【小さなことができない人は大きなことはできないのか?】超訳 言志録 第二十七条
幕末の名著「言志四録」に学ぶ
東洋の生き方学 No.27
言志録 佐藤一斎著 第二十七条
【原文】
真に大志有る者は、克く小物を勤め、
真に遠慮有る者は、細事を忽にせず。
【訳文】
本当に大志を持つ人物は、小さな事柄も粗末にせず勤め、
また遠大な思考をする人物は些細な事をも疎かにしない。
言志録 第二十七条『大は小を生み、小は大へと誘う』
小さな事も出来ない人間は
大きな事は出来ない。
この言葉に疑問がある。
まず、
大きな事というのは
どれほど大きな事なのだろうか。
単に、
成功したいとか、
社会的地位を得たいとか、
幸せになりたいとか、
豊かになりたいとか、
それは大きな事なのだろうか。
大きな事とは、
もっと大きな事でなければならない。
大きな事とは、
未完であり、永遠に満たされない何かである。
この人生をかけても
到達できるかどうか分からない。
それが大きな事だろう。
小さな事が出来ないのは、
大きな事が決まっていないからである。
つまり、永遠を志向できていないからである。
真に大きな事を思えば、
気を衒ったり、特別な事をしようなどという
合理的で打算的な考えは生まれなくなる。
真に大きな事を思えば、
小さな事が生まれてくる。
生まれると言うよりは、
「認識される」と表現した方が正しいかもしれない。
小さな事が出来ないということは、
"小さな事が認識できていない"ということ。
今を生きる自己と永遠とが結びついた時、
人はただ今を生きるしかないということに気づく。
そして、今を生きようとすると、
小さな事が忽ち大切に思えてくる。
故に、
大は小を生むのである。
そして、
大によって生まれた小は、
私たちの目の前に
"当たり前の顔"をしてやってくる。
その当たり前に"有り難み"を感じなくなれば、
それは、永遠との繋がりが途絶えたことを意味する。
積み重ねとは、
"当たり前の仮面"を取っていく作業である。
そしてまた、
それこそが日々であり、人生である。
小さな事ができない人間は
大きな事ができないのではなく、
大きな事が思えない人間が、
小さな事ができないのである。
逆を言えば、
小さな事が出来ない人間は、
大きな事が思えていないだけなのだ。
貧富も、勝敗も、失敗も成功も、
永遠へと向かう旅路の途中でしかない。
そういう私も旅の途中でしかないが、
これからも永遠を志向して生きていきたいと思う。
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