星野源「そしたら」で涙腺が梅雨入りした

星野源「そしたら」についてです。
この曲を初めて聴いたのは2021年5月14日放送TBSラジオ「バナナムーンGOLD」内でした。
毎年恒例バナナマン日村さんへ向けた曲かと思いきや今年は設楽さんへ。タイトル「そしたら」。
どこまでも粋だぜ星野源。

あの頃の私はエリアフリー機能とタイムフリー機能を駆使に駆使しトマトパスタばかり食う7日間でした本当にありがとうradiko。

そんな大好きな曲「そしたら」ですが、今回星野源12枚目シングルの4曲目にぶち込まれたので、フラゲしたその瞬間鼓膜へ「そしたら」を届けることができました。

noteで語るにはかなりキモキモオなので2点に絞ることでダダ漏れの愛のダムを制御していきます。

まずは冒頭のここ

君が現れてからどれほど経ったかな
怒られる日や夜が怒るより増えたな

の増えたな、な、「な」!

この「な」に星野源を感じてしまい私の涙はとどまる事を知らない時間(とき)の中でいくつもの移りゆく街並を眺めていたですよもう。

「ね」じゃなくて「な」であるところが好きポイント128億。

ひとりで考えふけてるんですね、この歌の主人公(親)と対になっている愛する人(子)に語りかけるでもなく、その人との今までをひとりで思い返しているんですねこの「な」は!!!!!


いま、私の中のくりぃむしちゅー上田が好きと叫んでいます届け星と野の源へ


こんな調子で書いていてもこんなベリーロングロングセンテンス誰も読んでくれやしないけどもう一点だけ挙げさせてくれ

明日なんて 誰も 知らないけど
取り敢えず今日まで続いてよかった


夏目漱石もびっくりですよ愛の言葉「取り敢えず今日まで続いてよかった」。今までの全てを肯定するかのようなこの言葉が愛以外の何ものであろうと言うのか。愛してるだとかそういう言葉を歌詞に入れないと言う星野源から、星野源が思うそれに代わる言葉をたくさん聞ける我が人生に一片の悔いなしです。

何がびっくりって親になったことのない星野源が子のことを想いながら「きっとこんな感じなんじゃないかな」と作詞したこと、そして何より怖いのが親になったことのない私(独身)が「きっとこんな感じなんじゃないかな」と号泣していることなんですね。


星野源から与えられる表現全てを摂取して私の涙腺は年中梅雨に見舞われてるのでこうして息継ぎもできないようなクソnoteが出来上がってしまったのにエッセイとかコラムとかいうnoteらしいタグ付けてるの超恥ずかしい。

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