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前回 7.神崎宗助と和泉真菜 綱島駅から一時間ほど乗り継いで降り立った上野駅。 じりじりと焼けつくような暑さの中、黄緑色の葉を通した日差しがアスファルトを照りつける。はるかにごったがえす人口密度と鶴見川の川幅ほどに広がった通りが四方に伸びている。公園改札を出てまっすぐと進むと、緑地じみた敷地に、自然と同化したような風貌の屋敷が現れる。口コミで話題のカフェテリア、その優待券が2枚ぼくの手元に握られていた。頭上を覆う葉の形が引き延ばされ、まばらな影が頼りなさげな紙切れに投
Prev……前回のお話 休日、僕は結婚の準備をするために、実家に帰ることにした。少し気が重い。最後に母と会ったのはいつだっただろうか。僕と母の関係は悪いわけではない。ただお互いの歯車が錆び付いていて、うまく回らずに動きが止まっている、そんな状況だ。実家を出てから、僕は特別な用がない限り、実家には帰らなかった。母と距離をとるようになったのはいつからだろう。思い出せないほど、昔の話だ。 母はバイオリニストで、僕が子どもの頃は、コンサートや弟子のレッスンで忙しかった。最近は
暫くお互いに言葉を発さず、血液の巡る音だけを聞いていたが、やがてカインは胸元から文庫本を取り出してレイラに握らせる。 「……これは?」 「これは、お嬢様の楽しみにしていたものですよ。お嬢様の好きな小説のシリーズの最新刊を、アメリアが土産にと持参したのです」 「そう……。後で、ちゃんとお礼を言うわ」 「ありがとうございます。きっとアメリアも喜びます」 カインが「アメリア」の名を口にすると、レイラはまた心臓が軋むのを感じる。 「ねえ、カイン。私も同じよ。あなたが私を見てい
めずらしく、涼花さんは夕方に帰ってきた。早めにお店を閉めてきたそうだ。そのため、いつもなら涼花さんのいない週末の夕食だけど、三人そろって食べることになった。 昼間和さんの口から聞いた涼花さんと、目の前にいる涼花さん。その二人のイメージがかけ離れていて、どうしても重ならない。 それは、涼花さんの怒っている姿を一度も見たことがないからだ。 涼花さんはいつも笑顔で和さんのお母さんになりきり、私と父の面倒を見てくれていた。自分でお店を持ちながら、家事もこなす、理想の母親。
兄の正雄の苛立ちをよそに、笑顔で電話している菜摘。 時計に目をやれば、夜中の12時半である。 「さすがにもう遅いから、電話は明日にしたら」 わたしが菜摘に声をかけた時にはもう、例のテーブルの話が始まっていた。 「さっきねぇ、お兄ちゃんとおねえちゃんが喧嘩した。」 スピーカーにしてある菜摘のスマホから、叔母の困惑の声が漏れる。 「なっちゃん大きなテーブルやめてほしいが。」 「急にどうしたの。」 「おばちゃん本棚を作ってくれんろぉか。」 「本棚…菜摘さん本なんて読ま
■前回のお話はこちら アルバイトをすることを決めると、椿はすぐに燕に電話をした。いついつから入ってもらうから、迎えに行くと言われ、椿は了承し、「よろしくお願いします」とぎこちなく言うと、電話の向こうの燕が微笑んだのが見えるようだった。 だが、燕から「お父様とよくお話になってくださいね」と言われて、面倒なのが残ってた、とげんなりしたのだった。 案の定、アルバイトなんて、と父親は反対を表明した。椿はうんざりしたように「同意なんて求めてない。これは報告」と頭を掻きながら言い捨て
ピンク色の髪をしていました。丸く、よくいう、マッシュルームカット、のような形に綺麗にカットされた襟足はすっきりと刈り上げられていて彼はちょうど、少年から大人になる、というような頃合いのように思われました。 刈り上げられた襟足からは細くて白い首がすっと伸びて、その日の彼は白と黒のボーダーのシャツを着ていました。マリンルックというのでしょうか。首元は丸く大きく開いていて彼の存在感を強める反面、その華奢と儚さを引き立たせていたように思います。 彼はどこか寂しそうに見えました。寂し
~ご案内~ あらすじ・相関図・登場人物はコチラ→【総合案内所】【㊗連載小説50話突破】 前話はコチラ→【第58話・井戸妖怪】 重要参考話→【第51話・学ぶ人】(まいまい島編開幕) 【第54話・人間を愛したい】(現代のまいまい島民の叫び) 【第56話・ジェイルボックス】(ブルームアーチなど) 物語の始まり→【第1話・スノーボールアース】 ~前回までのあらすじ~ 正義屋養成所襲撃事件からおよそ一年と半年。正義屋養成所の四年生に進級し
<<番外編1(4) || 話一覧 || 番外編2(2)>> 第一章 1話から読む 第三章の登場人物 番外編2 「ゴナン、髪を切る」(1) 「ゴナン、髪が伸びたね。前髪が目にかかってきてるよ」 二人での野営から帰ってきた翌日、ツマルタにある拠点で、リカルドはゴナンにそう声を掛けた。いつも前髪を短く切り込んでいるゴナン。しかし、鉱山に閉じ込められたり療養があったりで、1ヵ月以上髪を切れずにいた。 「あ、そういえばそうだね。これで切るから、大丈夫」 そう言って、
第19話 黒飛竜の鱗3 「父様。その方々は?」 寝台に横たわっていた少年が、その上に身を起こす。 「客人のカミュスとテラだ」 「初めまして。ハクロンと申します」 見かけは、父と言った長であるリュウコクとそう変わらない。 特徴的なのは、髪の一部が白く抜けていることだ。今まで見たこの集落の住人に同じような特徴を持つ者はいなかった。 「彼らが、そなたの病状を診てくれることになった」 リュウコクがハクロンの隣に立って、その頭を優しく撫でた。カミュスヤーナがリュウコクに軽く
ブログなるものを始めてみた。 大学生の彼氏、ソウが写真ブログを始めたことがきっかけだった。 ただのブログでは面白くない。 男女逆転したブログにしよう。 ソウの呼び名はハニタン。 ハニーたんから来ている呼び名だ。 毎日のソウとの出来事を男視点で描いていく。 それは意外に楽しいものであり、刺激的で毎日楽しかった。 ブログ友達も何人かできた。 みんな私を男だと思って接してくれる。 元々女女しているのが苦手だった私には、それはとても心地よいものだった。 ソウとの
『えー、今日はめでたい日です。なんと、今日は兄貴の二十歳の誕生日、そして、この農場を継ぐ日です。今日は特別な日なので、サプライズでお祝いをしたいと思います。兄貴がどんな反応をするかは、お楽しみです』 カメラの主の明るい声が聞こえる。姿は見えないが、丸太小屋の中でテーブルを挟んで座る中年の夫婦らしき人物らと共に家族の帰りを待ちわびているようだ。 『ただいまー』 玄関から体格の良い逞しい身体つきの男が入ってきた。 『兄貴、ハッピーバースデー! そして、経営者デビュー、おめ
(※前シリーズはこちらから) 私がカストルプ氏と一緒に、旅をして回るようになったのは、『カサノヴァの夜』の絵画を探して一か月後に呼び戻されてからでした。私はそれを心の底で望んでいたに違いありません。彼からチケットが贈られて、飛行機でミュンヘンに渡る際も、何の疑いもなかったわけですから。 私が居間で待って居ると、カストルプ氏と、一人のメイドがやってきました。そのメイドは、あの『カサノヴァの夜』があった小屋の村にいたマルガレーテ=インゼルでした。彼女は、あの後、カストル
顔を上げると、飯村さんは両目から涙を流していた。 「……私のために泣いてくれるの?」 彼の頬に触れて涙を拭う。 彼の左手を取り、私の頬に添えると、私の涙も彼に捧げた。 「私たち、同じね」 「……同、じ……」 「クリスマス・イブに一緒に見た映画を覚えてる? 私、メアリーの気持ちがやっとわかった気がするの。メアリーはエイデンに愛されたかったけれど、それだけじゃなかったの。メアリーは誰よりも、エイデンのことを純粋に愛していたのよ。当たり前のことなのに、私、ちゃんと分かって