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39.だから、泣かないでください!わたしはいつも、ここにいますから…。

38.「あたしの、いのちが終わるとき、ただのお花を1本だけを入れてほしいの!」の続編となります。

「千の風になって」この言葉を聞いてほとんどの人は知っているかもしれませんが、この言葉の後ろ側を知る人はあまりいませんので、ご紹介します。この詩は、わずか12行の言葉の詩ですが、作者不明といわれ、この英語詩は世界中に様々な形を変えて詩の広がりは世界中を駆け巡りました。(写真はマリー・フライエさん)

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「千の風になって」は、千が束になり、幾千の風に変わる。千の風は幾千の星になり、幾千の花になり、幾千の鳥になり、幾千の愛になる。
千の風は愛する人からの言葉、想い。千の言葉の束は万になる。悔しさと悲しさと、喜びと苦しみが、みんな束になる。「千の風になって」幾千の束の中で私たちは生きている。人は誰も死んだりしない。そんなやさしさからの言葉。愛の言葉です。
千の風は誰にでも平等にやすらかに運ばれ、千の風はあらゆる形でメッセージを送り続けてくれています。それは人の言葉を借りたり、花や自然の中にあったり、光や星であったり、様々な形で伝えようとしています。
「いのち」というものはやはり、人は生きて、生きて、生き抜いて、生き続ける。死などは存在せず『いのちの循環』の中で人は皆生き続けている。人生はやはり感動しかないのだろう。しかし、この作者はどうしてこのような詩を書いたのでしょう。

日野市在住のB子さんは、こんなことをいいました。
「風って、何かあたたかさを感じませんか?風は強い風もあれば弱い風もあり、肌に直接感じないような風もあります。でも風は風圧というように誰もが感じるものです。追い風もあれば、向い風もあったり、何よりも風は空気があるということを感じさせてくれます。少しくすぐったい風もありますが、風は何かを語りかけているようにも思っています。それに優しく感じませんか?」

八王子市在住のC子さんは、風のことを
「私にはよくあることなんですが、閉め切った部屋の中で、フッと風が吹いたり、カーテンが揺れる時があります。最初の頃は少し薄気味悪かったりしたのですが、最近は何かあたたかさを感じています。もしかすると今の風は父かな、母かなんて思う時があります。別に両親とも健在ですが、風が何かを伝えようとしているのかも。なんて思う時もあります」

このように、人の思いや心は「一念三千」というように、どこまでも届くものかもしれませんね。

それは、それぞれの風となって、様々な形で私たちに常に語りかけ、メッセージは送り続けられているもので、実はそれを意識しなければ、まったくわからず、注意し、意識し続けることによってわずかだが誰もが感ずることができるものかもしれません。
人は誰もが生きて、生きて、生き抜いて、生き続けることが与えられた大切な使命なのかもしれない。

そう、それ以外は何もいらない。

「あとに残された人へ1000の風」三五館発行 南風 椎より(許可済み)

私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。

私はそこにはいません。
眠ってなんかいません。

私は1000の風になって
吹き抜けています。

私はダイヤモンドのように
雲の上で輝いています。

私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそぎます。

秋には
やさしい雨になります。
朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき

私はすばやい流れとなって
駆けあがり

鳥たちを
空でくるくる舞われています。

夜は星になり、
私はそっと光っています。

どうか、その墓石の前で
泣かないでください。

私はそこにはいません。
私は死んでないのです。

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1955年6月6日。株式会社三五館より「あとへ残された人へ1000の風」(訳南風 椎)が発行され、2003年8月26日に朝日新聞「天声人語」で紹介され。同年11月6日に「千の風になって」(日本語訳 新井満)が発行されました。
本家だといわれている新井満さんの自由訳が日本で空前の大ヒットを飛ばし、この「千の風になって」は作者不明といわれ、アメリカインディアンの言葉だとか、死者からのメッセージだとか、さまざまな噂が流れ飛んでいました。

しかし、……作者が存在していました。
その原作者の名はマリー・フライエ。彼女が若き日にこの詩を作っていたものでした。私は、「千の風になって」が歌になったり、さまざまなところで見かけるようになっていたとき、わたしは長い間、疑問に思っていました。それは作者の本当の意図は、何を伝えようとしたのか?
そんなとき、わたしの友人の紹介で、エルサレムにいる井上文勝さんという方の手紙をくれたのです。その内容とは、「主婦マリーの選んだ道」と題した「千の風になって」の作者の話でした。そして、主婦マリー・フライエは、その詩が世界中で共有されることを選んだという一文が入っていた(雑誌AERA2007・11月24日号)。

「千の風になって」の本当の作者 (著作者)の正式な名前は、マリー・エリザベス・フライエ。1905年、米オハイオ州のデイトンで生まれました。しかし、マリーは弱年3歳で孤児となり、12歳のときボルテイモアに養女となり移り住みます。
マリーは、遥か遠いオハイオ州にある両親のお墓を想い、過ごしていました。
多感な少女時代マリーは当時、独学で読み書きを学び過ごし、読書が唯一の楽しみで、それが彼女の心の拠り所でした。この頃、詩作も始めていたといいます。
マリーは22歳で結婚します。愛する主人のクラウドの仕事を手助けしながら、好きな花を育てて生計を助けていました。
しかし、1930年代に入るとドイツによる反ユダヤの嵐の中で、ユダヤ人の脱出が始まりました。そのとき、ユダヤ人のマーガレット・シュバルッコプという少女がいました。この彼女はマリーとクラウド家に受け入れられ、紡績工場で働いていたのです。

「千の風になって」の詩は、この子と自分の両親がオーバーラップして生まれた言葉でした。
この少女の母がドイツに残っていて、病身の身であることを知ったマリーは深く悲しみ、自分に似た境遇のこの少女に愛情を注いでいた。1932年、マリーは94歳のときにCBSのインタビューでその時のことをこう答えました。

「老いすぎて身体が不自由なお母様は、彼女と一緒にこられなかったのです。ですから、お母様からの手紙が届かなくなると、彼女は憂いを深めるばかりでした。わたしたちはあらゆる方法でお母様の安否を尋ねあぐねました。そして、ついにお母様がすでに亡くなっていることを知らされた彼女は深い神経衰弱となってしまって……。ただ泣きくれるばかりでした」

そんなある日、マリーとユダヤ人少女マーガレットは二人で買ってきた食材を紙袋から出し、テーブルの上に並べていました。
そのとき、マリーが買った品物を見たマーガレットが、「ああ、ママがこれを大好きだったの!」といって泣き出してしまったという。

そして、マーガレットはマリーに対して、「あたしにとって何が一番苦しいのか知ってて?……それはママのお墓に立ってさよならを言えなかったことなのよ」

そう、マリーはオハイオ州にある両親のお墓と、マーガレットのその言葉が胸につきささったのです。泣きじゃくるその姿を見たマリーは、突然なにかに心を打たれ、食品を入れてきた紙袋を破り、その紙に何かを書き始めました。そして、もどってきたマーガレットにこう言葉をかけたのです。

「マリー、ちょっとした詩を書いたの。生と死について私が感じることなの。もしこれがちょっとでもあなたり救いになってくれたら…」といい、その紙きれを渡しました。

マーガレットは、その詩を読みマリーを深く抱き締めました。

私のお墓の前で、泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる 
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で、泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

あの大きな空を 吹きわたっています
原詩/作者不明 日本語詩新井満

「これをいつまでも大切にするわ……」
マーガレットは涙が止まったのです。
その後、この詩の変形版がマーガレットの両親の友人によってポストカードとして印刷され、以後これが世界中に拡がっていくのです。(ライター井上文勝氏の記事より引用・許可済み)
マリーは2004年9月15日に他界しました。98歳でした。井上さんの記事によるとマリーが他界する四年前、彼女はこの詩についてこう答えていたといいます。(下の写真はマリーとマーガレット)

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「私はこの詩が自分のものでなく、世界のものだと常に思っていました。今ですらそう思っております。これは心からの愛によって安らぎのために書かれたものです。でも、もし、それで私がお金を受け取っていたなら、この詩の価値は落ちていたでしょう。もしかしたら、私は馬鹿だったのかも……。でも、それでいいのです」

おそらくマリーは多くの友人、知人から作者であることを名乗るよう、または多くの人たちがビジネスで利用しているありさまを見て、わずかでもお金を請求したらどうなのかといわれていたのかもしれない。
2004年9月15日といえばまだ数十年前のこと。さまざまな世界で使用されている「千の風になって」をマリーは遠くから眺め、世界中に拡がっていくのを見届けていたのかもしれません。 このようにマリーのコメントにあるように、この詩を世界のもの、世界中の人たちにこの「千の風になって」の詩を届けたかったのかもしれませんね。

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千葉県在住のCさんからの次のようなコメントがあります。
『千の風』は愛する人からの言葉。千の風は愛する人の想い。千の風は束になり、幾千の風なり、幾千の星になり、幾千の花になり、鳥になり、愛になる。千の風は、冷たくだれからも嫌われる風でも、わたしの愛する人からの言葉。愛しい冷たい風です。
マーガレットのお話しを聞き、母を想う娘の気持ち、娘を想う母の気持ち。愛はひとつ、愛は同じとようやくこの詩の意味が納得できるようになりました。千恵はお墓になんて眠っていません。今、ここに、冷たくあたたかな風の中にいました。興奮しての乱筆お許し下さいませ。嬉しくて幸せでペンを取りました。毎回ひとりごと楽しみにしています。会には参加できませんが、いつまでもお送りくださりますようお願い申し上げます。本年も会の皆さまにとって素晴らしい年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
追伸:わたしは冬がとても好きになりました……。
(全文のまま、掲載許可済み)

 風は、意識しないと気がつかないもの。小さな風や、中くらいの風、強い風や、なまあたたかい風、くすぐったい風や、一時的な風。風はいろいろな形でわたしたちに声をかけている。

 あっ、風もないのに枯れ葉が舞っている……。
 あっ、風もないのにひらひらと……。

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※主な参考文献(ここからは長いので、必要な方はお読みください!)
「千の風にのって」の著作者が見つかった。
この詩は日本ではあまり知られていなかったが、英語圏ではかなり前から多くの人に愛されていたものです。
2001年の9・11のテロによるニューヨークセンタービル崩壊の跡地で「グランド・ゼロ」と呼ばれた追悼集会で少女がこの詩を朗読して涙を誘ったことはまだ記憶に新しい。
1996年、イギリスの国営放送BBCは「国民に愛される詩」のアンケートで第1位となりました。この詩がイギリスで知られるようになったきっかけは、地雷に触れて亡くなった一人の若い兵士の死だったといいます。亡くなった彼の遺品のなかにこの詩があり、「デイリー・メイル」紙に報じられたことでした。

その後、作者不詳のまま世界へと広がっていきますが、原作者探しは続いていたといいます。ある人はインディアン説が強く、一九八六年「ワシントン・ポスト」紙では「この詩はインディアンのマカ族の祈りだった」と報じました。しかし、インディアン部族からこの詩を認めた発言はどこからもなかったといいます。また、インディアンには死者の魂がいつも生者の傍にいるという考えはないといいます。
しかし、この詩は一体誰が、どのようにして生まれたのか、どうして多くの人々の心を揺さぶり、心に残るのだろうという疑問が残り、多くのジャーナリストや研究者が探し続けていたといいます。
わたしもこの詩の素晴らしさに感動していましたが、いつのまにかこの詩に曲が付き歌が歌われるようになり、映画にもなりヒット続けているなかで、なぜか疑問を感じていました。
それは、歌や曲がこの詩の本来のイメージに合わないのではないかと感じていました。それと「作者不詳」という言葉にも疑問を感じていたからです。
以前、私の著書の中で「あしあと」という作者不詳と呼ばれた詩をご紹介したときがあります。この詩も全米で多くの人々に愛されつづけていた詩のひとつでしたが、「作者不詳」ということで「わたしが著作者だ」という者が次々と現われ、本当の著作者の意思、意向、意味が無視され、不本意にも次々と商品となり販売され、金儲けの手段とされてしまいました。


だから、お母さんはお墓にはいないのよ。
お母さんはいつもあなたのそばにいる、
けっして死んでなんかいない。
だから、泣かないでください、
ほら、あなたの目の前にいますよ…
マリーはそう伝えたかったのでしょう、
そう信じていたのでしょう。


さて、マリーはきっと、心寂しい人たちに対して、おそらくいつまでも千の風となり、優しくわたしたちに、そっと語り続けていくのでしょうね。

わたしは死んでなんかいません。
いつも、いつまでも愛する人のそばで見つめている。
いつも、いつまでも愛する人のそばで見守っている。
千の風は幾千の風になり、幾万の風となり、
いつまでも、どこまでも、あなたのそばに飛んでいく。

だから泣かないでください…。

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ここまで読んでくれてありがとう!coucouです。あまりの分量のため二部作になり、長くなってしまいました、お許しくださいね。

今日も素晴らしい一日でありますように!



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