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みなさんは、人に心を開けていますか?

さて、突如本題へ。


みなさんは、人に心を開けている実感がありますか?


いつからか忘れてしまいましたが、私は、人に心を開くことが難しくなってしまったようです。


自分ではそんなことないと思っていたのですが、人に指摘されて気が付いたのです。


「それって、人が嫌いってことで、誰のことも信用してないってことじゃない?」と。


自分でも自分の本音はわからないけれど、
人と一緒にいるのも人とコミュニケーションをとることも割と好きだと思っていましたし、
人懐っこいね、だとか誰とでもすぐ打ち解けられる、だとか言われることが多かったものでして、、、。


でも確かに、気が付いたら、人と深いところで接するのが怖くなってしまったようです。
この関係も、すぐに終わってしまうかもしれない。この人もどこかに行ってしまうかもしれない。

その場しのぎで平和に、楽しく過ごせればそれでいい。


相手への気遣いを履き違えて、
そんな、真摯とは程問い其の場凌ぎ思考で安易に人とのつながりを求めてしまっていたのでしょうね。
(この辺りの話は、加藤諦三先生の著書に詳しく書いてあります。)


相手と仲良くなりたかったら自分の弱いところも全部曝け出すのがフェアだし、
それが仲良くなるには必須だとは頭で理解しています。


私もそんな人間になれたらいいなと思います。
それにおそらく、人一倍そういった人との深いつながりに飢えている寂しい人間なのでしょうから、尚更飛びこんで行かねばと思うのです。


でも、今まで辛いことを乗り越え生きていくうちに、私には何をさらけ出して良いか分からなくなってしまったようです。
どこを切り取っても、相手にぶつけるにはあまりにも重い感情のように感じてしまうのです。


どんなに辛くても心が張り裂けそうでも、
心から溢れ出た感情をいますぐあの人にどうしても伝えたいと思っても、
我慢して自分の中に留めておいて、無理に納得させ自己完結させることができるようになってしまったのです。


どうしても欲しくても、
どうしても言いたくても、
私の欲しいものは手に入らなかったから、
こうして自分を納得させて耐えて耐えて生きてきたのかもしれません。


そんな自分に慣れてしまい、気がついたらそれが当たり前になってしまいました。


今だって、辛いです。
なんでこんなことも出来ないんだろう。
なんでまたこうなっちゃうんだろう。
なんで、今日もこんなに天気が良くて、こんなにも愛おしい人や物が地球上に存在していて。
なのになんでまた挫けそうになるんだろう。
なんで泣いているのだろう。
なんで今日もまた、今この瞬間に命が終わったらどんなに楽かと考えてしまうんだろう。


もっと人と関わって、傷ついて、楽しんで、また傷ついて。
それでもしばらくしたらその傷が癒えて、また新たな出会いがあり、知らないうちに大切なものが増えている


そんな人生が過ごしたいのに、それにそれに向けてどんなことをしたら良いかわかっているはずなのに、また私は死にたいという方向に逃げてしまいそうになるのです。


アドラー心理学的にいうと、これって結局、
内にこもって傷つきたくない自分を、つらつらと理論武装しているだけなんでしょうね。

結局私は何もしたくないのかもしれません。
でも、自分が望むものくらい、
自分の手で掴みとって自分にあげてみたい。

きっと私は欲張りなのでしょう。
簡単なようで、一番手に入れるのが難しいものを望んでいるのです。
私が欲しいのは、目に見える物や肩書きや賞賛、そんなものではありません。

難しいものを手に入れたいのだから、それだけ努力しないといけません。
頑張って前進するしかないのです。

・・・こんな思考のあいだをゆらゆらしています。



ここまで書いて、
なんだかまた自己完結してますよね。
きっと、やらない言い訳を探しているのでしょうね。


みなさんは、何が一番欲しいですか?
そして、人に心を開くことができていますか?

今日はここまで。
読んでくださってありがとうございます。

(ヘッダー写真は、いつかの京都です。旅したいー!)

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