが必須ではない
・認知行動療法、トラウマ克服に長けている病院に通院
・復職して「ミスしても怒られない」という経験を積む

が次のステップだと考えている。

ちょっと派生して治したいこと

一番はトラウマにもなっている
・他人から叱責されてもひるまない(≒動じない)
というマインドセットを会得したい。
このトラウマの根本には
・他人によく思われたい(変なメタ認知がある)
・怒られないために真面目でいる
という、原始時代の集団行動をそつなくこなすための脳の考え方が
令和のいまでも私の脳内にこびりついている。
この点を払拭させたい。
チープだが、わかりやすい表現としては
・ヘラヘラ鈍感な人間になりたい
である。

(補足)休職に関する考え方

今もだが、休職することへの不安は多少なりとも持っている。
それは持ち続けるべきであると思うが、
一方で
それだけをずっと持ち続けていると
今まで見たいに不安に支配され、休職期間そのものが悪になってしまう。
上記の通り、私は休職期間だったからこそ
自分の心を因数分解できて、解決策や今後の人生の目標、指針が出来た。

昔から私が私に持つコンプレックス(自称真面目コンプレックス)を解消するには、死なない程度の事故や病気による入院などによって
死生観を強制的に変えなければ変わらないだろうと思っていた。
(死なない程度に車に轢かれよっかなーと考えたことは数知れず)
でも、入院も休職も働く、という営みから外れるということでは一緒ではないか、とも考えられるようになった。
ならばこれ幸いと、今こそ(大局的な)死生観を見つめ直す期間だと思うようになった。
水が上から下に流れるように、何もしなければ
「そんなバカな!」「ひとはそうそう変われない」
という気持ちに引っ張られてしまうが、
その本能に抗って、自分に打ち克ってこの考え方を会得したい。
そのために給与が大幅に下がる「傷病手当」や、職場からの信頼や昇進の芽がなくなっていると考えよう。
No Pain,No Gain
なのだ。
特に、お金に関しては
Pay money To my Pain
なのだ。(通帳残高が下がっていくたびに自分に言い聞かせている)

終わりに

毎日思いついたことをひたすら書きなぐっている日々なので
あのことは書いたかな?そのことはどこに書いてたかな?
ともうひっちゃかめっちゃ。
でもそれでいいのだ。
そのくらいグレーで、完璧でなくて良いのだ。
これもまた休職中に得た考え方のひとつ。

贅沢な毎日だけど
少しずつ自分を紐解けている気がする。

この日々が本当に良かったか、なんてことは
きっと数年後の自分が判断してくれるはず。
その時には良い評価になっているといいな。

エピローグ

そういえば、引っ越してきたばかりの時に
駅までの移動手段として自転車(ロードバイク)を買った。
カゴもつけられれば、買い物もできると思っていたが
カゴが取り付けられないロードバイクだったと判明。
そのときに妻には相当嫌味を言われたが、
自分が腕で買い物を持つことでなんとか使えていた。
しかしながら、やはり大きな荷物を持つ時には不便で仕方がなかったので、
半年後くらいにママチャリを買った。
追加の損失だと思っていたが、それでも買い物がぐっと楽になった。
その後、妻の妊娠が発覚。
ロードバイクだとお腹に負担がかかるため、駅までの移動手段として
ママチャリも代用することに。
きっと、ロードバイクにカゴを取り付けていたら
このタイミングでママチャリを買っていただろう。
そう考えると、ロードバイクにカゴが取り付けられなかったあの時点では
良い評価ではなかったが、数年後経て思い返すと
その評価は良いものになっていた。
人生もそんなものだろうと実感。

短期的な物差しではなく、長期的な物差しで人生を計っていきたい。
(何この最終回的なノリ、来週もまだまだ休職期間なので書いていくでー。)



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