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心の不思議【何とも妙なる心の働き】

幕末の名著「言志四録」に学ぶ
東洋の生き方学 No.38

言志録 佐藤一斎著 第三十八条

【原文】
心の形わるる所は、尤も言と色とに在り。
言を察して色を観れば、賢不肖、人隠す能わず。
【訳文】
人の心は言葉と顔色に最も現れる。
その人の言葉をよく訊き、顔色を観れば、
利巧かそうでないかも分かり、
人というものは決して隠せるものではない。

言志録 第三十八条『心が現実を創る』

"心の形わるる所は、尤も言と色とに在り"

佐藤一斎先生は、この条文(言志録 第38条)にてこう述べられた。

言とは言葉であろう。
色とは何か?
訳文には"顔色"とあった。

私には"色即ち現実"であるとも解釈できると思う。

相手の言葉と顔色を推察し、
相手の度量を推し測れということであったが、

相手のことを推察しようとする私の目
曇りがあった場合どうなるのだろうか?

相手もまた心が言葉や顔色に顕れているように、
私もまた、その法則から離れることはできない。

私の心によってもまた、"色"は生じているのである。

心が波風一つない湖面のようであってこそ、
"在りのまま"をその心に映すことができる。

"在りのまま"とは、本当に"在りのまま"なのだ。

無色無味無臭であることも感じさせない程の
無色無味無臭の存在。

存在しない存在が"在りのまま"である。

それを認識するために、心と私が存在している。

相手であろうが何だろうが
その実体がどう映るかも、結局は私次第なのだ。

相手が愚かに見えたりするとき、
それは単に私の目にそう映っているだけだ。

相手が高尚に見えたりするとき、
それは単に私の目にそう映っているだけなのだ。

現実は"認識"されてこそ、現実なのだ。
"ある瞬間の事象"を認識することによって、
現実が私の前に生じている。

現実はある瞬間の事象のみでは存在せず、
私の認識を介して現実は現実として存在している。

つまり、私が現実を生み出している。

そして、私の認識を司るのが心である。

相手を推察する前に、
私を司る"心"を鑑みなければならない。

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#読書 #哲学 #人生観 #人間学
#東洋思想 #生き方 #メンタル


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