マガジンのカバー画像

#エッセイ 記事まとめ

1,142
noteに投稿されたエッセイをまとめていきます。
運営しているクリエイター

2020年9月の記事一覧

天国から届いた手紙

僕には、母親が2人いる。 1人は、中二のときに他界した、産みの母。 もう1人は、義理の母「K子さん」だ。 僕が 社会人1年目のとき、親父と再婚した人。 ちょっとガンコな親父と一緒に、かつて僕も住んでいた青森の実家で、なかよく暮らしている。 K子さんは、明るくおおらかで、どんな人にでもやさしい。僕が高校生で、はじめて会ったときも、そうだった。 再婚のニュースにも、さほど驚かなかったし、K子さんのような人でよかったなと思った。 その後も、年に1、2回帰省したときには

「最強な私」から降りる

なにかが、違う。 近頃、ずっとそう思ってた。 感覚的なことで説明はできない。 でも、なにかが違う。なにかが。 先日、家族水入らずで過ごす機会があった。 そこで、母と就寝前に久しぶりにゆっくり話した。 私は、母のことを安心させたくて、 「最近の私は本当に最強よ。仕事も順調だし、男性とのご縁も増えそうで最強」 みたいなことを言った。 実際のところどうかと言えば、たしかに駆け出しの頃に比べれば状況はよくなっている。 仕事のご依頼も増え、仕事で疲れていた頃よりも顔

結婚の挨拶

6年前の秋、父と夫が初めて顔を合わせた。 堅苦しくならないよう、けれど、なんとなく落ち着いたところがいいかなと相談して、昼食の時間に和食の料亭を予約した。 私たちは10分ほど前にお店に着いた。街路樹の前で、ぽつりぽつりと話しながら父を待つ。お店の中で待っとくって言えばよかったね。大丈夫?トイレ先行っとく?とか、そんな感じで私ばかりがしゃべる。少しおどけてみたけど、「そういうのやめて」という言葉にピシャリと遮られた。夫は視線を落とし、足元にあった枯葉を、くしゃりと踏む。そわ

母の行きつけのスナックになりたい

今年の夏、母の涙を見た。 幼い頃から抱いていた母への印象といえば、 器用で何でもそつなく出来て、堂々として、些細なことでは動じない強さと頑固さ、辛抱強さを持ち、いつでも明るい人。 若干誉めすぎた気がするのでもうすこし補足すると、 大雑把で一年中断捨離していたり、ダイエットプロテインを飲みながらお菓子を食べたり、もらった相手が反応に困るであろうLINEスタンプに何故か課金したり、写真撮影を頼むとほぼ100%の確率で手ブレするような私の母です。 昔からひとたび怒らせると

ヒカルの碁の囲碁ルールブックを読んだ翌日に大会出て、幼稚園児と殴り合った話

「ヒカルの碁」旋風僕が中学生の頃、「ヒカルの碁」の影響で空前の囲碁ブームが巻き起こっていました。 僕もヒカ碁旋風に煽られて、なんとなく囲碁を始めたいなと思っていました。 囲碁に興味がある雰囲気を醸していたら、友人の半田くん(仮名)に声をかけられました。 「今から碁会所に行くけど、お前も来ない?」 … 連れて行かれたのは駅前の雑居ビル5Fにある、薄暗くてタバコ臭い碁会所です。半田くんはそこで白髪まじりのおじさんたちと対局し、次々と打ち負かしていました。みんな一斉に碁を打

傘みたいな母に傘を贈った話。

母に傘を贈った。 小学校の先生の母は、今年で先生を終える。 小さな島で先生をしていた母とは忘れられないエピソードがいっぱいある。そして、小さい頃の思い出は母を傷つけた後悔が多い。 中でも一番は、何かの折に口にした一言のこと。 「生みの親はお母さんで、育ての親はばあちゃん。」 これは刺さった。深々と、ブッスリ。 わたしが小さい頃、母は仕事が忙しくて、父方のばあちゃんが主に面倒を見てくれた。 ぼくとしては母親が二人いてラッキーくらいの気持ちだったけれど、言われた方はめ

勤め先の書類に、僕のパートナーの名前を記入した話。

僕が勤めてる企業は、LGBTQフレンドリー企業ではありません。そんな企業で、誰にも知られず、ある書類で僕の名前にパートナーの名前が並びました。 今日はこのことをお話ししたいと思います。   僕が勤める都内のある中小企業はLGBTQフレンドリーを掲げていません。 映像教材を各社員が必ず1度は観ること、という最低限のLGBT研修は行われましたがそれ以外の取り組みは特にありませんでした。 珍しいことではなく、日本の大多数の企業の大半はLGBTQフレンドリーは掲げていません。 映

20年物の俺の反町を聴いてくれ。

先日、やらかしました。 わたしのスマホにはその名も「がんばる」と名付けた3曲だけのプレイリストが入ってて(他はロマンスとGet Wild)、曲聴くというよりは、ちょっと頭痛が痛いからイヴ飲むな?という感じに処方するって感覚で聴く。 そして、その日は頭痛が痛いにツッコミを入れられないくらい疲れていた。そんな帰り道だった。 西武線 しず鳴り響く ギターリフ 声高叫ぶ 我が反町 思わず一句詠むくらいびっくりした……。 ハッッッ!!!と目を開けたら、隣のおばちゃんも前の席の学

髭剃り。俺だけの時間。

髭剃り。 それは、男だけに許された、特別な時間。 出勤前、商談、デート前、冠婚葬祭。 鏡の前に立ち、懸命に、髭を剃る。 朝一に見る、自分の顔。 今日も、イケてるか。 問いただす。鏡の前で。 そして、ただ、黙々と、髭を剃る。 終始、自分と向き合いながら。 男は、年輪。 歳と取れば、取るほど、魅力を増す。 なんか、上司が言ってたっけ。 今の俺、イケてるか。 今日の俺、カッコいいか。 剃りながら、問いただす。 うし!今日も、完璧!! 剃り終えて、出て

繊細で傷つきやすいあなたに「ちょっと変わってる人になる」ススメ

最近、HSP(ハイパー・センシティブ・パーソン)という単語が流行っているらしい。 人一倍繊細で傷つきやすい人を指すとのこと。 実際にHSP的な傾向があって大変な人もいると思うけれど、若く多感な時期はだいたいみんな繊細で傷つきやすいものだろう。 大人になるほどに、おおかたの人は頑張ったり頑張らなかったりして鈍感になっていくのだけれど、それは傷つきやすい時期を経た後の話だ。 じゃあ、どうやって傷つきやすい時期を乗り越えたらよいのだろうか。(あるいは、どうやって傷つきやすい

気持ちに寄り添う人でありたい

常々思っていることがあって、それは、私は「気持ち」に寄り添える人でいたいということだ。 これまで25年生きてきて、世の中で起こっている色々なことを、少ないながらも見て、知ってきた。その中で、今自分にできること、みんなの力で変えていけることがたくさんあることを知った。でもそれと同時に、どうしたって解決できないことがあることも知った。 世の中から犯罪をゼロにするのは恐らく不可能だし、いじめや虐待に苦しむ人全員の痛みに気付いて救い出すのもなかなか難しい。これだけ広い、想像もでき

書けない時期と苦手なカテゴリーについて

君のドルチェアンドガッバーナのその香水のせいだよ が頭の中で再生し続けているがこのサビの部分しかしらない。ドルチェアンドガッバーナの香水は一度も買ったことがない。ただ香水のせいだよというくらい香りというのは人の記憶に残ることはわかる。私自身は決まった香りを身につけることはないので、香水の香りで私を思い出す人は多分いないと思うが、一緒に食べた食事の香りで私を思い出す人もいるかもしれない。 今日のテーマはそれではない。 正直にいう。今、絶賛書けない時期がきた。 「私は本当

特定されたらどうするんですか?【エッセイ】

名前出し・顔出しでネットに文章を投稿していたりすると、「身元を特定される危険があって怖くないですか?」という意見を耳にすることがある。 確かに実害があったりすると怖いと思うが、今のところそういった事態には陥っていないし、読まれて大事にいたるようなことも書いていないので、のんびりと楽しませてもらっている。 『会社の人から詮索されたりしたら嫌だなぁ』と思うことがあるが、その時はすっとぼけて逃げることに決めている。何があっても断固として知らないと言い切るのだ。私はそう心に決めて

僕の楽譜の解釈について〜商店街の2軒のラーメン屋の話〜

ある駅前の商店街に、2軒のラーメン屋があった。 手前の店の客席には豆板醤、ニンニク、生姜、ゆず七味、ラー油、お酢といった調味料が常備されており、客たちはその日の気分で自分好みにアレンジしたラーメンを楽しんでいた。一方、奥の店の客席には一切の調味料が置かれていなかった。 ある日、一人の優柔不断な若い男が奥のラーメン屋に食べに行った。さあ食べようと思ったとき、足りないものに気がついて店主に尋ねた。 「調味料はありますか?」 すると店主は答えた。 「うちはそんなもの置かな