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【なぜ道徳心が大切なのか?】超訳 言志録 第二十九条

幕末の名著「言志四録」に学ぶ
東洋の生き方学 No.29

言志録 佐藤一斎著 第二十八条

【原文】
大徳は閑を踰えざれ。小徳は出入すとも可なり。
此を以て人を待つ。儘好し。
【訳文】
忠・信・孝・悌というような
大徳に該当するものは外れてはならない。
しかし、小徳に該当する進退・応対のようなものは、
他人には寛大に対応するのがよい。

言志録 第二十九条『道徳心の重要性』

なぜ道徳心が大切なのか。

善人となるためか?
人として真っ当な生き方をするためか?

道徳は大切である。
「聖人君子」となるためには、
道徳を修めていかねばならない。

聖人君子と"ならぬ"ために、
良い人で終わらないために、
より"人間らしく"生きるために、
道徳心を養わねばならない。

どちらでも構わない。

しかし、私は後者でありたい。

道徳的に生きるということは、
ある意味、合理的な人生を生きることになる。

道徳(礼という意味で)とは科学である。
自分と他人の関係性を円滑な物とするために生まれた概念である。

社会を合理的に構成していく上で、
これ程"役に立つ"概念はないだろう。

そういった目的があって、
"道徳は善なる概念"として認知されている。

しかし、
人間とは本来"不合理な"存在である。

もし合理的な存在であれば、
"道徳を善なる概念"とも認知されない。
ある種"当たり前の概念"として認知されるだろう。

それが、人間の"不合理性"を物語っている。

道徳心、道徳観は、
人間の不合理性を認識するためにある。

自らの存在の"不合理性"を認識したとき、
即ち、自分の道徳心や道徳観に抵触したとき、
人間は「恥」を感ずる。
それが「恥を知る」ということである。

恥を知ったときに、自分の中にエネルギーが生じる。

そのエネルギーこそ、
不合理な自己を動かす原動力になる。

道徳心を養うのは、
決して聖人君子の様に生きるためだけではない。
善人になるためでもない。

恥を知り、自己を発憤させるために
道徳心と道徳観を養う。

決して良い人で終わらない。

良い人になりたくなければ、
道徳心を養い、道徳を超えていってほしい。

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#読書 #哲学 #人生観 #東洋思想


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