見出し画像

いらっしゃい!文章の推敲能力があるよ!

なんだかんだ1週間近くスマホで文章を書いてる。note上で編集してリンク付けたりスペースを整えたりするのも全部スマホ。

文章書くのも編集するのもPCの方がやりやすい。けど、スマホでもできんことはない。

弘法筆を選ばずと言う。絶対選んだ方がいい。弘法も選んでたろ。選ばずとも書けるくらいの凄さもあったよ、って感じでしょう。

それで言うと、わたしも執筆環境を選ばずとも文章を生成できるくらいアウトプットできる力が付いたって事かもしれない。


そう、わたしは今弘法の凄さを自分の凄さと重ねて説明しています。傲慢!



皆そうなのかわからないんですが、わたしは推敲能力に優れてる気がする。
推敲して魅力的な文章にする能力ではなく、ただの推敲能力です。

というのも、書きかけの文章を読み直すことで誤字脱字に気が付きます。これだけなら普通に皆できるかもしれない。

しかしもう一つあっしにゃ能力があって、文章の流れに相応しい表現がわかるんです。


書いた文章を読み直すことで、「この流れならこの文とこの文の間に短い体言止めがあった方がいいな」、みたいな…。ちょっと言語化が難しいんですが。
っていうか、これを言語化できてない時点で果たして文章力があると言えるのかわからないんですが。



福山雅治さんが昔ラジオで自身の作曲の仕方を説明していました。
思いついたフレーズをギターで弾いて、それを敢えて古いカセットレコーダーで録音するそうです。

そうするとどうなるか?カセットを再生した時に音がボヤボヤしているために、弾いてない音が聞こえる余地があるそうです。

弾いていないしそこに収録もされていないけども、「ここにこういう音があったらもっと良くなるだろうな」っていう存在しない音が頭の中で補われるそうです。
そして今度はその音を実際に弾いて録音して…という風に作曲をするらしいです。



なぜ突然福山雅治の話をしたかと言うと、わたしの推敲もこれに近いのです。

書きかけの文章を読み返すと、この流れ上この単語が次に来るだろうなって予測や、この表現が次に来たら素敵だなっていう補いが頭の中で発生します。

それらを目からの視覚情報と照らし合わせて、あっ予測と違う表現があるな、直そうかな、となるわけです。



この推敲の仕方の延長として、まだ書いてないこの先の相応しい展開が読めたりもします。

これから続くべき事例、反証、締め、オチなどがボンヤリと読めます。そのボンヤリをクリアに形を与える部分はメチャ悩みますが、それはそれです。



難しいのは、数度読んで予測できるこの先の流れというのは、マトモなんです。マトモないしは、一周目のオモロです。

それをどの程度崩して更なる面白を加えるかとか、一周目を仮で完成させてそこからオモロを何周させるかとかはかなり悩みます。
面白って自分の中で2周目が始まったらどこで止めるのがいいのかもう判断できませんから。

ちなみにこの「まともな一周目を完成させてから手を加える」というやり方は、松本人志さんの漫才の作り方(だと言われているもの)を参考にしています。



斯様にわたしは文章の推敲能力があってオモロな文を書けるよ、という事が言いたかったんですが、あなたは思ったでしょう。

「ここまで読んだけどこの文章特段面白くなくね?」、って。


3つのケースがあります。

1.わたしは面白い文章を書けるぞ、っていう認識はあるけど実際書くのはめんどくさくてやってない。

2.面白い文章を書けるぞという認識があるばっかりに、実際何回編集しても面白くならないのが怖くてそもそも推敲自体をやめちゃってる。

3.自分の中でオモロが何周もしていて何が面白いかわからない。一般ウケ、ネットウケ、自分だけにウケる、とまで考えたらもう何もわからなくて、ただカエルとベロチューし続けている。


もう、わからないんです…。助けてください。

と言いながらもスマホでこれだけの文を書けてるので、まあ書いてるだけ成長とかに繋がってるでしょ知らんけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?