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44.5.人生で一番嬉しいことは、それは、あなたがいることでしょうか?教えてください!

※「人生で一番悲しいことは、それは、お別れなのでしょうか?教えてください!」の続編です。(YES short story作品ナンバー31)

教えてください!私は不幸だったのでしようか?

年を重ねると、だれでも身体が動かなくなります。私はおかげさまで本年の1月5日で満96歳となりました。人は、長生きできて良かったね、とか幸せだねと言ってくれますが、私は早くこの世を去りたいと願っています。

もう、たっぷりと人生を生きたし、何もほしいものありません。96歳ともなると悲しいお別ればかりで葬儀が行われるたびに、私も早くああなりたいと真剣に思うようになりました。

どうしてかって?当たり前の話です。だいぶ前に妻や兄弟姉妹はこの世を去り、70歳になった息子もいなくなり、友だちなども誰もいなくってしまいました。それに足が不自由なため、お墓参りにもいけない、ただの抜け殻のように思うのです。もちろん、夢や希望など何もありません。あるのは早くあの世とやらに出向きたい。

私はこの男性に次の質問をしてみました。

「あなたが人生で一番幸せで、一番嬉しかったことは何ですか?」

そんなもの、そんなことは何もありませんよ!私は樺太で生まれ育ち、そのまま徴兵となり戦争に出向き、たくさんの仲間を失った生き残り。日本の戦後の復興のために尽くしてきたが、今の日本を見ていると何のために歯を食いしばって生きてきたのかわからなくなりました。私の思い出は、苦しい時を過ごしてきたことと、数えきれないほどのお別れをし続けたことぐらいだね。

「あなたが、一番嬉しかったことは何ですか?」

何もない、何もありません。まあ、強いて言えば結婚して子どもが生まれたことかな。だがね、私は子どもの頃、父や母が早く死んでしまったため、生まれた子どもとの接し方がわからない、遊んでもらったという記憶もないためどうやって遊べばいいのか困ったことを覚えている。

「あなたが人生で一番幸せだったときはいつですか?」

だから、幸せなんてなかった!苦しかったことばかりでした。

「あなたのお父さんと、お母さんはあなたに対してどうでしたか?」

あまり覚えていないが、優しかったと思う。私は餅が好きだった。母は私に毎日餅を食べさせてくれた。私があまりにも嬉しそうに美味しそうに食べる姿を母は優しい笑顔で見ていました。父は、どちらかというと厳格で無口な軍人のイメージがあったが、よく私を抱きしめていた。私は抱かれるたびに嫌がっていた。その理由は父の顎髭があたると痛かったからだ。その感触は今でも覚えている。

「あなたを見つめているお父さんとお母さんの顔はどのうようでしたか?」

うん、いつも笑顔だった気がする。その笑顔はとても優しくて何かひかりに包まれているようなまぶしさを感じていた。

「あなたのご両親は、あなたを愛していたのですね、きっと…」

そうなのかな、だが、父や母が病気のためこの世を去ったとき、私は涙一つ出なかったね。別に、悲しくはなかった…。悲しみたくなかったのかもしれないがね。

「あなたの子どもが誕生したときはどうだったのですか?」

うん、大変だったな。妻は何度も何度も流産を繰り返していたため、もう無理ではないかと半ばあきらめていたが、難産だったが無事に男の子を授かった。

「そのときの、あなたとあなたの奥様はいかがでしたか?」

ふーん、ふたりで泣いた気がする。妻も無事、子どもも無事だった安堵感からか、私は妻に感謝とともに褒めたたえた。妻は泣きながら息子に向かって「ようこそ、我が家に」と話しかけていた。私は、何か神さまからの贈り物のような気がしていた。

「あかちゃんの顔はどうでしたか?」

もう、いうことはない。まずは無事だったこと、産声が大きくて逞しかったこと。目は開いていたが何も見えないだろうが、大きな瞳で私の顔を不思議そうに眺めていたような気がする。かわいかったなあ…。

「あかちゃんの立場になって、あなたの姿はどうでしたか?」

え、赤ちゃんの立場?赤ちゃんから私を見た姿?うん、私の顔は涙で顔がくしゃくしゃで鼻水だらけ。まるで一生分の涙を流しているように見えたかも。でも、笑っていた。妻の顔を見たら、私とまるで同じ、涙なんて拭かないまま泣き続けながら笑っていたように思えた…。

「もう一度、ききます!あなたが人生で一番幸せで、一番嬉しかったことは何ですか?」

はい、妻と一緒になれたこと、子どもが生まれ家族ができたこと。少なくとも家族が平和に楽しく暮らせたこと。一緒に夕飯を食べたこと。一緒に海や山に出かけたこと。一緒に暮らせたこと、遊んだこと。いっぱい話したこと。年老いた、私と妻の世話をしてくれたこと。何よりも、私のような人間を信じてくれて、愛してくれたこと。愛したこと。

私のようなろくでもない男を「おとうさん」と呼んでくれたこと。妻も息子も最後に私に向かって「ごめんなさい!」「ありがとう!」といってくれたこと…。

私は、迷惑ばかりかけ続け、ろくでもない私を育ててくれた、私の父や母に「ごめんなさい!」「ありがとう!」と同じ言葉を伝えていました。

「最後にもう一度、あなたが人生で一番幸せで、一番嬉しかったことは何ですか?」


この世のすべてです…

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coucouです。ごきげんよう!「人生で一番悲しいことは、それは、お別れなのでしょうか?教えてください!」の続編でした。

どんなに辛くとも、どんなに苦しくとも、お金などなくても、幸せは人間関係で決まるような気がしますね。だって、人間関係が悪ければどんなにお金があっても幸せ感はありません。幸せは、人と人が支え合い、造り出すものかもしれませんね。

人はないものばかりを求めて不幸になりますが、幸せは、実はもともと誰もに与えられているのですが、それに気づかないだけなのかもしれません。私みたいな不幸の塊だと生きてきたものには、必要なことかもしれません。

そう、人と人との出会いなのですね、きっと。

ここまで読んでくれて、ありがとう。みんな大好きだよ!




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