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映画『グロリア』 階段に座る二人のシーン良くない? って話

 先日、映画『グロリア』を見てきました。

 ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞している(1980年 第37回)だけあって、すごく面白かったです。普段ハードボイルドを見ない自分でもわかるくらいに。

 それで気になったのですが、グロリアとフィルが並んで階段に座っているシーンって名シーンじゃないのでしょうか?
(まだ画像の引用とかがよくわかっていないため画像添付していませんが、ぜひ検索してみてほしいです)

 見終わってからいろいろ感想等見ていましたが、階段シーンに言及している人が見られず、寂しかったです。


以下、映画の解説文

組織を裏切り、命を狙われていたジャックは同じアパートに住む女性グロリアに息子フィルを預ける。その後、ジャック一家は皆殺しに。一方、グロリアはフィルをつれてアパートを脱出。子供嫌いのグロリアは、一時はフィルを手放そうとするが、結局その子を連れて逃走を続けるハメに。やがて彼女は組織に乗り込む決意をするが……。タフなヒロインの活躍を描くハードボイルド・ドラマ。
1980年製作/121分/アメリカ
原題:Gloria
劇場公開日:1981年2月28日

映画.comから引用(https://eiga.com/movie/10869/


冒頭の通り私が気にいった階段のシーンは、グロリア別邸のアパートでのシーンです。
フィルが早朝に部屋を飛び出した後、自分が組織に誘拐されたという新聞記事を見つけ、結局グロリアの部屋の前まで戻ってきます。その後組織の男たちが2人を追って部屋まで来る、その二つの間のシーンなのです。

フィルはグロリアに反抗し、家に帰りたい、自分は一人前の男だ、と主張しますが、階段を下りながら興奮とストレスの影響か鼻血を出してしまいます。
グロリアは何が一人前の男よ、まだまだ子どものくせに、と冷たく言い放ちながら彼の鼻血をふき取ってくれます。


階段に並んで座り、黙る二人。
グロリアはうつむきがちに煙草をふかします。
逃走や銃撃のさなか、ふいに訪れた静寂の瞬間。


このシーンが、本当に良い……


まず視覚的にすごくいい。本当にポストカードにして売ってほしいくらい好きです。

それはなぜなのだろうと気になり、このシーンが好きな理由を視覚的な面から以下自分なりに考えてみました。



➀二人の体格差からフィルの幼さ、未熟さを再認識できる

 当たり前ですが、フィルは男とはいえ幼い子ども。本人が何と言おうと、グロリアと並んでみればやはりその小ささが際立ちます。フィルが置かれている現状(突然の家族の喪失、組織に追われる恐怖や不安、グロリアへの不信、それらを隠したいゆえの虚勢)はどれも、その小さな体で背負うには厳しすぎるものばかりです。


②二人の体格差からグロリアの「大人」と「女性」のアンバランスさに気づく


 ➀とは反対に、グロリアはフィルと並ぶと女性とはいえ大人ですから、身体は大きく、強く見えます。グロリアはフィルを守れる唯一の騎士であり、よりどころでもあります。彼女がフィルを守るなら、彼の前で弱くあるわけにいきません。グロリアが組織に負けるということはフィルの死に直結しますから。
 しかし、このシーンは単純に「弱いフィル・強いグロリア」という対照的な二人を感じさせるだけではないでしょう。
 というのも、このシーンではグロリアの大人性から強さを実感し強さを期待もする一方で、彼女が「女性」であるということも同時に実感するのです。
作品を通して、グロリアはずっと綺麗です。華やかなスカートを履き、髪はきちんとまとめられ、足元は常にヒールです。ゆえに銃撃戦などの場面の美しさも際立ちますが、グロリアのアンバランスさにもつながっていると思うのです。

 子どものフィルよりは大きく強い身体を持っているとはいえ、グロリアの隣に組織の男を並べればグロリアへの印象は一変しますよね。恰幅の良い男たちの隣では、彼女はやはり細く、力も弱いでしょう。しかしフィルの前では男性よりも弱い存在でいることはできず、彼女よりもさらに心もとないフィルを守れるような強さが必要になります。

フィルとはまた異なる意味で、グロリアもまた彼女を何度も悩ませるような、アンバランスな状況にいると気が付くシーンでもあります。


③二人の関係に光を感じる

 ➀、②から、やはり二人が置かれた状況の厳しさは強調されます。が、それだけではこのシーンを好きにはならないと思うのです。二人の不安や寂しさ、後悔や戸惑いしかないシーンではない。しかしかといって何か現状が変わるような希望があるわけでもない。

では何があるのでしょう。

それが、グロリアとフィルとの間に生まれた「関係」だと思うのです。

もちろん二人は家族ではないし、友人でもない、恋人でもありません。親密さとは程遠い関係の二人です。しかし、親密性のなさが変化しているシーンこそこの階段のシーンだと感じるのです。

フィルは反発し暴言を吐く。グロリアはそれを冷たくあしらう。こういった関係性は映画冒頭からずっと続いていました。しかし、それだけでは終わらないのがこのシーンです。盛大な反発直後でありながら、グロリアはフィルの鼻血を拭き、フィルはそれを受け入れます。

二人とも余裕はなく不器用です。ですが、そんな二人の関係性にわずかながら光が見えはじめたシーンだと思うのです。

状況の絶望さ自体は変わっていないものの、互いのパーソナルスペース内で二人が静かに並んで座っていること自体、二人の間にある光であり私には美しく見えます。




こんなところでしょうか。
絶望的で不安定な状況の中ゆえ、二人それぞれの魅力と二人の関係性に気が付けるシーンでした。少なくとも私にとっては。

長々と書きましたが、ただただ一場面として非常に美しかったです。
このシーンだけでも見てみてください。
先日6月19日はジーナ・ローランズの生誕94周年でもあったようですし!
それと本当にポストカードとかにして販売してほしい…… 買います。


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