コーヒーとワインの比較2

ワインを勉強すると、コーヒーの流れというのも理解しやすいのですが、

どちらも時代的に、浅めの方向に進んでいるというのは確かの様です。


ワインはロバートパーカーJr氏の影響もあって、
特に90年代前後に濃いワインというのがもてはやされました。
しかし、彼が引退し、
また世界的に温暖化の影響で、冷涼な地域でもブドウが過熟気味になることで、まさに濃いワインができやすくなったのですが、

流行ではないですが、どちらかに傾けば揺り戻される、
濃いワインばかりのマーケットに飽きた評論家や消費者は
逆に低アルコールの繊細なワインを求めるようになってきています。

ワイナリーも特に歴史のある地域では以前と同じヴォリュームのワインを造るために、ブドウがなるべく過熟にならないよう、
あるいは醸造過程において、
時代のニーズに合った、アルコール低めのワインを造り始めているようです。


またパーカー氏が引退し、同時期にインターネットが普及したことや、行動経済学、心理学や脳科学といったものの理解が進んだことで、

ワインの点数付けといったものが
結局個人の好みによるとしか言いようがないのではないか
という事をより多くの人々が理解し始めました。

神の舌を持つといわれるパーカー氏が100点満点を付けたワインは市場価格で1.5倍~2倍以上の値が付くわけですが、
もちろんパーカー氏好みのワインに対して高得点を付けます。
しかし市場価格を左右するほどの影響を持つことで、
パーカー氏の好み、味覚そのものが、
まるで客観的な評価であると勘違いしてしまうという事が起こっていたと思われます。

例えば日本の飲食店にも食べログ、グーグルマップなどで個人が自由に評価点を付けることができますが、
各個人が気にする場所、ポイントを付ける場所、そもそものポイントの基準点など当たり前ですが全く別ですので、
味においても、その人の味覚の繊細さがどこまであるのか、といったあらゆる要素を考慮すると、
実際に行ってみて経験しないとよくわからないという事は多くあると思います。

科学が進んだことで、客観的な理解が進んだことで、
多くの場合人間というのはそもそも客観的に判断していない、できない
という事が一般にも知られるようになったと思います。

そういったことを経てワインは以前より少し自由になり、
濃いだけではなく、低アルコールのものやロゼワイン、また新興産地など、
色々なワインを違いとして、より楽しむという事をしやすくなったのではないかと思います。


コーヒーは現在サードウェーブと言われるように、
濃いエスプレッソドリンクに、色々なフレーバーを足したりして飲むのではなく、
コーヒーの味そのものを楽しむという風に進み、
重い苦味ではなく、軽い酸味を中心とした味づくりをしています。

コーヒーや、紅茶というものは主に欧米で発達してきたものですが、
赤道近い植民地に原料を作らせることで安く大量に仕入れることができた)
彼らはそのものの味を楽しむというより、基本的に砂糖を入れて甘くして楽しみます。
しかし欧米の手が入る前の茶の原産地である中国、日本などは、
良薬口に苦しよろしく、特に何を加えるでもなくそのまま楽しんでいたと思われます。
もちろん、単に砂糖が貴重品であり、自由に使えなかったこともあるでしょう。
砂糖の原料サトウキビも欧米が植民地に作らせたでしょうかね

宗教の観点からか、
欧米は自然は支配できる、コントロールできると考えていた節を考えると、
味などについても、足していくことでコントロールできるという考えが強いのでしょうか?


何にしろ、
コーヒーも現在、テロワールを語るほどでもないですが、
コーヒーそのものを味わうようになってきました。

ですが、ワインと比較してまだまだ課題であると思うのは、
スペシャルティなどの評価を付ける際の基準というものが、少し狭いように思います。

ワインはその品種や赤ワイン、白ワイン、スパークリングと評価の基準が変わります。
シラー品種の良さを評価するのに、メルローの評価基準では計れません。
白ワインの基準で、赤ワインを計れません。
なるべく添加物を少なくし、原理主義的なそのものを味わう歴史の長いワインは、それぞれに基本的な基準が設けられています。

それに対し、コーヒーの基準というものは
アメリカが始めたスペシャルティのムーブメントがせいぜい30年くらいで、ワインに似た基準を引っ張ってきただけのような感じに見え、
それはもちろん彼らの味覚における評価基準であり、
浅煎り~中煎り至上主義的な風潮はいかがなものかとも思います。
浅煎りには浅煎りの良さがもちろんありますが、中煎り、深煎りにもそれぞれの良さがあると思います。

コーヒーそれぞれの良さを本当に理解し、楽しむためには、
ワインのようなもっと幅広い見地から見ないと、
コーヒーの個性を、と語るにはまだまだであると感じます。
これだけたくさんのコーヒーショップや生産地、種類の違いがあるのに、

コーヒーそのものの基準が一本やりのように見え、
功罪含むワインで行われてきた、パーカー氏の事を考えると、
あまりスペシャルティコーヒーにおける評価の信仰をしすぎない方が良いと思います。

コーヒーは数十年後には、ベトナムとブラジルしか残らない、
などと言われるように、
温暖化や価格競争の中で、生産国は非常に厳しい状況の様です。
(そもそも植民地で搾取されてきた歴史がある)

コーヒーはワイン以上に世界中で楽しまれていると思われます、
しかし、ワイン以上に楽しむためには、
まだまだ発展途上であり、
もっとより深い知識、研究、勉強というものが必要だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?