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適応障害になりまして

こんにちは。
なんと、前回書いた記事から約1年ほど時間が経っていました。
題名にある通り、適応障害に数か月前になりました。
やっと、noteを書く気分になったので、これまでのことを書いていきます。

※この記事を読んでくださる方へ※
私自身適応障害になってから、同じ境遇の方のSNSをよく読んでいます。twitterとかでも「適応障害 退職」「適応障害 転職」など検索してしまいます。
同じ病気でも人によって置かれている境遇や症状、回復具合など異なると思いますので、こんな人もいるんだーぐらいの気持ちで読んで頂けたらと思います。

それでは、スタート!!!

1.仕事を休むまで

昔の記事にも書いていますが、私の職業はソーシャルワーカー。

持っているケースの数も一杯一杯で、残業することも多かったです。
ギリギリのキャパで働いているところ、ミスが続いたことがありそのリカバリーにも時間がかかり、キャパを超え全く仕事が進まなくなりました。
もちろん、ミスをしているので、職場の上司や他の職種の方、クライエントに怒られます。家に帰っても、どうしようか考えます。
家に帰って仕事のことを考えることは、これまでもよくある方なのですが、今回決定的に違ったのは、ベットに入っても全く寝付けないこと。
もちろん、明日も仕事があります。
寝付けない自分に対してすごく焦る。どうしよう、寝ないといけないのに、勝手に頭が仕事のことを考えている・・・もう自分をコントロールすることは無理でした。
眠れず朝を迎えていました。
仕事に行けなくなる数日間は、ほとんど寝ていない状況で出勤です。

でも、寝ていないので、集中力がなく、またミスするんです。
こうなるともう悪循環に入ります。
そしてある日、ついに朝起きて涙が出て仕事を休みました。

最後に仕事に行った日、朝の通勤途中でリポビタンDを購入しました。
飲み途中のリポビタンDが、今も冷蔵庫に入っています。
いつかは、捨てなくてはいけないけど、今は触れたくもありません。
リポビタンDを見ると、なんとかしてでも仕事に行っていた生真面目な自分、苦しんでいる自分を思い出し、悲しい気持ちになります。そこまで頑張らなくてよかったんだよと、今となっては自分に声をかけたい。

2.診療内科に行くまで

眠れなくなっていたので、精神疾患であることは予想していました。
ネットにある簡易的な適応障害の診断をすると、中度から重症に該当。
それでも、私は心療内科で病名がつくのか、診断書を出してくれるのかが心配で、何度もネットの診断をやっていました。
今の状態では仕事に行っても仕事ができないと思っていたので、なんとか休職したいと思っていました。

この時の身体の症状としては、眠れないことの他、ご飯が食べられませんでした。何を食べたいか聞かれても、何を食べたいかも分からない。
何もやる気が起きない、ちょっとした家事もやる気が出ない。
ただ、座ったり寝転んでみたり。生活事態ままらないような状態でした。
でも、そんな状況下でも気にするのが今後の仕事のこと。
この時は将来に対する不安が強くなり、求人票ばっかり見ていました。

心療内科の予約がとれ、受診をすると適応障害の診断になり、休職することになりました。

3.休職開始

先生からは、仕事のことは今は考えずにリラックスしてください。求人票を見るのも辞めてください、今は休んでくださいと言われました。
でも、今振り返ると休職したばかりの頃が一番将来に対する不安感が強く、求人票をみることはしばらく辞めることができませんでした。
突然仕事に行けなくなり、私の仕事は同僚が対応し、同僚に迷惑をかけたことに対しても強い罪悪感がありました。
リラックスしてくださいと言われても、リラックスって難しいですよね。
休むことって、本当難しい。今まで休むことなんて習ってないですから(笑)

色々と考えてしまいますが、とりあえずゆっくり寝たり、夕方に犬の散歩をして過ごしました。仕事から離れたことで、少しずつ食事の量は戻ってきました。

休職を初めて1か月ぐらいで、何十年もやっていなかったゲームを始めてみたり、趣味の読書を開始しました。

今回は、このあたりまで。
次もまた、休職に関しての記事を書きたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

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