夫が逮捕されて ー経緯ー
愛する家族がある日突然連絡もなく帰って来なくなったら。
ある日突然自宅に警察が押しかけてきたら。
日々共に過ごし、信用している愛すべき家族が、加害者になってしまったら。
誰しも憔悴し、事実を受け入れることなど出来ないでしょう。
2021年2月から、私の身に起きたことをここに残します。
あの時ひとりで絶望していた自分に。同じ境遇の方に届きますように。
失踪した家族
いつもとかわらないある日、突然夫が連絡もなく失踪した。
仕事がおわったら必ず連絡してくれていた夫が、連絡もなく帰って来ないなんてことは付き合って5年以上、初めての出来事だった。
一向に既読がつかないLINEと、繋がらない電話。
交番まで相談しにいくと、
心配しすぎじゃない?と鼻で笑われつつも未帰宅者届を提出した。
もしかしたら浮気かもしれないな。どこかで呑気に寝こけていたりするのかな。とか、色々考えて、
なんでもいい。生きてさえいてくれればいい。
と願いながら夜中まで夫の行きそうな場所を探していた。
翌日の朝、警察から連絡が入り
夫が職場から遠く離れた場所の警察署で拘束されていることを知るのだった。
知らなかった夫
夫は職場から大きく離れた駅の女子トイレへ女装をして忍び込み、
盗撮目的でカメラを仕掛けていた。
仕掛けられたカメラに気付いた被害者の方がその場で駅員を呼び、
現行犯逮捕された。というのがこれまでの経緯だ。
警察の方は、事件の内容を事細かくわたしへ話す。
夫が、どんな服を着ていたか。何時ごろ、どこで、どのように盗撮を行うべくカメラを仕掛けたか。カメラがどのようなものだったか。
頭を殴られたような衝撃だった。
人生で一番信頼していた夫が、この世で一番気持ちの悪い、卑劣で悪趣味で吐き気のする性犯罪を何日も前から画策し、用意をし、実行したのだ。
当時のわたしはここまで詳細に警察の方から説明を受けても
何かの間違いであるんじゃないかと少しでも信じていたかった。
義父は、息子には前科をつけたくない。と言い弁護士を探し始めた。
被害者の方への申し訳ない気持ちより先に、夫を信じたい気持ちが逸っていた。
今思えば申し訳ない気持ちでいっぱいで、手が震える。
性依存症という病気について
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事件が起こる数日前、Twitterで読んでいた漫画をわたしは思い出していた。
【性依存症という病気に苦しみ、身勝手で自分や他人を傷つけるセックスが辞められない主人公が治療の為に日々努力する。という漫画である。】
この漫画の中に、盗撮や痴漢など、性犯罪についての記載もあったことを思い出した。
夫も病気なのではないか?治療により、治るものなのではないか?
面会の際、
留置場で拘束されている夫に、性依存症という病気を説明し、
治療を行える病院を勧め、治療を行わないのであれば一緒には暮らせないこと。離婚についても話した。
夫は真面目に話を聞き、自分の行動が病的であること。治療を行うことを約束した。
わたしはその言葉を聞き安心した。
治療をすれば、きっと夫はよくなるし、もう盗撮なんてしないだろうと思っていた。
しかし、依存症という病気の根深さと、本質的なものをこの日から何年もかけて知っていくのだった。
依存症専門病院 自助グループへの繋がり
夫が拘束されている間も、わたしは毎日のようにできることはないかと動き回った。
自助グループという、
様々な問題行動を抱えた当事者の方が集まる集会へ足を運び、
依存症という病気がどのようなものなのか。依存症とは何なのか。
当事者の方の苦しみを直接耳にした。
私がはじめに向かったのは、性依存症者本人のための自助グループだった。
家族も参加できるオープンミーティングの日にお邪魔して、
様々な性依存の症状を持つ方が、どのように問題行動を行うようになったか。今どのようにして過ごしているのか。
お話を聞き、繋がりを持つことができた。
そして、
性依存症者家族のための自助グループがあることや、依存症専門病院についてもここで教えていただいたのだった。
次に向かったのは、依存症専門病院。
家族が盗撮で捕まってしまったこと。家族は性依存という病気なのではないかと思っていること。を診察の場で医師に話すと、
あなたが共依存症でしょう。と一言言われ、それで診察は終わったのだ。
この時がわたしが初めて共依存症という言葉と出会う場面だったが、
共依存症という言葉への印象は最悪で、
たいしてわたしの話も聞かないうちに冷たく言い放って、
夫よりもこのわたしが依存などと、なんと失礼なのか。と思ったものだ。
わたしを治療するのではなく、夫を治すべきだと怒った記憶がある。
当時のわたしは夫が捕まった日から満足に睡眠も取れておらず、食事もとれず、日々泣いて過ごし、電車の中で少しうとうとするだけで過ごしていた。
夫という他人の人生に巻き込まれてしまったいる状況を、共依存と言わずになんというのか。
今の自分ならわかるものはあるが、当時の自分に自分を客観的に見る余裕など少しも存在しなかったのだ。
今思い返せば、
このころの私は理解できないものをただ理解しなければという強迫観念に駆られていたように思える。
夫を理解しなければ。夫の病気を治すことは、加害者家族となってしまった自分の責任だ。私が夫を止められなかったから。わたしがもっと早く気付いていれば。止められていれば。
自責の念を、夫をどうにかすることで、夫を理解することで忘れようとしていた気がしている。
何冊もの依存症に関する本を読み、
性依存症者が何を考えているのか、どうすれば治るのか、
どこかに答えがあるものだと信じてやまなかったのだった。
市役所をめぐり、保健所へ行き、
性依存症者家族の会や、性依存症者家族のための自助グループ、
アダルトチルドレンのための自助グループ、共依存症者本人のための自助グループ、性依存症者本人の自助グループ・・・
とにかく、いけるところには足を運んだ。
少しだけだけど、先が見えてきたような気がしていたころだった。
現実からの逃避
警察から、夫の荷物を返すと連絡がきた。
盗撮に使われたカメラや、女装を行った服は警察で処分をしてもらったけれど、
当時夫が持っていた職場用のカバンや、おそらくカメラを取り付けるのに使っただろう細かい備品、携帯電話などがわたしのもとに帰ってきた。
警察では、携帯電話のパスワードがかかった部分は触らないようだ。
長年夫と過ごしていれば、携帯電話の中のどこに何を隠していてパスワードを何に設定しているかくらい簡単にわかった。
聞いていたよりもずっと前から行われていた盗撮の余罪の数々。
入籍をしたころから少しずつ増えていく動画
職場の女性との浮気未遂が行われていたトーク履歴
義母との歪な関係
これまでの思い出の数々に、盗撮が行われていた痕跡
犯罪を画策するメモや、購入履歴
カメラを仕掛ける夫の初めて見る表情
夫が本当に自分の意思で、盗撮を行っていたこと。
それも数えきれない量の動画と、カメラを仕掛ける今まで見たことのない顔つきの夫がそこには映っていた。
それをすべて見た瞬間、わたしは耐え難い気持ちになり、精神安定剤を数えきれないくらいのシートを口にして、
目覚めたときには数日が経っていたのだった。
膝に力が入らなくなり、地べたに這いつくばり、泣き叫び、ただこのつらい現実から逃れたい一心だった。
夫の釈放と、自殺未遂
それから毎日、父や親友たちがわたしの様子を見に来てくれていた。
わたしが食事をするまで見守ってくれて、忙しい中、何も言わずにそばにいてくれた父や親友たちには頭が上がらない。
数週間が経ち、夫が釈放される日。
抜け殻のようになったわたしに、
夫を更生させなければならないという使命感のようなものと、
嫌悪感で夫を殺してしまわなければ気が済まないといったような怒りの気持ちが生まれていた。
釈放された夫は焦点が合わず、震え、何かにおびえているようだった。
警察の方からは、ご主人は憔悴しているのであまり責めないでやってくれと言われた気がする。
自分がしたことでなぜ自分が被害者のような顔をしているのかわたしにはわからなかった
私の姿を見て子供のように縋ってこようとする夫が心の底から気持ちが悪く、
思い切りビンタをし、触らないで気持ち悪い。と暴言を吐いた。
警察の方や弁護士の方がいうには、留置場でも夫は落ち着かず、常にソワソワと動き回り、余罪で再逮捕され実名報道されるのではないか。家族に迷惑をかけるのではないかという妄想にとりつかれ発狂をしていたそうだ。
警察の方に再三、ご主人は気が動転しているから。どうか気をつけて帰ってほしい。と言われたが
その心配は的中し夫は車道に飛び出しトラックに撥ねられたのだった。