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coucouさんの初めてのマガジン登場!note1年目にしてマガジンが作れた~でも苦戦した~coucouさんのアーカイブ(過去作品)のおすすめ版~全部、coucouさんのお気に入…
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2021年9月の記事一覧

64.あなたは、心から愛する人と一緒に、この世を去ることができますか?

願わくば花の下にて春死なむ 「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ」 西…

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65.もし、人生が200年あったなら、あなたはどう生きますか?

もし、人生が200年あったなら、あなたは何をしますか? もし、人生が300年あったなら、…

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66.何もないしあわせ、何もいらないしあわせ、何も求めないしあわせ、というものもあ…

悲しみよこんにちは 悲しみよ さようなら 悲しみよ こんにちは あなたは天井の隙間に書き込…

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67.言葉を話せなくなった父が、最後に優しい目で、さよならの挨拶をした。ありがとう…

世の中には、幸せな人と不幸な人がいますね。でも、あなたは本当に不幸なのでしょうか?本当に…

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68.あなたのnoteの言葉は父や母、遠く離れた息子の声、離れ離れとなった人たちからの…

わたしたちには、何かしらのメッセージを与えられている。言葉と言うものは不思議なものですね…

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69.捨てられた子どもたちの命を、拾い続け、死ぬまでに35人の子どもたちを育てた人…

その人の名は、中国浙江省金華市に、楼小英(ロウ・シャオイン)さん。 35のいのちとともに…

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70.私の頭は、少しおかしいようです。それに、みんなに嫌われているようです…。

原爆ばあちゃんそのおばあちゃんは、私の顧問先の喫茶店で毎日コーヒーを飲むのが日課でした。知り合ってから、もう10年をすぎようとしています。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 顔を合わせれば、おばあちゃんは笑顔でいつも同じ話をします。 「私は被爆者なの、広島で生まれて、広島で育ったの。父も母もみな原爆で死んでしまった・・。私が10代の頃の出来事なの。戦後70年を過ぎた今でも、私はどうしても忘れられないの。決して、こんなことがあって

71.わたしは、わたしの人生に「NО!」をする。「NО!」は、わたしの人生を支えて…

「All MY Loving」 わたしは人生に「NО」する。 わたしは何も信じないし、誰も信じること…

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72.人生の最後くらい、思いっきり我儘を言って、思いっきり甘えて、自由に生きてみた…

光の世界から光の世界へそこは光もない、暗い不思議な海の中でした。 私はただ、ふわふわと浮…

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72.5おかげさまで、2か月でPV10,000人を超えました!感謝しかありません!

はじめてnoteにチャレンジしてから、あっという間の2か月でした。 友人からnoteの存在を教…

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73.ちいさなおうちは、街が大っ嫌い。本当は、静かなところが大好きです、でも、時の…

The little house(ちいさなおうち)「むかしむかし、ずっといなかの しずかなところに ちい…

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74.ああ、時は、なんて早いの。人生はまるで砂時計のように思えるわ!

「明日への手紙・あれから」 夜汽車に乗っていつまでも、いつまでも手をふり続けていたつばさ…

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75.教えて、私の頬を伝う涙は寂しさからなのでしょうか? 哀しさからなのでしょうか…

91歳の老木 みーん、みーん、みん、みん。 みーん、みん、みん・・・ 夏は嫌いだ、大嫌い…

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76.やりたいことを我慢して、頑張り続けたが、なぜか空しい、何よりも寂しい…もうやめたい!

社長という病あなたは、社長の病というものがあるのをご存知ですか? 事業経営者として代表を務める社長ばかりではなく、副社長、専務、部長や課長も同じような病に陥るのです。 子どもでも先に生まれた長男長女、クラブ活動のリーダー、責任者、その他、上に立つ人の多くがこの病にかかります。 それは、トップに立つ責任感やプレッシャー「ねばならない」「でなければならない」といった考え方から自然発生するのです。 先に生まれただけの兄が、弟から「これどうしたらいいの?」と相談されれば当