見出し画像

今日の僕を明日の君へ(07)

[最初から読む]
[一つ前を読む]

 翌日には、首藤さんから「全部読んでおいてくれ」と、大量のデータが送られてきた。最初の数ページには目を通してみたが、造語ではないかと勘繰りたくなるような名詞の羅列に苦しめられた。どうにかこうにか守秘義務について語られている文章であることは理解出来たので、エッセンスは把握したと、そのファイルは二度と開かなかった。
 雇用契約を結ぶに当たって、弁護士っぽい人と話すこととなり、「正直にお答え下さい」と念を押されてから、「お送りした資料は、読んでいただけましたね?」と聞かれたので、「大体は読みました」と答えた。
「大体ですか?」
「えぇ大体」
 「大体ですと、お話を進めるわけにはいかないので、またご連絡をさせてもらいます」と言われて、契約はいったん保留となった。翌日、同じ時間にテレビ電話が来て、「嘘はいけませんからね」と言われてから、また、「お送りした資料は、読んでいただけましたね?」と聞かれた。
「読みました」
 「そうですか」と満足気にうなずき、「もう一度、お聞きますね。お送りした資料は、読んでいただけたということで、よろしいですね?」と聞かれたので、「えぇ、読みました」と答えた。
 質問事項が並ぶサイトに誘導されて、「ご異存がなければ、「はい」をお選び下さい」と言われたが、またしても読み解くことの出来ない日本語が記されていた。努力はしてみようと、意味の分からない単語の一つを調べてみたが、その説明を理解する為に、またしても検索が必要であり、全て「はい」を選択した。
「おつかれさまでした。これにて雇用契約の締結は終わりになります。なにかご不明な点などは、ございますでしょうか?」
 「ちなみに、「いいえ」を選んだら、どうなるんですか?」と聞くと、「そのことについて、私は、答える権利を有しておりません」と、ニッコリと微笑んだ。
 髪の薄い社長に退職を申し出ると給与の増額を打診されたが、首藤さんが契約書で明示した金額は、奮発してくれたのか、それとも価値観の相違だったのか、十日分どころか一ヶ月分の自炊を賄うに十分であり、「寮の先輩からの声掛けなので」と、これまでの雇用主を傷つけないように配慮したが、送別会については、「要りません」と断った。
 送られてきた最新のパソコンにて首藤さんの会社に接続し、最初に命じられた仕事は、「自称広告代理店」の退職者に成りすまし、世論形成・世論誘導の実態を暴露する記事の執筆であった。サンプルとして、いくつかのURLを教えられ、「これらを参考にするのはいいが、丸写しだとバレないように書け」と言われた。
 パートナーとの共同事業立ち上げを機に退職した三十代の男性という設定で、深夜までかかって記事を一本書き上げると、首藤さんの手によって推敲されて、とあるニュースサイトに掲載された。首藤さんからは、「記事執筆の動機は、自然で良かった」と褒められ、「文章が長い。テクニックとして、わざと長く書くこともあるが、基本的には長いと読まれない。ほとんどの人間はタイトルしか読まないと思え」と指摘されて、「まったくの素人、一般人では知り得ない、でありながら、なんとなく納得できるエピソードを入れるのは重要だが、逆に、普通に考えると全く筋の通らない裏話も効果的だ」とアドバイスされ、次の課題として、書き上げてアップされたばかりの文章について、反論、または批判をしてみろと命じられた。
 首藤さんの手直しを経た文章が掲載されたニュースサイトについて調べてみると、瓦解直後に立ち上げられたサイトで、それなりに歴史もあり、誤報による記事の訂正や削除を何度か行っていた。それら不名誉な出来事を簡単に列挙してから、「これまでも編集体制を疑わざる得ない記事を多々掲載しており、不祥事が明るみに出る度に表向きは謝罪の言葉を述べているが、内心では全く反省していないことが、また証明された。」と書いてから、ネットを使った密かな世論形成・世論喚起が行われているというのは都市伝説に過ぎないというのが学会の定説であるとエビデンスなしで断言し、「三十代の男性の暴露話」にしても、これまでの多くの「告白」とされている内容の翻案に過ぎないということを指摘、オリジナリティが欠如した創作であると断罪した。
 「これで、いいのだろうか?」と不安に思っていたウィークポイントを自ら突くだけなの、夕方には原稿は完成してしまった。首藤さんに送ると、直ぐに「上出来」という返事で、個人ブログにアップされた。どちらも手探りで書いた文章であったが、ネットで「世論操作」「世論誘導」について検索すると、半年ほどは、上位に表示された。
 入社した当時は、首藤さんを中心にしてメンバーは五人だけであったが、続々と増員された。新しく入ってくる人間は中途採用ばかりだと思っていたが、ある日、新入りが「久しぶり」と古参のメンバーに挨拶をするのを聞いて、同じ会社内の配置転換もあるだと驚いた。「前の部署では、どんな仕事をしていたんですか?」と聞けば、「自称広告代理店」の社名を挙げて、「あそこと同じ、世論形成だよ」と教えてくれた。
 二十人を超えたところで二つにグループに分けられて、首藤さんは現場から離れた。さらに小回りが効くようにと一班五人体制に戻って間もなく、朝礼で他との統合が告げられた。味気ない組織名が、標語のような小恥ずかしい名称に変更されたが、後に、それは愛称だと教えられ、正式名は、最近になってメディアで使われるようになったカタカナ英語だと言われて、同時に略称も知るのだが、どこを切り取っても、そのようなアルファベットの並びにはならず、別の意味が含有されているのではないかと疑っていると、シンプルな呼称に戻った。
 一緒に働いていた同僚が実は派遣社員であることを知り、人手不足というので半年限定で入ったヘルプが、いつのまにか正社員となり、正社員だった後輩が、「自由に働きたい」と契約社員になった。人の出入りが激しいようで、アバターや表示名が変わっているだけで実際は同じ人間であることも多く、画面上の女性が実は男性で、女性のアニメキャラで男性口調だが本人は女性で、筋骨隆々の擬人化された恐竜のCGがバクで剥がれてほっそりとした美人があわれたけれども女装好きの男性で、理想の体型に近づきたいからとスレンダーになるよう加工して、「真っ白な肌がきらい」と日焼けのエフェクトを肌にほどこし、声や話し方から推察して二十代三十代のスタッフがメインだと感じていたが、自分以外の四人の班員は四十代五十代で、肌ツヤの割には白髪が多いと感じていたが、「こういう病気なんだよ」という告白を聞き、社会現象と呼べるブームが起きれば、同じキャラクターが会議ソフト上に並ぶようになり、同姓のそっくりの新人が「双子です」と自己紹介をすると、次の日には、また一人同じ顔が増えて、「三つ子です」と言い、さらには、「四つ子」「五つ子」「クローン」「兄弟」「姉妹」「いとこ」に「はとこ」、「父」に「母」と血縁が増えて行ったが、同じ顔フィルターは唐突に飽きられて、また思い思いのグラフィックに戻っただけではなく、どれだけ個性が発揮できるのか競うようになり、オリジナリティにあふれる顔がもてはやされて、最初に「双子」と言い出したのは、誰と誰だったのか分からなくなった。
 入社した当初は、直属の上司が首藤さんだったので、小ぢんまりとした会社なのだと思ったが、他部署から来た人間に聞くと、「前は二十人くらいいたよ」と答えたので、全部で五十人くらいはいるのだろうかと想像し、続々とスタッフが増えて、社長からの一斉送信のメールで、「皆様のご助力のおかげで、上場への道筋が見えてきました」と書かれており、百人は超えたのだろうと思っていたが、なんの前触れもなく派遣社員が切られて人員が半減し、仕事も減って、「大丈夫か、この会社?」「なんか変だと思ってたんだよ」「直近の会社は、この後、給料の遅配が始まって、つぶれた」などと、プライベート用のメッセージアプリでコソコソと情報を交換し、早々に見切りをつけて転職した社員もいたが、しばらくすると寝る時間を削らなくては終わらない仕事量となり、臨時のボーナスが配られて、毎週のように新人が配属された。
 会社のホームページには住所の記載はなく、同僚の一人は、「日本の会社法も、ようやく改正されて、今は住所がなくても違法ではないからね。ナスダックの半数はヴァーチャルカンパニーだし」と解説をした。しかし、合法ではあっても、所在地の存在しないヴァーチャルカンパニーと言えば、世間一般では、うさんくさい投機案件やマネーロンダリングの温床というイメージであり、「儲かっているんだから、使わなくても、部屋の一つも借りればいいのに」と言うスタッフもいた。
 首藤さんの眼力は確実で、一緒に仕事をした正社員にしろ契約社員にしろ、彼らの勤務態度は真面目で個々人の能力も高かった。まれに垣間見える学歴・職歴はバラエティーに富んでおり、実体験を背景にした知識は、業務の平常時にも非常時にも有効に活用されたが、それでも首藤さんが言うところの「世論醸成」というビジネスモデルについて、満足のいく解釈を述べることが出来る人間は誰もいなかった。
 社会を一つの穏当な中間色に染め上げるのではなく、むしろ決して交わることのないような両極端の極彩色をまぶすことで、どうして金が生み出せるのか謎のままであった。「金持ちの道楽」「大掛かりな社会実験」「マスコミの自作自演」といった様々な意見は決定打に欠けた。各々が口にしないが、この仕事を内心ではいかがわしいと思っているからこそ、市場用の投機商材という説が、一定の支持を得た。
 社長と同じ寮の出身で、直々に「ヘッドハンティング」されたという逸話によって、ウサギ小屋からブタ箱送りになっただけの月並みな男に過ぎないのに、過大評価されてしまう危険があることに入社早々に気がつき、自らは口にしないように戒めたが、しかし多くの社員に経歴を知られていた。
 「社長って、どんな人?」と聞いてくる社員で、トップの過去をほじくってスキャンダルを見つけてやろうとテラテラと顔を輝かしているのは稀で、この得体の知れない会社の有り様に、一筋の背骨を見つけようと苦慮している真面目な人ばかりだった。
 ありがちな世間話を装っていたが、微笑みはぎこちなく、「首藤さん、実は人を殺してますよ」なんてことを冗談でも口に出来ないような切迫感が漏れ出ていた。今にも崩れ落ちていきそうな表情の輪郭を見せつけられて、これこそが普通の家庭に育った普通の人なんだと理解した。みっともないと優越感を覚えることも、羨ましいと劣等感を覚えることもなかったが、普通とは面倒だと感じた。
 四歳の年齢差があるので交流と言えるものはなかったが、歴代の中では唯一の理知的な寮長であり、ボスとして優れていただけでなく学業においても秀でていた、という説明をすると、どのような思考経路を辿ったのかは分からないが、「優秀」な人間であるという面に一筋の光明を見出して安心する者もいるが、その「優秀さ」が余計に悩みを深めることになる者もいた。そういうナイーブな人は、しばらくすると会社から消えた。

[次を読む]


[最初から読む]
[一つ前を読む]


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?