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今日の僕を明日の君へ(08)

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 始業終業に決まりはなく、平日の午前九時に開かれる朝礼を一日の最後の仕事にする夜型のスタッフも多い。出席は義務ではあったが、仕事さえやっていれば問題視されることはないので、全員がそろうことは、まずない。そのため、重要な伝達がある場合は前もって周知が図られるが、半月前から告知があり、共有のカレンダーには「絶対出席!!!」というタイトルで、詳細には、「欠席の場合は必ず理由を記載の上、メールにて必ず連絡をするよう」と記されていた。
 時間ちょうどに始められた朝礼にて、リーダーである一升瓶を抱えたクマは、「Dデイ到来です」と口火を切ったが、聴衆たちは無反応で、それでもなお、「皇国の興廃この一戦にあり」と続けて場を白けさせたのは、夜通し作業をして、もう酒が入っていることが原因なのだろうか。半年後に景気刺激策の目玉として行われる汚染値の見直しについて、全社を挙げて「世論醸成」を行うことになった、会社が創立してから最大の案件であり、この成否が今後の社運を握っていると言っても過言ではない、と仰々しく語ってから、実際のタイムスケジュールは、サブリーダーが説明した。
 これから一ヶ月後に、与太話も多い三流のニュースサイトにて、無記名で、「ついに命を売り渡す? 死に体内閣によって国民の命が危ない!」という文章が掲載され、それから半月後、経済新聞に、「汚染値見直しを検討」というスクープ記事が出る。「内閣としては、汚染値の見直しについて検討したことはない」と否定するが、「諮問会議にて検討中」という続報を受けて、「会議の参加者には自由に討論をしてもらっているので、ここで意見を表明することは控えさせてもらいたい」と答える。その週に、議事録が流出して、T所長の発言であることが発覚する。リーダーの演説は受け流していたスタッフたちだったが、サブリーダーのつくったスライドに、「T所長」の名前が出ると、思わず失笑した。
「すげぇーな、また、この人、買って出たんだ」
 かつてアメリカで教鞭を取っていたT所長は、ビジネス本で世界的なヒットを飛ばしたことがあり、日本の大学に移籍した際には、「ノーベル賞にもっとも近い経済学者」という触れ込みで矢継ぎ早に本を出版し、あらゆるメディアに露出していたことを覚えている。経済の解説だけではなく、なぜか関西弁の翻訳ボイスで話す金髪碧眼の奥さんと一緒に、バラエティ番組やインフルエンサーの動画にまで登場していた。「経済学の世界的権威」とやらが、「あんた、ほんま、あほやなー」と奥さんに叱られて苦笑いしているのを、何度も見せつけられた。大学の教員から自らが設立したシンクタンクの所長に就き、政府の有識者会議や諮問委員会などの常連となると、一転して、メディアに出ることを控えるようになり、かつては、ニュース番組において自分自身の言葉で解説を披露していたが、今は、他人から解説される立場となっている。
「よくやるねー」
「もうこわいくらい」
「さらに別荘が増えるな」
「次は、どこだよ?」
「南極じゃない?」
「まさか」
「いや、南極移住運動のパトロンだって聞いたよ」
「あれ、フェイクだろ」
「フェイクと見せかけて、本当らしいよ」
 サブリーダーが、「もうここで言っちゃうけど」と、画面共有されているロードマップに、「元秘書のパワハラ告発で辞任」と書き込んだ。
「そこまでやる? 金の為に」
 「そりゃ、経済学者様だから」と言う言葉に、全員が笑う。
 日本で行われる世界卓球選手権の日程、「優しさこそが人を富ませる」というドキュメント映画の公開と、舞台となったアフリカにある小国の女王様来日、ネットでの抗議活動開始、首相のお膝元での県知事選、十年前に起きた「汚染水無差別殺人事件」死刑囚の死刑執行、JAXAによる探査機の新たな小惑星着陸、臨時国会の召集、中堅コメディアンによる迂闊な政治的発言、サッカー日本代表監督の辞任、瓦解直前から復興までを描いた連載十年に及ぶ人気漫画の完結とハリウッドでの映画化発表、与党幹事長による詰めの甘い憲法改正草案が雑誌に掲載、防染作業員による国家賠償請求裁判の結審、現政権へ批判的なニュースサイトによる世論調査の公表、その三日後に与党寄りの新聞から新たな世論調査の公表、かつては「瓦礫派の新旗手」と言われていた評論家の養育費未払い発覚、人気小説家の五年振りの新作発売、審議拒否で委員会が空転、国会前でのデモ、アイドルグループの解散決定、大臣秘書のサラリーマン時代の横領もみ消し怪文書の配布、若手女優の性転換手術歴暴露、議員在職三十年の野党議員の架空領収書疑惑が炎上、等々。今後半年の間、国民の耳目を集めるであろう事柄が時系列順に並んでいた。製作者が物足りなさを覚えらしく、あるイベントとイベントの隙間から矢印が伸び、「芸能人、逮捕?」と手書きで足されていた。
 会議ソフトの設定次第では、ミーティング参加者たちを順番に表示したり、発言者だけを大写しにすることも出来るが、忙しなく移り変わるのが好みではなく、全ての顔が一画面に収まるようにしている。会社から支給された三台目のノートパソコンは、今回も分不相応なハイスペックであり、ディスプレイもクリエイター向きの高解像度ではあったが、小さく分割された枠の中にあっては、参加者たちの細やかな感情の動きを感じ取れない。基準値の緩和を打ち出して全土での抗議活動を招き、倒閣に至ったイギリスでの騒動を思い起こせば、これまでの衆議院解散総選挙や都知事選よりも多方面にハレーションを起こすことは、全ての参加者が理解しているだろう。サブリーダーからの説明に、軽口を挟み、質問の手を挙げ、メモを取り、居眠りをするような者もなく、誰もが真摯に耳を傾けていた。個々人の顔には大きな変化を見て取ることは出来なかったが、未曾有の仕事を前に興奮で高調しているような雰囲気はなく、画面全体から色が失われていくような感覚を覚えた。
 ロードマップの最後は「強行採決」ではなく、それから一週間後に、このロードマップ自体がネット上に流出して完結であった。誰かが、鼻で笑ってから、「入念ですね」と感想をつぶやいたが、続く者はいなかった。
「流出した日が最後? それとも、その流出についても醸成をするんですか?」
 「どっちだろ?」とサブリーダーがタブレットを取り出して資料を確認したようだが、「ごめんなさい、気が付かなった。調べておきます」と言った。「他に、聞きたいことある?」と問われて、参加者たちは、もう一度ロードマップに目を通す。ただ話しを聞いていただけなのに、疲労が澱のように沈殿しており、頭はうまく回らない。真面目に考え込んでいる振りをするが、本心では、もう誰も質問をしないでくれ、と願っている。息を殺して間延びした沈黙を耐え忍んでいたが、「さぁ、みなさん、どうでしょうか?」とリーダーが、楽しそうに語り出した。
「この台本、もとい、ロードマップを見せられて、ワクワクしませんか? あぁ、またアレか、いつものヤツを見せられるのか、考えただけで胸焼けがする、なんてことを思っている人は、一人もいませんよね? またも同じパターンだよ、よくもまぁ飽きねぇよなぁお前ら、馬鹿なんじゃねーの? なんてことを思っている人は、一人もいませんよね? なんでまぁこんな無駄なことを繰り返すんだろうねぇ、進歩がねぇなぁ、なんてことを思っている人は、一人もいませんよね?
「マヌケな」じゃなくて「素晴らしい」、「しょーもない」ではなく「生産的」、「アホクサ」とは言わず「崇高な」論争が、もう目に見えますねー、アリアリと。まるでデジャブだと錯覚してしまうような、リアルさでもって。
 うれしいですねー、たのしみですねー、こころがおどりますねー、しかも、今回は汚染値の見直しという、どう転んだって、みんなが大興奮間違いなしの題材ですからね。もうもう、ホント、あぁ、やってらんねーぜ、オッと間違い間違い、やる気がみなぎって来ますね、よーし頑張らなくちゃ。明るい日本の未来の為に、いっしょうけんめい、職務に励もうではありませんか」
 リーダーは、最も社歴の浅いスタッフに向かって、「そう思うでしょ?」と投げ掛けた。リアルなブリキのロボットのアバターは、キコキコという軽い金属音を発しながら頭をかいて、「アハハハ」と乾いた笑いもらした。


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