今日の僕を明日の君へ(06)

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 代わり映えのしない寮生活について、単純に悪口を言うのではなく、レトリックを駆使して面白おかしく表現するのが寮生たちの習性で、巧者については、学業の成績とは関係なく切れ者として見られた。無慈悲な寮監や横暴な寮長、いかれた同級生について、数多の短所を裏返して強引に長所に仕立て、数少ない美点の揚げ足を取って欠点とし、些事が大事件のように語られる代わりに、大事件は些事として捨て置かれた。
 記憶力と創作力に富んだ寮出身の学生起業家にとって、古巣のエピソードは自らを世間にアピールする上で重宝したに違いなく、何度となく披露されて、すっかりパッケージ化されており、完璧な彫琢が鼻につくこともあったが、話の端緒からオチまで見事に整っており、ひとしきり笑わせてもらった。
 首藤さんから、「で、今、なにをしている?」と、近況について尋ねられると、社会に出てからも自室にてパソコンのキーボードを叩いていることがメインの男は、ブタ箱送りになった多くの出身者が辿る道筋を語る他なく、「聞いたところで、つまんないですよ」と前もって伝えなくてはいけなかった。「ふーん」「そう」「へぇ」と、平板な合いの手を入れていた首藤さんだったが、副業のLCが軌道に乗ったので、会社を辞めてフリーに転職するつもりだと伝えると、「なんだそれ?」と興味を示した。
 LCについては、会社のベテランでも、かなりの誤解を含みながらも、なんとなくは知っており、首藤さんが全く聞いたことがないというのは意外であった。しかし、貧困ビジネスの文脈で語らえることもある仕事なので、無縁であるのも仕方ないとも言えた。
「いろいろと説はありますけどね、ラブ・コンセルジュとか、ラブ・コンサルタント。あと、なんだったかな、ラブ・コンダクターの略だって言っているところもあったなぁ。流行り始めた瞬間、たくさんの企業が一斉に商標登録して、うちが元祖だ本家だって言い争っているんです」
 「ほぅー、愛について語る仕事か?」と、意地悪く笑った。
「そんな御大層なものじゃないですよ。恋愛をしたがっている人間に、場をつくってあげる仕事です」
「マッチングAIを人力でやるのか?」
「LCって仕事は、理想の恋愛相手を見つけてあげることではなくて、理想の恋愛を提供してあげることなんです。…………すいません、意味分からないですね。
 大分省略しますが、ざっくりとした流れとしては、先ず恋愛をしたい人たちがサイトに登録します。LCは、その中から、互いの希望が合致するような組み合わせを見つけ出します。と言っても100パーセント希望通りなんてことは、有り得ませんけど。
 LCは、こんな人がいますけど、どうです? と、二人に紹介します。ここで重要なのが、プロフィールの詳細については伝えません。なんなら写真データも送りません。恋愛対象に求める要素を読み取って、ふわっとした、イメージが喚起されるような言葉を連ねて、この人は、あなたに最適な人ですよ、と、やる気を起こさせます。うまい具合に両者が会ってみたいとなったら、ここで契約です。だいたい三ヶ月契約が多いですね」
「契約期間中は、LCは何をするんだ? アドバイスをするのか?」
「まぁそうですね。問題が起きないように、導いてあげます」
「三ヶ月して、うまくカップルが成立したら、成功報酬をもらう、というわけか」
「いや、そういうんじゃないんですよ」
「うん?」
「最初に話した通り、この仕事は、恋愛相手を見つけてあげることではなくて、楽しく恋愛が出来れば、それでいいんです。…………やっぱり分かりづらいですね。
 契約が成立して、二人で会うことになったとします。でも事前に、LCを仲介にして打ち合わせをします。相手はこんなことを望んでますよ、だから、こんな感じの話題でお願いします。その代わりに、あなたが、こういう風にして欲しいということは、相手がやってくれますよって」
「指示通りにやってくるものか?」
「えぇ、完璧ではないですけど」
「しかし、互いの容姿を知らないで、いきなり会ったら、いろいろあるだろう?」
「あっ、説明不足でした。基本、ネットで完結させます。リアルなアバターは使わせません」
「いいのか、それで?」
「いいんじゃないですか? みんな、それで満足してますよ」
「リアルで会いたいって言い出すヤツもいるだろ?」
「いないとは言いませんけどね。でも、どうにか誤魔化します。二人とも、リアルでも会いたいとなることは、ほとんどないですから」
「セックスはどうするんだ?」
「今時、遠隔で楽しむ手段は、いろいろありますからね」
「三ヶ月経ったら、手放すのか? 後は自由にどうぞって」
「いえ、両者ともに、契約を結んだ時点で三ヶ月で終わらせるつもりなんです。まれに延長しても、もう一ヶ月です」
「突然、ブツッと終わるのか?」と不思議っている首藤さんを見て、存外ロマンチストなんだろうかと思った。フィクションには終わりは付き物。逆説的に言うと、終わりがあるからフィクションなのだ。
「もしかしたら、LCのもっとも大事な仕事かもしれませんね。終わりよければ全てよし。互いが納得するような別離のプランを紹介してあげるんです。後腐れなく別れられるように、まったく傷つかないように、ちょっぴりだけ後悔が残るように、または、二度と忘れられない悲劇として、振り返って陶酔できるように。ご希望に沿ったラストを提案できると満足度が上がって、次も指名をもらえたりします。それで、常連さんが何人か確保できたんで、そろそろ独立しても大丈夫かなー、という感じです」
 LCの説明について首藤さんは感心も侮蔑もなく、「ふーん」と聞き入っていたが、「日本発のビジネスらしいですよ。こんなのが日本で流行っているってアメリカで紹介された際は、キツいこと言われたみたいです」と、携帯で検索して当時の記事を見せると、「Lonely consolation、孤独な慰め、か。あっちの人は容赦ねーな」と笑った。
「疑似恋愛とか、恋愛ごっことか、ちょっと前までは非難されていたようですけど。バカにしていたアメリカでも、今は、それなりに普及しているみたいですし」
 自制が効くタイプだと自認していたが、かつての寮長が真剣な眼差しで聞いてくれることに、すっかり酔っていたようで、ベラベラと喋り過ぎたと後悔したのは、首藤さんから、「その仕事は面白いか?」と聞かれた時だった。おしゃべりの勢いそのままに、皮肉や嫌味が口から飛び出そうになるのを抑え込んで、「あぁ、そうでねー」と時間稼ぎをしてから、「うん、まぁ、一人で出来ますし、自分の性に合っていると思いますよ」と答えた。つんのめりそうなほどに前のめりになっていた男が、スッと上体を戻した隙間に踏み込むようにして、「うちに来ないか?」と須藤さんは言ってきた。
もしかしたらスカウトで呼び出されたのではないかという予測もしていた。しかし、生得の魅力に乏しくとも後天の努力に精励したと胸は貼るような学力も技能も資格もなく、当時所属していた会社の社長のように「寮出身のガッツ」を期待しているのであれば、より相応しい有象無象がいくらでも控えていた。
 「オレの会社なら、最低でも月に十日の自炊は約束してやる。もっと欲しいなら、後は頑張り次第」と言い、首藤さんはビールを口にした。落ち着いた口調であり、酩酊からの思いつきや、アルコールによる錯乱ではなく、自社への勧誘こそが当初からの主目的のようであった。
 自らを美丈夫などと認識できないように、有能だと、うぬぼれたくても、そのような実績は皆無であり、在り来りな頭脳しか有していない人間に、なにを期待しているのか? 否、なにをさせようとしているのか、不思議でならなかった。「自分で役に立つんですか?」と問い質したかったが、仮に首藤さんの見込み違いであっても、今のところは、割り振る仕事があるのだろうと考えた。
「どんな仕事です?」
 「世論形成? 世論醸成と言った方が正しいか?」と自分で言っておきながら、首藤さんの口元の端は、皮肉っぽく歪んだ。
「ジョウセイ?」
「そう、醸成」
 首藤さんの話を聞いて、最初に頭に浮かんだのは、「自称広告代理店」のことだった。かつてはメディアに深く食い込んで広告の取り扱いをメインの業務としていたが、瓦解を契機に、企業よりも政府とのパイプを太くした。今では広告業の割合は微々たるものと言われており、それでいて「広告代理店」の看板を下ろしたわけではない大企業。陰謀論においては、「要」として持ち出されることが多く、ネット内では、「自称広告代理店」と揶揄されている。
 その会社名を挙げて、「そういう仕事ですか?」と聞くと、首藤さんは肯定も否定もせず、「あの手の仕事は、もう付け入る空きはない」と断言した。
「だから世論誘導や喚起の次を狙わないと」
「世論醸成?」
「そう、世論醸成」
「なにが違うんですか?」
「あいつらの仕事は意味の更新だ」
 ある対象に内包している意味を更新することで、差分が利益を生む。意味を持ち上げ、けなし、ずらし、裏返し、矮小化し、誇張する。ないものをあるとし、あるものをないとする。見えているものから目を逸らし、見えないものを見たとする。聞こえているものに耳を塞ぎ、聞こえないものを聞こえるとする。近いものは遠く、遠いものは近い。左は右に、右には左に。上と言えば下で、下と言えば上となる。東に向かえば西に着き、西を目指せば東があらわれる。北は南で、南は北で。暑さの中に寒さを看破、寒さの中に暑さを見通す。強さは弱さの証明であり、弱さは強さを補強する。美しいからこそ醜く、醜いからこそ美しい。強さが優しさに乗っ取られ、優しさが強さに憑依する。誠実を不実と貶め、不実を誠実と褒めそやす。慇懃でれば無礼とし、無礼でもって慇懃となす。正しさから悪を引き出し、悪から正しさを見い出す。
 淀みなく繰り出される異様な言い回しに困惑している後輩の表情は、むしろ首藤さんには好餌らしく、楽しそうであった。
「まだ、続けるか?」
「いえ、けっこうです」と肩をすくめた。
「不味い飯屋でも、美味い飯屋のように見せかけるってことさ」
「最初から、そう言って下さい」
 首藤さんは軽く笑ってから、「不毛だと思わないか?」と言った。
「なにがです? 北が西で、西が南なことですか?」
「北は北であると北は考えているが、北を北たらしめる証明を北は北に語ることは出来ない、なぜなら北は北だから」
 「不毛ですね」と言ってあげると、首藤さんは喜んだ。
「今までのやり方ってのは、オレに言わせると、焼き畑なんだよ」
「ヤキハタ?」
「そう、焼き畑だ。世論誘導や世論喚起なんて、所詮は一過性のもの。刹那的と言ってもいい。欺瞞なんだ。本来意味がないものに、意味があるかのように装っている。簡単に言うと、ムカつくんだよ」
「その、なんて言うか、えぇと、醸成の方だと、そうはいかないんですか?」
 「醸成も誘導も同じじゃねーか? って顔してるな。言葉のチョイスは俺の感覚だから、あんまり気にするな」と言うと、もう冷え切ったプレートの上から肉をつまんで口に入れ、ビールで流し込んだ。
「俺がやりたいのは、意味を解放してやりたいんだ」
 口の中で「更新ではなく解放」と転がした。
「そうだ。俺からすると、意味を付与しようと試みたり、なにかを付与できると思い込んだりするのは、おこがましいんだ」
「すいません、質問なんですが、それ、商売になるんですか?」
 「ほぉー」と感心してから、「どうして、そう考える?」と逆に返された。
「首藤さん、さっき言ったじゃないですか、なんとかが利益を生むって。不味い飯屋を美味い飯屋だと思わせるから、お金が出てくるんでしょ? 不味い飯屋が不味い飯屋のままじゃ、つぶれますよ」
 首藤さんは声色を変えて、「この仕事は、理想の恋愛相手を見つけてあげることではなくて、理想の恋愛を提供してあげることなんです」と言った。
「不味い飯屋が美味かろうが不味かろうが、それは俺の商売には関係ない。美味いにしろ、不味いにしろ、ハナから客観性などないものだ。どうとでも言い繕うことが出来る。曖昧で不確実で絶えず揺らいでいる。だから更新を続けるしかない。
 もし、今から、そこに食い込もうとするなら、相当な覚悟がいるだろう。地面に頭をこすりつけるようにして、ペコペコお辞儀をして、どうか私めも、お仲間に入れて下さい、なんでも、どんなことでもしますから。いえいえ、センターが欲しいなんて厚かましいことは望みません、この端っこの、皆様の食べ残しで十分でございますから、奴隷にはそれで十分でございます、って言えば、どうにか隅っこに居場所を恵んでくれるかも知れない。そうして不味い飯を美味いと思って生きていくわけだ」
「首藤さんのビジネスなら、美味い飯を美味く食べられるんですか?」
 「だから、美味い不味いじゃない。そこにこだわっていると、あいつらに取り込まれてしまう。大事なことは、解放だ。意味の解放。解放することで」と言って、須藤さんは、プッと吹き出してから、「無限の可能性が開けるんだ」と、大仰な表現が恥ずかしかったのか口を大きく開けて笑った。
 「どうだ?」と聞かれて、正直に、「よく分かりません」と答えたが、月に十日の自炊を提示してもらえたのだから断る理由などなく、「でも、よろしくお願いします」と、軽く頭を下げた。

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