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302.批判も度を過ぎれば、ある意味形を変えたいじめです。人の不快感を与えるものはもはや、作品とはいえません。

1.命を大切にする 希望を持つ


 いじめる側といじめられる側にはある共通点があります。
それは〈恐れ〉です。

〈恐れ〉は、自分に対しての評価が低い人が持つ特性のあるものです。
人は何かに〈不安〉を持つと〈恐れ〉ます。
そんな〈恐れ〉を持つならば、人をいじめたりしなければいいじゃあないか?
そういう考えもありますね。
でも、〈恐れ〉のために人をいじめたり、虐待してしまうと言ったら信じてくれるでしょうか?
 
そもそも、いじめる者は何かしらいじめられた経験を持つ者です。
幼い頃に母親に脅かされた(注意され怒られた)。
言う事を聞かないため殴られた(暴力を受けた)。
親の思い通りにならないと叱られた。
子どもに完全を求める未熟な不完全な親の教育。
言葉による暴力、常に「お前が悪い」と怒られてきた子どもたち。

「あなたのために我慢してきた」と恩を着せる親たち。
「もっともっと頑張りなさい」と言い続けた親たち。
「ダメだ、ダメだ」と否定され続けた子どもたち。

親に勝てる子供などいません。

圧倒的に強い親たちによって子どもたちの人生が左右されます。
決して親の責任だけではありませんが、心の弱い子どもたちに〈恐怖心〉が植えつけられて行きます。

愛情豊かな優しい親は、暴力など絶対に振るいません。
愛情豊かな親たちは、子どもたちに感謝し、大切に扱います。
「頑張ったね・・」
「良くできたね・・」
「凄いね・・」
「お母さんは嬉しい・・」
「ありがとね・・」
「良かった・・」と優しく育てます。

すると、子どもたちの心は素直に明るく育ち、〈安心感〉を持つ人になります。子どもたちは自信を持ち、自分に対する評価も高くなります。
なぜって、劣等感を持ったり、自分を否定する習慣がないからです。
 
〈恐れ〉を持つ子どもたちは、劣等感から相手を非難したり、馬鹿にしたりして、自分の力を誇示しようと考えます。
自分より弱そうな相手を見つけ出し、いじめる事によって、その場限りの快感(満足感)を味わいます。
その快感は病みつきになるほど楽しい事です。
他者が自分の言う事を聞く訳ですから、まるで王様気分です。

いじめられる者は、その王様の奴隷となります。
子どもの頃にされてきた屈辱を、他人で晴らすかのように執拗にいじめます。
一方いじめられる子どもたちも劣等感と〈恐れ〉を持ち続けます。
自分の評価が低いため、馬鹿にされても反論できません。

自分を否定しているわけですから、相手の言いなりになることで、その場をしのごうと考えてしまいます。
また、そのいじめの仲間に入ることで、いじめる側の立場になります。
そうすればいじめられなくなると考えるからです。

このように〈恐れ〉は不安を呼び込み、不安な仲間同士が固まり、一つになろうとします。

一人じゃないからといって不安が無くなるどころか、さらに大きな不安が押し寄せてきます。

こうして、いじめのウイルスは広がり蔓延(集団化)します。

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noteの世界のいじめ

最近は、このnoteの世界でも誹謗中傷記事を見かけるようになりました。

相手を名指しして誹謗するものもいれば、あえて本人にしかわからないような言い回しでnoteのタイトルと批判をします。

人の作品に対しての批判は表現の自由だという人もいますが、その人が見て傷つくような内容や、不快感を与えるものは表現の自由とは呼べません。

また、相手の名前の部分を〇〇〇としても、本人にはわかるわけですからそれも不快感を与えるものです。

でも、おかしいですよね、自分のnoteで公に批判するのですから。
noteは誰もが自由に表現する場です。

たとえ、その作品やコメント内容が自分にとって面白くないからと言う理由で公表するのは大きな間違いです。

気に入らなくとも放っておけばいいのですが、
放っておけない異常差を感じます。

また、お問合せメールを使い、作品を批判したり、相手のコメント欄で批判する者もいます。

noteの場合は拒否、ブロックができますが、問い合わせメールは勝手に入り込むことができます。
問い合わせメールなどもブロックできるはずですが、意外とわからないものです。
でも、そんな場合はそのメールは迷惑メールとと同じなので開かなければ良い思うのですが、人間の心理はどうしても開いてみたくなってしまうようです。
子どもたちの世界でも、見なければいいのに、無視すればいいのにと思うのですが、大人でさえ気になって見ようとしてしまいます。

どちらにしろ、noteの世界ではそんなことは止めませんか?

そんなに自分の力を誇示したいのでしょうか?

批判もある意味形を変えたいじめです。
人の不快感を与えるものももはや、作品とはいえません。

また、自分が不利になると、アカウントごと消し去り、何度も何度もアイコンやネームを変えて登場する輩もいます。もし、自分が正しいと思うならアカウントもコメントも消す必要はありません。

言葉は素晴らしいものですが、使い方を誤れば簡単に人は傷つきます。おそらく承知でしているのだろうと思いますが、こんな場合はすぐさま訴えれば良いのです。逆にお問い合わせメールを利用して裁判の証拠として訴えるのも良い方法のひとつと考えられます。

noteの世界はクリエイターさんたちの自由なる創作の場です。


「SNSいじめ」から子どもをどう守る? 夏休みに考えたい家庭内ルール「使用の際は皆がいるところで」 (22/07/27 15:58)

ネット中傷を許さない! なぜ“投稿”するのか?【news23】

「学校配布タブレットでいじめ」 小6女児“自殺”で両親が訴え

“SNSでの誹謗中傷”等多く…「いじめ問題の克服を」4月がいじめ防止強化月間の三重県で高校生が呼びかけ


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 ※本内容は、悪口、いじめ、誹謗・中傷を中心とした内容ですが、「著作権侵害」「著作者人格権侵害」「肖像権侵害」「プライバシー権」「パブリシティ権」「個人情報保護法」、その他「人格権」「人権」等に最終的にはつながるものばかりです。
特に、ツィッター、フェイスブック等のSNS全般、このnoteなども含まれるものです。断じて、許すことのできない犯罪です。
言葉によるいじめ、暴力など他人を著しく傷つける行為がウイルスのように広がっていく時代になりました。
同時に「なりすまし」「偽物」「フェイク」などの画像やメールなどが出回りまるでカオスの様相を帯びているネット社会。
また、皆様もご存知の通り「偽物メール」なども大量、いや無限に近く飛び回っています。
今や、銀行や郵便局の偽メール、アマゾンやメルカリ、国税庁の偽物請求メール、裁判所からの金品請求の偽メールが出回り、市や都からの偽物メールなど多くの人たちが、混乱しています。
さらに、「本物ぽい偽物」などは何とか見分けがつきますが、「偽物ぽい本物」などはまるで見分けられないという問題が生じています。
一番の被害者は、子どもたちです。それを確認できないお父さんやお母さんたちにも問題があり、子どもたちは何も知らないまま犯罪に手を染めてしまったり、人を傷つけてしまいます。ぜひ、お読みください。本内容は、全国の都道府県、市町村、学校、NPО団体、中小企業、noteの皆様、クリエイター、個人の方々を対象としているものです。また、全国の職員研修での講演先のみなさまにもおすすめしています。
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