Aya Katsuda

化粧品会社でPRをしています。 スキンケア、ヘアケア、Spotifyでの音楽掘りとシー…

Aya Katsuda

化粧品会社でPRをしています。 スキンケア、ヘアケア、Spotifyでの音楽掘りとシーン別プレイリスト作り、日本酒が趣味です。 「言葉の企画 2020」に参加中。 https://twitter.com/aya_katsuda

最近の記事

わたしだけの朝

わたしは知っている 誰かが起きる前の ひとりの朝にしかない ゆたかさがあることを キッチンの窓にさしこむ朝日が とびきり美しいこと カーテンの裾のほうで揺蕩う、 まばゆい光と影のコントラスト その光に照らされて、 ウンベラータの葉がきらりと光ること 白湯をのみながら、 ほんのすこしだけ、窓を開けて外気を吸い込み 頬を撫でる冷たく澄んだ空気を感じること 冷たさと温かさが身体の内で交差する感覚 たまに 朝一の匂いが季節の移ろいを知らせてくれること 目覚ましより

    • 星野源さん版 I LOVE YOUの訳し方

      星野源さん。 ・・・好きですよね。そこのあなたも。きっと。 わたしですか? ええ、もちろん好きです。この尊い名前を口にすると、文字に起こすともう、ムズムズするくらいに好きです。 源さんの肩書きといえば、 俳優、音楽家、歌手、文筆家と多岐にわたり、それぞれの道において眩しいほどの、大スター。 新曲を出せば、CMが流れれば、ドラマが始まれば、SNSが更新されれば。彼の一挙手一投足に目が離せず、溢れてとまらないその才能や魅力に釘付けになる。 活躍は日本にとどまらず、も

      • 母の行きつけのスナックになりたい

        今年の夏、母の涙を見た。 幼い頃から抱いていた母への印象といえば、 器用で何でもそつなく出来て、堂々として、些細なことでは動じない強さと頑固さ、辛抱強さを持ち、いつでも明るい人。 若干誉めすぎた気がするのでもうすこし補足すると、 大雑把で一年中断捨離していたり、ダイエットプロテインを飲みながらお菓子を食べたり、もらった相手が反応に困るであろうLINEスタンプに何故か課金したり、写真撮影を頼むとほぼ100%の確率で手ブレするような私の母です。 昔からひとたび怒らせると

        • “チーム” は距離を超えられる

          「チーム」が好きだ。 小学校のミニバスのチーム、駅伝チーム、 中学の陸上部でも、思えば一人種目より4人でバトンを繋ぐリレーに夢中で、 高校の文化祭、体育祭、合唱コンクール、部活、 大学のサークルでの企画、そして社会人になってからも「チーム」は続く。 前職では、社員に向けたキックオフパーティーの企画を全社横断チームで何度か担当した。当時更新したSNSを見返したら、 「チームでひとつのものを創り上げること、やり遂げた先の達成感が好きだということ、仕事をするうえで大切な

        わたしだけの朝

          名前のように、生きる。

          私の名前は、わかりやすい。 「彩」と書いて、「あや」と読む。 初対面の誰からも、ほぼ100% 間違えずに呼んでもらえるが、 あだ名にはなりづらい。(私調べ) 昔は、「なっちゃん」と呼ばれるなつみさんとか、 「あっこちゃん」と呼ばれるあきこさんとか、 あだ名で呼ばれるということが、羨ましかった。 愛称があることで、ぐっと距離が縮まる気がするから。 そんなこんなで31年生きてきて、先日、親に初めて、名前の由来を聞いた。 母はあっさり、 「●●という名字が発音し

          名前のように、生きる。

          思考を止めるな!

          「なんとなく苦手だから」と、避けてきたテレビ番組がある。 あえて番組名を挙げることはしないが、ジャンルでいうならば 恋愛リアリティショー、人の不幸をネタにするワイドショー、愛憎劇。 物心ついた時から平和を好み、事なかれ主義な性格なので、自分の心のベクトルが少しでもマイナスに振れそうなサインを感じ取ると途端に目を背けたくなり、わざわざ観ようとはしてこなかった。 このほかにも、世間一般的に話題になっていても、「なんとなく興味が湧かないから」と、スルーしてきたコンテンツが、

          思考を止めるな!

          誰も傷つかないことばは存在しない

          正義とは、なんだろう。 辞書で“正義”を引いてみたら、「道理にかなっていて、正しいこと」とあった。「道理」の意味は、「世間で正しいと認めた、行いの筋道。そうなるのが正しい、という理屈」。 それならば、法律以外における、「道理にかなっていて、正しいこと」は、誰が決めるのだろう。 日常の私たちの選択が正しく、道理にかなっているのかどうかは、誰が決めるのだろう。きっと誰も、決められない。共感と賛成と応援と、ほんのすこし信じてみることはできても、ジャッジはできない。 自分が「正

          誰も傷つかないことばは存在しない